【今週はこれを読め! ミステリー編】驚嘆すべき謎解きミステリー『カササギ殺人事件』

文=杉江松恋

  • カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)
  • 『カササギ殺人事件〈上〉 (創元推理文庫)』
    アンソニー・ホロヴィッツ,山田 蘭
    東京創元社
    1,100円(税込)
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  • カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)
  • 『カササギ殺人事件〈下〉 (創元推理文庫)』
    アンソニー・ホロヴィッツ,山田 蘭
    東京創元社
    1,100円(税込)
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 上巻は、古典的な探偵小説の理想形として。
 下巻は、それを読むためのガイドブックを含んだ、現代的なサスペンスとして。

 このように二つの風合いの異なる小説を一冊に押し込んだ、驚嘆すべき構成を持つミステリー、それがアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』(創元推理文庫)だ。

『カササギ殺人事件』を一口で言い表すならば、「手がかりが多すぎる謎解き小説」である。作者は、ありとあらゆる場面で読者に手がかりを与えようとしてくる。たとえばある人物の思わせぶりな態度は、どのような内なる声を含んでいるのか。破棄された肖像画はいかなる状況が過去に作り出されたことを意味しているのか。下巻の中で語り手が「この道しるべの示す先は、いったいどこに行きつくのだろうか?」と呟く。多すぎる手がかりは、旅人をかえって迷わせるものなのだ。本書は読み手に、ミステリーとは手がかりの小説であり、それを隠すのではなく、堂々と示すことが謎解きの興趣を高めるのだということを再認識させてくれるだろう。

 多くの手がかりは、表面に見えているものと、その下に潜んでいる真意との違いを示している。すべてが見える通りではなく、別の形に解釈できるかもしれませんよ、と作者は語り掛けてくるのである。試験監督が、受験者の肩口から覗きこんで、君、その解答で大丈夫かね、と囁きかけてくるのに近い。手がかりは、時に何通りにも使われることがあるから注意が必要である。これはそういうものだったのだ、と頭の中に収めてしまうと、後でもう一度その証拠品は使うから、と言われて慌てて整理箱をひっくり返すことになる。

 手がかりのレベルが多層にわたっているのも本書の特徴である。それこそ作中で綴られている殺人事件に直接関係するものから、その書き手と読み手に関係したレベル、つまりメタの領域に入るものまで、いくつもの階層でばら撒かれている。

 あるミステリーを読んだときに、謎が解けてしまった、と自慢する人は必ずいる。曰く、それがもっとも犯人らしくない登場人物だから。あるいは、この作者ならそういうことをしそうだったから、などなど。そういう読者を捕まえて、駄目だぞ、そうやって違う階層から答えに行き着いただけじゃ、本当に謎を解いたことにはならないぞ、とたしなめるためにホロヴィッツは本書を書いたようにさえ思えてくる。

 一例を挙げよう。本書の中には数々の言葉遊びが登場する。ミステリーにおける言葉遊びは、あるときには暗号として直接的な謎となり、別の次元では隠喩として作品全体のデザインを読者に示唆する。本書の『カササギ殺人事件』という題名を、非常にそっけないと思われた読者も多いのではないだろうか。原題はMagpie Murdersだから直訳である。上巻を読み始めてすぐに気づくことがある。主要登場人物の一人が、マグナス・パイという名前なのだ。マグナス・パイ、略してマグパイ(カササギ)じゃん。

 この情報が何を意味するのかはすぐにはわからない。しかし、なんらかの言葉遊びの趣向があるのだろう、という予見を読者には与えるだろう。その先入観は作中のあるレベルに仕掛けられた謎を解くのには、あるいは謎を解けた、と言い張るのには役に立つはずである。しかし作者が準備した謎はそこだけではなく、他のいくつものレベルにまたがっている。一つの予見のみで全体を把握することができないようになっているのだ。すべての謎は、そのレベルに応じた手がかりから論理的に解かれなければならない。それが謎解き小説の基本原則である。

 ここまで書いた内容で関心を持ったら、迷わず手に取って読むこと。控えめに言っても、2018年に最も読むべき謎解き小説の1冊が本書である。古典的探偵小説に関心を持っている人なら、その度合いはさらに跳ね上がる。解説者の川出正樹は本書について「二〇一八年の時点で、二十一世紀に書かれ翻訳された謎解きミステリの最高峰といっても過言ではない」と称賛しているが、これは決して過褒ではないと私も保証する。

 さっきから上巻、下巻と何度も書いてきたが、本書は大きく二部構成をとっている。翻訳書では上巻にあたる部分には、作中人物のアラン・コンウェイが書いた『カササギ殺人事件』という長篇小説がほぼそのまま全部入っている。つまり作中作なのだ。アラン・コンウェイはアガサ・クリスティを分析的に読んで探偵小説を書いているという設定で、こちらの『カササギ殺人事件』はクリスティ的、つまり嘘をつく証人たちの物語である。誰もが秘密を抱えており、その秘密が事件に関わるものかどうかを探偵はいちいち判別しなければならない。探偵はアティカス・ピュントという亡命ドイツ人で、第二次世界大戦中はナチス・ドイツの収容所にいた。この「礼儀正しい外国人の探偵」という設定もクリスティの産んだキャラクターを想起させる。

 この物語の外側に〈別のレベル〉の謎が展開される。先程から繰り返しているようにメタの次元が存在すること、そしてアラン・コンウェイが探偵作家であることからお判りだろう。これは作家小説、探偵小説についての探偵小説なのである。

 作者(アンソニー・ホロヴィッツ)が巧みなのは、この二つの謎解きを別々ではなく、密接な相関関係を持たせたことである。あらゆるレベルを縛る根本原則が存在する。最も重大な謎が神の悪ふざけによってなされたようにしか見えないのも本書の美点の一つで、泡のように全体が消える美しさも備えている。さっと終わる幕引きの鮮やかさも好ましい。ページを閉じたあとの余韻を、きっといつまでも覚えていることだろう。

(杉江松恋)

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