【今週はこれを読め! ミステリー編】著者自身がワトソン役の謎解き小説『メインテーマは殺人』

文=杉江松恋

  • メインテーマは殺人 (創元推理文庫)
  • 『メインテーマは殺人 (創元推理文庫)』
    アンソニー・ホロヴィッツ
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 一口で言うなら信頼関係がないホームズとワトスンなのである。

 アンソニー・ホロヴィッツ『メインテーマは殺人』(創元推理文庫)のことだ。

 昨年の『カササギ殺人事件』は年間を代表する一作となった。今世紀に入って翻訳された謎解き小説の中では最も優れているのではないかという声もある。その程度は決して過褒ではなく、作中作、上巻と下巻の間に驚きを仕込んだ二部構成といった趣向に決して負けない中心軸の強さを持った作品であった。謎解き小説として高く評価されたのは、どんでん返しの驚きにのみ頼るのではなく、読者に手がかりを呈示するフェアプレイ精神が横溢していたからに他ならない。そのホロヴィッツが連作になることを宣言して書いた長篇なのだ。期待するなと言う方が無理である。

 というわけで『メインテーマは殺人』である。先に書いてしまうと、文庫解説を担当したのは私なので、本欄で紹介するのはいささか気が引けるのだが、今年の話題作となることは間違いないのでお許し願いたい。

 本作で語り手を務めるのはアンソニー・ホロヴィッツ、すなわち作者自身である。作家が語り手本人として探偵の助手を務める連作は、S・S・ヴァン・ダインのファイロ・ヴァンス・シリーズなど多くの先例がある。『メインテーマは殺人』の特徴はホロヴィッツが、作中人物の自分を読者が実像と同一視するように気をつけながら書いている点だ。つまり、自虐の笑いをやりやすくするように配慮している。ミステリー・ドラマの脚本やヤングアダルトの探偵もので一応は知名度を得てきた作家が、コナン・ドイル財団公認の新作シャーロック・ホームズ長篇『絹の家』を上梓して手応えを得た、というところは現実のホロヴィッツそのまま。次に書くものは勝負作になるはず、と意気込んでいるところにやって来るのが、面識のある元刑事のダニエル・ホーソーンという男だ。

 ホーソーンはロンドン警視庁を退職したが、まだ顧問としてつながりを持っているという。難事件が起きると、裏からこっそり依頼がくるのだそうだ。その彼は現在、不思議な事件を担当しているという。ダイアナ・J・クーパーという資産家の女性が、葬儀社に行って自身の葬礼の手配をしたその夜に何者かによって絞殺されたのである。ホーソーンはその事件を捜査する自分を取材してノンフィクションにしないか、と作家に持ちかける。つまりホームズにとってのワトスン役を務めろ、ということである。次回作で頭がいっぱいのはずのホロヴィッツだったが、うっかり事件に関心を持ってしまい、とある出来事で読者の一人から作家としての姿勢を見直したくなるようなことを言われてしまったのも手伝い、ホーソーンの申し出を呑んでしまう。

 巧いのはホーソーンが狷介な性格の人物に設定されていることで、自尊心肥大気味に誇張して描かれるホロヴィッツとはいちいち衝突する。たとえば関係者に証言を聞いてまわる際、捜査のしろうとである作家が横から余計な質問をするのを嫌がるし、明らかな態度で彼を馬鹿にするのである。そのためにホロヴィッツはむきになる。なんとかして自分も頭がいいのだと証明しようと奮闘するのだが、それがノイズとして働き、捜査を思わぬほうへと向かわせてしまうことになるのである。ぎくしゃくしているだけではなくて、ぎすぎすもしている。

 ホーソーンは無遠慮な人間だから、ホロヴィッツにとっては踏み込まれたくないところにまでずけずけと物を言う。本書の第一章の書きぶりがまずい、事実関係がきちんとその通りに書かれていないと、文章にまで駄目だしをするのである。もちろんそうすることで、記述が作中人物であるホロヴィッツの脚色を廃し、事実そのままを記していると読者に宣言しているわけである。

 物語は基本的に、ホーソーンとホロヴィッツが関係者を訪ね歩く形で進んでいく。それだけでは退屈するだろうと判断した作者は、途中に複数の遊びを準備している。ホロヴィッツを脚本家として採用するために渡英したスティーヴン・スピルバーグとの会議をホーソーンが台無しにする、という笑えるが気の毒な話をはじめ、読者を飽きさせない脇筋がいくつかあるが、この作者は油断がならないので、どの章も読み飛ばすのは危険である。一見何でもないように思われる箇所に、とんでもなく重要な伏線が隠してあることがあるからだ。緩急をつけるのが巧みな作者はだいたい伏線を埋めるのも上手い。はい、これは覚えて帰ってください。

 最初のほうに書いたように、ホロヴィッツはフェアプレイを遵守する作家なので、手がかりにつながる伏線をサービス満点に振り撒いている。可能であれば、どこに何が埋め込まれていたか、メモを取りながら読んでみても楽しいはずである。もちろんそこまでマニアックにならなくても、ホーソーンとホロヴィッツのごたごたを追いかけながら読むだけでも十分に満足できる。

 ホロヴィッツが自身を少々面倒臭い性格に設定しているのは、ホーソーンをいかようにでも書けるようにするためだろう。視点人物が自虐気味なので、観察対象である探偵を持ち上げても、からかっても嫌味にならないのである。たとえばホーソーンを鼻もちならない奴に見せたままで、ちょっとほろりとするような言動をさせることも可能だ。コナン・ドイルはどちらかといえば生真面目な性格だったので、ワトスンの目からホームズを滑稽に描くことはあまり得意ではなかった。『絹の家』を読む限りではホロヴィッツはそのへんをきちんと分析している。現代版のホームズを描くなら、まずワトスンの視座をなんとかしなくては、と意識したはずだ。その結果生まれたのが、このコンビなのである。なるほど、こういう手があるのか、と感心させられた。すでに第二作は発表されているようだが、きっとおもしろい連作になると思う。第一作から読んでおくことをお勧めする次第だ。

(杉江松恋)

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