【今週はこれを読め! ミステリー編】熊か殺人か!?『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』

文=杉江松恋

  • 生物学探偵セオ・クレイ: 森の捕食者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『生物学探偵セオ・クレイ: 森の捕食者 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    Mayne,Andrew,メイン,アンドリュー,みゆき, 唐木田
    早川書房
    1,034円(税込)
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 ----ある日、森の中、熊さんに、食われた。

 アンドリュー・メイン『生物学探偵セオ・クレイ 森の捕食者』はそんな恐ろしい事件で幕を開けるスリラーである。大学教授の職に就いている主人公の元に、ある日突然郡保安官の一行がやってくる。それもかなりものものしい雰囲気なのである。手錠をかけられて保安官事務所に連行、さらに爪の下から組織を採集された。

 事務所づきの刑事、グレンは物腰だけは柔らかく、あれこれと質問をしてきた。さらには殺人現場を撮った写真を見せられる。同じ現場を写したと思われるものを無意識のうちに集めて置くと、なぜそれを仕分けたのかと鋭く訊かれる。ちょっと待った、明らかに何かの重罪犯扱いじゃないか。

 しばらく経ってようやく理由が説明される。セオに示されたもう一枚の写真は、彼が知っている人物が殺された現場のものだった。被害者の名前は、ジューンことジュニパー・パーソンズといい、かつて動物学専攻の学生としてセオの講義を受けたこともあった。それは六年も前のことだったが、偶然にも彼女は、セオの泊まっていたモーテルの近くで調査活動を行っていた。そして、殺されたのである。変死体が見つかれば関係の近い人間を疑うのは捜査の基本だ。しかし疑いはすぐに晴れた。検死の結果、ジューンは熊に襲われて死んだと見なされたからである。彼女を殺したと思われる熊が射殺され、報せを受けてセオも現場に急行する。未来ある若者を殺した熊に彼も感情穏やかではいられない。そのせいかどうかは知らないが。

 セオはとんでもないことをしてしまうのである。

 本人が「なかでもいちばんの疑問はこれだ」とこぼす通り、間違いなく違法である行動をセオはとり、その結果ある結論に辿り着く。

 ジューンを殺したのは、射殺された熊ではない。

 そこからが孤軍奮闘の始まりである。捜査は終了しているというのに、にわか探偵と化したセオは一人事件を調べ続ける。彼の推理によれば異常極まりない事態が進行中である。公式には捜査が終了しているのだから当たり前だが、何もしようとしない警察に対してセオは、閉じた眼を開かせるべく注意を喚起し続ける。そしてペルソナ・ノグラータ、望ましからざる人物になってしまうのである。

 ----ところが、あとから、警察が、やってくる。

 どこに行っても警察に目をつけられ、何かをすると逮捕するぞと凄まれる。そんな四面楚歌の状態でも頑張り続けるのが本書の主人公たる「生物学探偵」なのである。もっとも、まずいことになったのはセオの自業自得である。最初の「とんでもないこと」から探偵活動が始まっているわけだし。いくら警察に信用されていないにしても、他にいくらでも遵法かつ人に信用されやすいやり方はあったように見えるし。恐ろしいことにセオは最後まで自分のやり方を貫き続ける。真相に到達した彼は結構危険な目に遭うのだが、そこで実行した「俺流」は唖然としてしまうほど無茶だ。生物学的に壊れてるぜ、セオ。

 学者が専門を生かして探偵活動を行う作品といえば有名なのはアーロン・エルキンズが創造した人類学者〈骨探偵〉のギデオン・オリヴァーだろう。ここまで生物学探偵と書いてきたが、実はセオの専門は生物情報工学であり、フィールドワークを主とする学者ではない。本人の言葉を借りるなら「計算科学の手法を生物学に応用」した学問であり、コンピューターに向かうことのほうが多いのだという。本書における探偵活動でもその情報工学者としての知識が存分に発揮される。彼が犯人を狩るために用いた技法は一見の価値ありだ。

 本書の作者はマジシャンとしても高名で、デイヴィッド・カッパーフィールドに次ぎ、史上二人目の若さで世界ツアーに出たイリージョニストなのだという。すでに十冊以上のミステリーの著書があり、本書はセオ・グレイが登場するシリーズの第一作にあたる。デビュー作ではなかったというのが逆に意外だ。なぜかと言えば上に書いたような捜査活動の無茶を含め、結構荒っぽいところがあるからである。たとえばセオが自身の考えに基づいて活動を繰り広げるくだりなどは、理論と実際がそんなに一致するものだろうか、と首を捻ってしまう。ちょっと話したことがあるだけの女性とすぐに親密になってしまったりするのはこの手の小説のお約束だから別にいいが、リアリティー・レヴェルに疑問符をつけたくなる箇所があちこちあるのだ。あ、そうか。小説のほうもイリュージョニストだからいいのか。

 そんなわけで厳密な謎解きを求める方にはやや物足りない部分もあるかもしれない。だが、細かいことを言わない、大雑把でも派手な展開のほうがおもしろいじゃん、という向きにはお薦めできるアクション・スリラーである。なんたって熊だもの。そしてとんでもない犯罪計画の話だもの。スーパー学者の冒険譚、できれば次作も読んでみたいものだ。

(杉江松恋)

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