【今週はこれを読め! ミステリー編】運命に立ち向かう少女の物語『カッコーの歌』

文=杉江松恋

  • カッコーの歌
  • 『カッコーの歌』
    フランシス・ハーディング,児玉 敦子
    東京創元社
    3,630円(税込)
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 今回採り上げるのはミステリーではない。分類するならばファンタジーなのだが、サスペンスの醸成が尋常ではなく巧く、物語が静から動に転じた後の展開の小気味よさったらない。何事が進行しているのか、という謎で引っ張る展開も素晴らしく、つまりは私がミステリーに求めているもののほとんどはここに入っているのである。本欄をお読みのミステリー・ファンのみなさんにも同じ気持ちを共有していただけるものと信じて。

 フランシス・ハーディング『カッコーの歌』(東京創元社)がその一冊だ。
 ご存じのとおりハーディングは、2017年に翻訳された『嘘の木』の作者である。本国では2015年に刊行された同書は、コスタ賞の児童文学部門と、全部門を通じての大賞を同時に獲得するという快挙を成し遂げた。最近の東京創元社は児童文学やヤングアダルトの分野で注目を浴びた作家の紹介に力を入れていて、『コードネーム・ヴェリティ』『ローズ・アンダーファイア』のエリザベス・ウェイン、『誰かが嘘をついている』のカレン・M・マクマナスなど外れなしである。純粋さ、必死さがおそらくは読者の気持ちを惹きつけるのだろう。まだ若い世代の読者にとっては、この世界は複雑で、時に理不尽さを覚えることだろう。自分の与り知らないところで決められた規則は桎梏でしかなく、怒りを感じずしてそれをやり過ごすことはできないはずだ。そうした生の感情と向き合うことの大切さを、もっと上の世代の読者は忘れ始めていたのかもしれない。

『嘘の木』は女性の基本的人権が確立されていなかった時代の英国が舞台で、一家の大黒柱であった父親が自殺としか見えない状況下で変死したことから話が動き出す。主人公の少女は、自らと家族を守るため、父が自殺ではなく殺されたのだということを証明しなければならなくなるのだ。自殺を禁じるキリスト教の倫理観によって裁かれれば、残された家族は一切の財産を奪われ、路頭に迷うしかなくなるからである。突如としてやってきた世界との対決という難事に立ち向かう主人公フェイスに私は多くのことを教えられ、励まされる思いがした。ファンタジー的設定はあるものの、これは第一級の探偵小説である。必死の探偵行を強いられることになった少女の物語だ。綺麗事ではなく、他人を蹴落としてでも生き残らなければならない。そのための唯一の手段が探偵なのである。

 邦訳第二作となった『カッコーの歌』は、実際には『嘘の木』に先行して2014年に発表された長篇である。ハーディングは本書で英国幻想文学大賞を獲得、カーネギー賞の最終候補にもなっている。

 序盤の展開をミステリー的に言うならばホワットダニット、何が進行しているかわからない物語である。今回の舞台は1920年のイギリスに設定されている。最初の世界大戦を通過したばかりで、クレセント家の長男セバスチャンもその戦場に行ったまま還らぬ人となった。クレセント家は中流階級の上といったところで、召使を雇えるほどの階級だ。父親のピアスは建築界では能力を買われている土木技師、妻のセレステは階級の申し子というべき女性で、家格を維持することにすべての関心が向いている。我が子との向き合い方にそれが現れていて、家に合わせて娘を矯正することに何の疑問も感じないのである。自分自身が抱えている心の問題からは目を背け、家を守ることに逃げ道を見出している。

 クレセント家の長女、11歳のトリス(テレサ)が池に落ちるという事故から物語は始まる。幸いにも救出され、医師の手当てを受けることができた。しかし、何かが変なのである。手に触れるもの、目にするものがすべてちぐはぐで、世界全体が彼女に対して糾弾の怒号を発しているようにさえ感じる。たとえば慣れ親しんでいたはずの人形を手に取ると「あんたはちがう! あたしにさわらないで!」と悲鳴を上げ始めるのだ。そして異常な食欲。食べても食べても収まらず、ついには木から落ちて腐ったリンゴまで貪ってしまう。

 1920年という時代設定が巧く使われていると感じたのは、父親が彼女を精神分析家らしい医師に見せるところである。当時の先端医学である。医師は彼女に「おはじき」のように記憶を呑み込んでしまったせいだ、と説明する。それを吐き出してしまえばすべては元に戻るのだと。たしかにそれは合理的な説明のように見える。しかし、本人は気づき始めているのだ。自分の心身に起きている変調の原因はそうではないと。もっと残酷な運命が彼女を支配していて、しかも終わりはすぐ近くまで来てしまっている。

 主人公が目を覚ましたとき、どこからか聞こえる声があった。七日だよ、あと七日、なのだと。この声が小説にとってのタイムリミットになる。声が伝える日数は確実に減っていくのである。その日が来たとき、いったい何が起きるのだろうか。

 最初に向き合うべき敵は、トリスの妹ペン(ペニー)だ。9歳のこの少女は、初登場の時から主人公に強大な憎悪の感情を向けてくる。同性のきょうだいゆえのものなのだろうか。いや、そうではない。ペンは彼女の身に異変が起きていることを察知しており、その意味についても理解しているようなのだ。それが何かを知ろうにも、ペンは頑なに対話を拒み、主人公を徹底して排除しようとする。

 読者がその感情の意味を理解するのは、主人公の運命を決定づけるある出来事が起きてしまった後のことだ。なぜ自身の姉をそこまで憎悪していたのか。ペンが本当に求めていたことは何か。それがわかったとき、物語はその様相をがらりと変える。何が起こっているのかわからないという不可解さの霧が晴れ始めた先には、絶対にしなければならないこと、辿り着かなければならない目的地が見え始めるのである。そこから聞こえ出すのは、身体のそばを吹き抜けていく風の音だ。前を向いて走っていくしかない主人公、残酷に刻まれていく時の声、そこに到達したときに何が起きるか、自分が見たい光景はそこにあるのか。そうした思いが浮かぶ間もなく、読者はページを繰り続けることになるだろう。喩えるならば放たれた矢である。弦を放れた矢は、的に刺さるまで進み続けるしかない。その矢の視点になって、読者も登場人物たちと一緒に世界を突き抜けていくのである。

 物語はある古典的な構造を用いているのだが、それは書かないことにする。主人公たちが向かっていく終点に何が待ち構えているのか、予見を与えてしまうからだ。物語に思いを馳せ、場面場面の登場人物たちの心情について考える余裕が生まれるのは、きっと最後まで読み終えた後のことだろうと思う。幾度も幾度も読み返したくなる、親友のように付き合うことのできる小説だ。

(杉江松恋)

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    フランシス・ハーディング,児玉 敦子
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