【今週はこれを読め! ミステリー編】英統治下インドでもがく警部と部下『カルカッタの殺人』

文=杉江松恋

  • カルカッタの殺人 (ハヤカワ・ミステリ 1945)
  • 『カルカッタの殺人 (ハヤカワ・ミステリ 1945)』
    Mukherjee,Abir,ムカジー,アビール,義進, 田村
    早川書房
    2,310円(税込)
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 解けない謎があることのもどかしさを楽しさに変換してくれる警察小説だ。

 アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』は、インド系二世の英国人作家のデビュー作である。訳者あとがきによれば、デイリー・テレグラフ/ハーヴィル・セッカー犯罪小説賞において、427篇の応募原稿の中から満場一致で第一席に選出された作品であるという。デビュー作とはいえ、筆致はおちついており、若書きに見える箇所はほとんどない。初めから完成されて世に出てくる作家というのはいるものだが、どうやらムカジーもその一人らしい。

 物語の舞台は1919年、大英帝国統治下インドのカルカッタである。現在ではコルコタの呼称に改められたこの都市は当時、主として白人の住むホワイト・タウンとインド人の住むブラック・タウンに分かれた、植民地支配の縮図のような場所だった。そのブラック・タウンでイギリス人の惨殺死体が発見されることから話は始まる。殺されたアレグザンダー・マコーリーはベンガル州政府の財務局長を務め、副総督ステュワート・キャンベル卿の懐刀と目される人物だった。発見された死体の口には、ベンガル語で書かれたメモが突っ込まれていた。状況からは英国統治に反対するテロリストの仕業のように見える。現場の指揮を執るサミュエル(サム)・ウィンダム警部にとっては、インド帝国警察に赴任後初の大事件となる。慣れないカルカッタの風俗文化に戸惑いつつ、彼は捜査を進めていくのだ。

 インドを舞台とした英国警察小説にはH・R・F・キーティングのガネッシ・ゴーテ主任警部シリーズ(ハヤカワ・ミステリ『雨に濡れた警部』他)などの前例がある。本書の魅力は、イギリスによる植民地支配が物語の前提にあることで、その体制が揺らいでいく前夜の状況が背景に描き込まれている。わずか15万のイギリス人が3億のインド人の上に立つことができたのは、支配される側に確固とした民族意識が欠けていたからである。分断が抑圧を受け入れてしまう大きな原因になっていたのだが、意識の萌芽は避けられず、それがやがては独立運動へと向かっていく。本書の中でもガンジーの非暴力主義について言及されている箇所があり、すでにそうした変化は始まっていることがわかる。その中でイギリス人として体制を守り、変化の波を押しとどめる側の警察官を本書は主人公にしているのである。

 本書の主人公であるウィンダム警部は、第一次世界大戦に参戦して負傷し、しかもその間に最愛の妻をインフルエンザの流行によって喪うという体験をした人物だ。いっぺんにすべてを失ってしまった彼は、鎮痛のためにモルヒネを投与されたことがきっかけで阿片中毒者になっていた。そのことを隠してインドに赴任してきたのである。不安定で、ともすれば自暴自棄な行動をとりがちなウィンダム警部にとって唯一の心の拠り所は、警察官としての自分は真実を追究する公明な人間であるという職業上の誇りだ。マコーリー殺害事件にはカルカッタの政治事情が絡み、軍情報部であるH機関からの干渉を受ける。それに抗いつついかに捜査の常道を守っていけるかということが本書の読みどころになるのである。

 そのウィンダム警部の下で働くことになるのがサレンダーノット・バネルジー部長刑事だ。インドのカーストでは高位にあるバラモンの出身である彼は、本当はサレンドラナートなのだが、イギリス人が発音しやすいようにこの名を使っている。ケンブリッジ大学を出たエリートであり、インドの将来のために働くことを夢見る青年だが、警察という保守的な組織の中では従卒のような扱いを受けざるを得ないのである。その彼もまた、事件に政治的な背景があることで傷つき、インド人としての自我と警察官としての立場の間で引き裂かれるのだ。

 最初はイギリス人の上司とインド人の部下という関係にすぎなかったウィンダムとバネルジーの間に、それを越えた交流が生まれていく。本書を読んで連想したのが、アパルトヘイト政策が健在だったころの南アフリカ共和国を舞台にして書かれた警察小説、ジェイムズ・マクルーアの『スティーム・ピッグ』(ハヤカワ・ミステリ)だった。支配層である白人のトロンプ・クレイマー警部補と、被支配層であるバンツー族のミッキー・ゾンディ刑事のチームとしての絆を描いた相棒小説でもあり、シリーズ化されて好評を博した。アパルトヘイトは登場人物の設定のみならず、二人が扱う事件の深層にも絡むものとして描かれたのである。社会の歪みが表層に現れたものが犯罪なのだとしたら、クレイマー&ゾンディ・コンビは事件を通してアパルトヘイトと対決していると言ってもいい。それと同種の構造を、この『カルカッタの殺人』にも感じたのだった。

ムカジーは本書の続篇であるA Necessary of EvilとSmoke and Ashesをすでに発表しているが、いずれもCWA(英国推理作家協会)のヒストリカル・ダガー賞他にノミネートされている。高評価の理由は定かではないが、ウィンダム&バネルジーというコンビの魅力もさることながら、植民地支配という過去に向き合う作者の姿勢ももちろん加味されてのことだろう。自国の歴史に正しく向き合うことは現在を見通す視点の強化につながるのである。

 歴史ミステリーとしての美点について主に触れてきたが、謎解きのおもしろさあっての作品であることは強調しておきたい。本書におけるウィンダムは、推理の行方が定まらずに右往左往しているように見える。上述したような政治的背景が彼に落ち着いて考えることを許さないからである。マコーリーの事件を捜査しようとすれば、テロリスト対策に腐心するH機関が割り込んできて現場を押さえてしまう。その対策もウィンダムは考えなければならないのだ。あまりに夾雑物が多すぎ、それを取り除くのに時間がかかる。推理を脇道に逸らす誤った手がかりのことをレッド・ヘリングと呼ぶが、大いにそれが撒かれた作品なのである。

 話を混沌とさせるものはレッド・ヘリングだけではない。うだるような熱を伴うカルカッタの気候もその一つであるし、ウィンダムを苦しめる阿片中毒の禁断症状もある。ウィンダム自身がそれほど強くはなく、妻の死と戦争によって一度は破壊された人間であることも忘れてはいけないだろう。しがらみを引きずりつつ、それでも真実に到達するために彼は歩みを止めないのである。だからこそ、それしかないだろうという結論にウィンダムが達したときの快感は大きくなる。長い物語を読み進めた甲斐があると嬉しくなるのだ。不快指数100%の屋外を歩き回って大いに汗をかいた後で、シャワーを浴びたような感覚とでも言うべきか。本書を読みながら飲むビールは格別であろうと思う。

(杉江松恋)

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