第85回:佐藤賢一さん

作家の読書道 第85回:佐藤賢一さん

中世や近世のヨーロッパを舞台にした歴史小説を中心に発表、歴史的人物を活き活きと描写し、史実の意外な裏側を見せて楽しませてくれる佐藤賢一さん。カエサルやアル・カポネ、さらには織田信長など、時代や場所を広げて執筆する一方、今月からいよいよフランス革命を真っ向から描く大作の刊行がスタート。そんな歴史のエキスパートの読書歴には、驚きがつまっていました。

その3「研究生活の反動で、小説を執筆」 (3/6)

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――読書生活はいかがでしたか。

佐藤 : 大学院の最初の1年くらいまでは読めたのかな。それからは資料しか読めないようになって行きました。たぶん今思うと、そうして小説を離れたことのストレスがあったんだと思うんです。その息苦しさの反動で、自分で書くようになったんですよね。

――反動といっても、なぜ、自分で書こうとしたんでしょうね。

佐藤 : 僕が卒論を書いた頃って、ワープロを使う人と手書きの人と半々くらいだったんです。でも、修士論文を書く頃になると、ほとんどの人がワープロで。僕は出遅れた感があって。春休みに、ワープロの練習として、最初は勉強のことを打っていたんですが、だんだんつまらなくなってくるし、何枚も打てるものではないので、たまたま当時勉強していた事柄に関する一人一人に台詞を言わせてみたら、面白くて。それで悪ノリして春休み中書き続けたんです。それが最初の小説の原型です。

――それが小説すばる新人賞を受賞した『ジャガーになった男』ですか。

佐藤 : いえ、実は『傭兵ピエール』のほうが先なんです。春休みに書いたのは、それのあらすじみたいなものですね、今考えると。その時は作家になる気持ちはなかったんですが、せっかく書いたのだから送ってみようと思って。送ったことも忘れていた頃に最終候補に残ったという連絡をいただきました。その年は新人賞を取れなかったのですが、編集者の方から来年もう1回書いてみないか、と言われ、それで次の年に書いた『ジャガーになった男』でデビューしたんです。

――それが93年のことですね。その時には小説を書く面白さに目覚めていたわけですか。

佐藤 : いや、まだすんなりとはいかなくて。デビューしたのが25か26歳くらいで、まだ大学院にいたんですよね。勉強をしないといけないし、一方で小説もやりたいし、と、二足のわらじを数年続けました。その時期が自分の中では一番苦しかった。歴史学を勉強して歴史小説を書くのだからこんないいことはないと言われそうですが、やっている本人からすると、論文みたいな小説になったり、小説みたいな論文になったりと、どっちつかずのものしか書けなくなってしまうんですよね。小説とは何か、論文や研究とは何か、自覚しないと書けないわけで、それがすごく難しかった。デビューしたものの今さらながら悩んでしまい、それで小説とは何なんだ、とすごく考えて、第二の波がきたんです。もう一度、小説を読むということを始めたんです。

――その時はどんなものを。

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佐藤 : まず自分に近い分野を、と思って、司馬遼太郎や山本周五郎、同郷ということで藤沢周平も読みました。司馬遼太郎の『国盗り物語』なんかは、破綻しているといえないこともないくらいエネルギーがあって、こういう歴史のエネルギーを取り込んで小説を書けるというのはすごく幸せなんだなと思いました。一方で、自分とかけはなれた分野って何だろうと考え、純文学の女性作家作品になるのかなと思い、そうした作品もたくさん読みました。

――純文学作品を読んでどう思いましたか。

佐藤 : 自分がやっている小説というのは、勘違いしやすい分野なんだろうなと思いました。歴史って大きいですよね。だから書くほうもつい"小"説ではなく"大"説を論じたくなるんです。でも、だったら"小"説でなくていい。あくまでも小説は"小"説なんですよね。それは個人個人の中、人の心の中にあるものであって、それを書いていくのが小説の基本。その積み重ねが歴史小説なんだと思いました。そこから書き方が変わったところがあって。それまでは歴史から書いていたんです。でも、それからは歴史のことは最後に書くようになりました。まず手書きの下書きの段階で、主人公の台詞や心理描写から書く。それを打ち込んで画面を見ながら推敲していく中で、歴史的背景を挿入していくという感じ。あくまで歴史は付録、というと語弊があるけれど、主は人間であるんだというように変わりました。

――それがどの当たりを執筆されていた頃ですか。

佐藤 : 『双頭の鷲』ぐらいが過渡期で、『王妃の離婚』あたりでは完全に新しい書き方になっていました。

――『王妃の離婚』で直木賞を受賞されたのが1999年。その頃、大学院は...。

佐藤 : 修士を終えて博士に行って二足のわらじに悩み、退学したのが98年です。研究と小説をどちらを選ぶか数年間悩み続けて、漠然と小説ってこうじゃないかと見えた時に、小説のほうにいこう、と決めたわけです。でもそこからは現実との闘いでした。当時、僕は奨学金をもらっていたんです。大学院の奨学金って月10万円くらいくれるので、それで食べていけるし本も買えた。ただ、教職につけば返さなくてもいいんですが、そうでない場合は返さないといけないんです。で、考えてみると修士と博士と全部もらっていたので、合計で800万円くらいになるんです。それを背負って作家一本でやっていきますといっても、生活だっておぼつかない。それで学籍を抜くことができずに、半年休学しては復学したりということを繰り返して、それで98年にさすがに無理だろうということで退学届けを出しました。

――その翌年に直木賞という、大きな結果を出されたわけですね。

佐藤 : 僕も予想していなくて。1年間で20万円ずつ奨学金をなんとか返していけるかなという算段で作家になったので、その後すぐというのはラッキーだったなあと思います。

――司馬さんの作品でエネルギーを感じたとのことでしたが、佐藤さんの描く登場人物も破天荒でパワフル。活き活きとしたキャラクターづくりは、どうされているのですか。

佐藤 : 書いているうちにキャラクターが出来上がっていく。この性格でこれはやらないだろう、ということはさせません。逆にこの人ならやりかねない、ということなら、事実ではないことでも書くことはあります。その人物について諸説残っている時も、一番人間臭い説をとるようにしています。日本人が持っている中世や近世の欧米のイメージって、『ベルサイユのばら』が一里塚になっていると思うんですが、キラキラと輝いた先進国のイメージ。もっと自分たちと同じ身近な人間であり、ヨーロッパの歴史だって難しくないんだと示したいなら、人間の汚い部分、あさましいところを書いていかないと、と思って。それで、人間臭くて醜い主人公が多いんだと思います。

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