【今週はこれを読め! ミステリー編】最も読むべき翻訳ミステリー・アンソロジー『短編ミステリの二百年vol.1』

文=杉江松恋

  • 短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)
  • 『短編ミステリの二百年1 (創元推理文庫)』
    モーム、フォークナーほか,小森 収,深町 眞理子ほか
    東京創元社
    1,430円(税込)
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 21世紀に入ってから、という限定付きではあるが、これは最も読むべき翻訳ミステリー・アンゾロジーになるであろう。
 ただし、まだ完結していない。第1巻が出たばかりだ。

 小森収編『短編ミステリの二百年vol.1』(創元推理文庫)がそれだ。ミステリーの歴史を学びたい、あるいは、ミステリーにおける良い短篇の条件とは何かを知りたい、という方は必ずこの本を読んだほうがいい。第1巻が出たばかりでそんなことを断言するのは、本書が、東京創元社のウエブサイト「webミステリーズ!」上の小森収連載を元にしたアンソロジーだからである。

 すでに創元推理文庫には『世界推理短篇傑作集』全5巻というアンソロジーがある。過去に出ていた『世界短篇傑作集』全5巻の改訂版で、編者は言わずと知れた江戸川乱歩だ。エドガー・アラン・ポー「盗まれた手紙」(1948年)からデイヴィッド・C・クック「悪夢」(1951年)に至るミステリーの歴史を、年代順に編成した短篇の数々で見せるというもので、ここからミステリーの世界にはまっていった読者も数多い。

 当然ながら小森は同書を強く意識しており、『世界推理短篇傑作集』の「〈影の内閣〉とでも呼ぶべき作品群」を再読することが出発点だと巻末の長篇評論(の第1章)「短編ミステリの二百年」にも書かれている。両書を併読することで、世界は大きく広がることになるのだ。この志の高さには脱帽するしかない。いや、読むだろう、絶対に。

『世界推理短篇傑作集』同様、歴史を追っていく趣向のアンソロジーなので、本書も基本的には古いものから新しい作品へという収録順になっている。最も発表年度が古いのは、二番目に載っているロバート・ルイス・スティーヴンスン「クリームタルトを持った若者の話」だ。『新アラビア夜話』の冒頭を飾る話で、『自殺クラブ』の邦題で同短篇集は紹介されることもあるのでご存じの方も多いだろう。巻頭のリチャード・ハーディング・デイヴィス「霧の中」は1901年の作品なのでスティーヴンスンよりも後である。

 なぜこういう逆転が起きるのかは私が書くよりも小森の評論を読んで知ったほうが本書を楽しめるはずなので、ここでは書かない。いったん収録作に全部目を通し、最後に評論を読む、というのが推奨の鑑賞法である。それだけではちょっと不安が残る、という方のために書くと小森は、ミステリーが現在のような形に発展してきた背景に個々の作家の営為を見ようとしている。全体を通して読むと、個別には作家論となり、全体としては技術論になるだろうという展望が本書からも見えてくるのだ。本書が〈影の内閣〉であるのは、乱歩のアンソロジーが探偵(ディテクション)をミステリーの正統と見なして編纂されたものであるのに対し、それだけではこの小説形式は語れないのではないか、という問題意識があるからだ。おそらく乱歩もその問題には気づいていて、だからこそ〈奇妙な味〉という魅惑的な用語を発明したのだが、というのはもうちょっと後で出てくるお話。

 ざっと作家名を挙げると、デイヴィス、スティーヴンスン、サキ、ビアス、モーム、ウォー、フォークナー、ウールリッチ、ラードナー、ラニアン、コリアの11人12編が収められている。数が合わないのは、サキのみ2篇収録だから。それぞれ、どれを採ったのか、自分ならこれを選ぶのに、などと品定めをしながら読むのがこの手のアンソロジーの楽しみだ。

 たとえばイギリスの作家イーヴリン・ウォーであれば、私ならば採るのは「勝った者がみな貰う」なのだが、小森は「アザニア島事件」を選んでいる。この2篇は両方とも高儀進編訳の『イーヴリン・ウォー傑作短篇集』(白水社)に収録されている。一応書いておくと同書には、長篇『一握の塵』(彩流社)の最終章のみを短篇として独立させた「ディケンズ好きの男」、名高い『37の短篇』(早川書房。後にハヤカワ・ミステリ『天外消失』『51番目の密室』として分冊刊行)ほか、数々のアンソロジーに収められている「ラウデイ氏のちょっとした遠出」など、ミステリー愛好者向けの作品で邦訳のあるものはほぼ網羅されている。「アザニア島事件」は高儀本が初訳なので、そのへんも選んだ理由かもしれない。

 アザニアというのは架空の島でアフリカ東海岸上に存在する。政変を描いた1932年の諷刺小説『黒いいたずら』(白水社)の舞台でもあって、本篇はその後日譚にあたる。物語の中では英仏の合同保護領になっていて、イギリス人たちはあたかもそこが祖国であるかのように、すなわちイングランドのみに通用する狭い規則を厳格に遵守することで秩序を保ちながら暮らしている。そこに、一人の新参者がやって来るのである。石油会社の代理人を務めるブルックス氏の娘、プルネラだ。見目麗しい令嬢の登場に、イギリス人たちの社交界は色めき立つ。彼女のお相手候補として二人の独身男性が注目を浴びるようになり、熾烈な恋の鞘当ても始まるのである。だが、意外な出来事によってそれは中断される。プルネラが姿を消し、身代金の要求が始まったのだ。

 誘拐を扱っているので間違いなく犯罪小説と呼べる作品である。ところが収録作の中には犯罪が主題にはなっていないものもある。それがなぜ入っているのか、という解釈は読者各自に任されているので、くどいようだがまずは自分で最後まで読み、しかるのちに小森の意見に目を通されるのが吉。こうした読み方がミステリーにはできるのか、という驚きが、どんな読者にも必ず一つはあるはずである。

 本当は評論の中身についても触れたいのだが、もう書かない。「webミステリーズ!」連載を大幅加筆しているらしく、読み応えたっぷりである。なにしろ全体の三分の一近くが評論なのだ。これを早く全部読みたい、と見悶えすることは請け合い。

 書かないと言ったが、読みたい気持ちにさせるために、私が気に入った文章だけ断片的に引用しておく。このわくわくする感じ、伝わるだろうか。


----その結果としてロイ・ヴィカーズが盗賊ものと倒叙もので名を残したというのは、このふたつに、発想として類似した形があったからでしょう。そして、それをハウダニットと呼ぶことで、ひとつの概念が明確になるのです。




----事件の全貌を隠しながら、あるキイパースンを描く。事件が解明されたのちに、その描写は完成し、遡って人物像が浮かび上がる。その一点に、この作家(注:アガサ・クリスティ)の技術の洗練はあったと、私は思います。




----こういうタイプのクライムストーリイは、えてして、意外な結末といった形の評価の仕方をされるものですが、それは読む側の思考停止の一種というものでしょう。



 ここまで。どうですよ、これ。

(杉江松恋)

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