【今週はこれを読め! ミステリー編】孤独な少女の生きる姿を描く『ザリガニの鳴くところ』

文=杉江松恋

  • 【2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位】ザリガニの鳴くところ
  • 『【2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位】ザリガニの鳴くところ』
    ディーリア・オーエンズ,友廣純
    早川書房
    2,090円(税込)
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 かけがえのない自分という存在を、どうぞ大事に。

 新型コロナ・ウイルス感染によって引き起こされた社会不安はなかなか解消の兆しが見えない。今はこれ以上の拡大を避けるため、じっと家に引き籠って沈静化を待つ以外にない。健康に気をつけて、静かに暮らしていこう。

 もし暇を持て余しているようなら、この機会にぜひ読んでもらいたい小説がある。

 ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)だ。2018年に刊行されるや、たちまち話題になり、2019年にはアメリカでいちばん売れた本となった驚異のベストセラーだ。邦訳書刊行から1月半が経過してしまったのだが、2020年を代表する作品となることは間違いない。大人が読んでおもしろいことは言うまでもないし、もし身近に中学生ぐらいの若い方がいたら、薦めてあげてもらいたい。世代を超えた対話が可能となる小説だからだ。

 これは、自尊感情を持つことの大事さを教えてくれる教養小説であると同時に、息詰まるスリルと共に物語られる謎解き小説である。

 舞台となるのはノース・カロライナ州の、海岸に近い一帯だ。アメリカ建国前後に派遣された調査隊はこの地域を大西洋岸の墓場と呼んだ。海岸線が入り組んでいるために船の難破事故が相次いだからである。その地形ゆえに残る湿地は、一般の住民からは見放されている。

 湿地に建てられた見すぼらしい小屋で暮らす家族がいた。貧しい暮らしを送る一家からは、次々に成員が消えていく。まず、母親が去った。一足しか持っていないよそ行き、ワニ革風の靴を履いて、ふらりと出ていってしまう。続いて上のきょうだいたちも。最後に兄のジョディが出ていき、後には6歳のカイアと、酒浸りの父親だけが残された。

 1952年、父親も滅多には帰って来ず、棄てられたも同然のカイアは1人で生きるための努力を始める。中盤までは2つの時間軸が並行して語られていく小説であり、これが過去のパートである。現在のパートは1969年、湿地の中にある火の見櫓の下で男性の死体が発見されることから始まる。死者の名はチェイス・アンドルーズといい、町でもよく知られた快活な青年だった。

 死体の発見された現場には不可解な点があった。死体の周囲にはまったく足跡がなかったのだ。チェイスの足跡も、もしも彼が殺されたのだとしたら彼を死に至らしめた者のものも。現場を調べに訪れたジャクソン保安官は火の見櫓の床板が開いているのに気がつき、何者かがそこから被害者を突き落としたのだと結論づけた。故人には艶聞が絶えなかった。おそらくはそれ絡みで怨みを抱いた者の犯行だろうと。そしてジャクソンは、ある人物に疑いをかける。

 人権意識が現在よりもはるかに未発達であった時代の物語である。巻頭の地図にはカラード・タウンの文字が見える。有色人種の居住区だ。カイアもまた、一般の白人住民からは差別を受ける存在だった。いつしか〈湿地の少女〉と呼ばれるようになった彼女は、街に行けば汚らわしい者として蔑みの視線を向けられるのである。親に捨てられ、一人で生き抜こうとしているだけなのに。誰も救いの手を差しのべようとせず、彼女を無視し続けた。カイアに生活必需品を売ってくれる、ジャンピンとメイベルの黒人夫妻など、ごくわずかの例外を除いて。

『ザリガニの鳴くところ』という印象的な題名は、カイアに自然の恵みを与えてくれる湿地を指した言葉に由来する。〈湿地の少女〉はある日、自分への捧げもののように珍しい鳥の羽根が置かれていることに気づく。贈り物の主である〈羽根の少年〉ことテイトは、やがて唯一の年齢が近い友人になっていくのだが、彼との会話の中でこの表現が出てくる。「茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きて」いるのが〈ザリガニの鳴くところ〉である。そこは親の愛を知らないカイアに、代わりともいえる抱擁を与えてくれる場所であった。街の住民からの理不尽な仕打ちから逃れるために、カイアはしばしば湿地の奥に逃げ込む。

 1952年に6歳だったカイアは、チェイス・アンドルーズの死体が発見された1969年に向けて成長していく。母に去られ、父に見捨てられた少女の喪失感は、やがて自分は何者でもなく、誰とも違っていて、決して愛されることはないのだという身を切るような孤独へと変質する。自我を獲得すればするほど、彼女は一人である自分を意識するようになるのだ。



「テイト、よく聞いて。私はずっと誰かといっしょにいたいと願ってきた。寄り添ってくれる人がいるはずだと信じていたし、友だちや家族ももてるだろうと本気で思っていたわ。私にも仲間ができるはずだって。でも、みんな去ってしまった。あなたも、私の家族も、ひとり残さず。そしてようやくわかったの。どうすれば折り合いをつけられるのか。どうしたら自分を守れるのか[......]」



 自分は孤独なのであり、一人だから自分でいられるのだというカイアの主張は胸の痛むものである。そうしなければ自分を守れないという彼女の言葉には根拠があり、安易な同情を拒む。残酷な世界で一人の女性が尊厳を侵されずに生きることがいかに難しいかを、作者は時に残酷にさえ見える筆遣いで綴っていく。

 カイアの言葉に耳を傾けるうちに読者は、もう一つの主題であるチェイス・アンドルーズ殺人事件の謎解きが始まっていることに気づくはずだ。現場の状況はさながら不可能犯罪小説のようであり、ページを繰るごとに真相を求める関心は高まるだろう。偏見に満ちた社会では、歪んだ思考が支持されることもある。この小説で描かれるのは、疑わしい者をまず疑え、という贖罪の羊探しのような捜査活動だ。その愚かさに歯ぎしりしたくなる。

 先にも書いたように教養小説としての完成度が高い作品なので、あえてミステリーとして読まなくてもかまわない。だがミステリー読者であれば、とりわけ論理による謎解き小説を好む方ならば、この小説をより一層深く味わうことができるはずだ。これが初めての小説執筆だというのに、作者の書きぶりは素晴らしいものがある。登場人物はそれほど多い小説ではないが、犯人当ての関心は最後までいささかも減じることがないのである。

 優れた小説にはあらすじだけではなく、表現それ自体に秀でたところがある。ディーリア・オーエンズは動物行動学の分野で実績のある科学者で、『カラハリ アフリカ最後の野生に暮らす』(マーク・オーエンズとの共著。早川書房)という訳書がある。その自然描写は絶品で、特にカイアの心理を代弁するかのように披露される湿地のパノラマ、人間たちの愚かさを尻目に優雅に振る舞う動物たちの生態は、出てくるたびにページを繰る手を止め、何度も読み返したくなるほどであった。少し長いが、その一ヶ所を引用して、この文章を終えたい。力強い、本当に力強い小説である。



----地平線に細長い黒雲が現れ、それがみるみる上昇しながらこちらへ迫ってきた。大気をつんざく音が急速に密度を増して大きくなり、あっという間に頭上に広がりはじめた雲は、気づくと青い部分がひとつもないほど空一面を埋め尽くしていた。何万、何十万という数のハクガンだった。それが翼を羽ばたかせ、鳴き声を上げ、空を滑って世界を覆わんとしているのだ。渦を巻く塊が大きく傾いて旋回し、着陸体勢に入った。そして、五十万対はありそうな白い翼がいっせいに広げられ、桃色を帯びたオレンジ色の足が伸び、鳥たちの吹雪が地面に近づいてきた。[......]



(杉江松恋)

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