第91回:柴崎友香さん

作家の読書道 第91回:柴崎友香さん

ふと眼にした光景、すぐ忘れ去られそうな会話、ふと胸をよぎるかすかな違和感。街に、そして人々の記憶に刻まれていくさまざまな瞬間を、柔らかな大阪弁で描き出す柴崎友香さん。本と漫画とテレビを愛する大阪の少女が、小学校4年生で衝撃を受けたとある詩とは? 好きだなと思う作家に共通して見られる傾向とは? 何気ない部分に面白さを見出す鋭い嗅覚は、なんと幼い頃にすでに培われていた模様です。

その4「風景に興味を持つ」 (4/6)

――大学生生活はいかがでしたか。

柴崎 : 最終的には地理を専攻して、小説よりも学術関係の本をよく読んでいました。今でも影響を受けています。地理というと、地学っぽく思われたりもしますが、わたしの専攻は人文地理学で、民族学とも近い分野だし、哲学系も関わってきます。専門で読んでいたのはオギュスタン・ベルクという人。西洋や日本の風景をどういう風に認識するかという内容です。地理的環境が違うことによって、文化や思考が違うというような。『風土の日本』、『空間の日本文化』なんかが筑摩書房から文庫で出ていますし、「風土学序説」は卒業して随分経ってから出たのですがこつこつ読みました。他にも、イーフー・トゥアンの「空間の経験」など風景の経験や認識をを掘り下げて解説しているような本をよく読んでいて。環境によって人間の考えていることは違ってくる、そしてそのことが現実の風景にも影響していく、ということに興味があるんです。今小説を書きながらも、そのことはずっと考えています。自分の中では、同じテーマでアプローチの仕方が違うだけだと思ってます。

――柴崎さんの『その街の今は』などは、まさにそうしたことが書かれてある。

柴崎 : あれは卒論の小説版です(笑)。卒論を小説にしたらああなる。あの中に出てくる昔の写真は、ほとんど卒論のときに集めたものがもとになっているんです。卒論のタイトルは「写真による都市のイメージの考察」でした。本当は、最初は美術史をやろうと思っていたんです。なので美術関係の本も印象に残ってます。『ゴッホの手紙』という本があって、これは書簡集なんですが、ゴッホが弟のテオに送った膨大な手紙が収めてられている。絵の具を何本送ってくれとか、お金がないから週末までに...とか切羽詰まった生活が細かく書かれている。最初にアルルに行ったときは意気揚々としているのに、それがだんだん崩れていくのはつらいですが、その中でも、今日はいい絵が描けた、とか、こういうものが描きたいと思っている、という文章もある。何かを創作することの喜びと苦しさがすごくよく分かる本なので好きです。テオの兄を支える愛情も感動的ですし。

――小説はまったく読まなかったのですか。

柴崎 : ちょこちょこは読んでいましたよ。卒業間際くらいに、小説にハマっている友達からポール・オースターを借りて、そこからオースターやレイモンド・カーヴァー、サリンジャーなどアメリカの作家を読むようになりました。オースターは最初に読んだ『鍵のかかった部屋』、カーヴァーは「ダンスしないか?」という短編が好きです。サリンジャーは『ライ麦畑でつかまえて』を読んで、そりゃ若者はこれが好きだろう、そりゃみんな読むだろうって思いました(笑)。SF系もポツポツと読んでいたんですが、特にフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と『流れよわが涙、と警官は言った』が好きで、今でも読み返します。

――ジャンルにこだわらずに読んでいらっしゃる印象です。

柴崎 : 全然気にしていないです。いつの時代とか、どこの国とか、まったく関係なくフラットに、というか、どれも同じスタートラインから読みますね。昔の本、今の本、という区別もないんです。文学史上の傑作を読んでいても「やるなあ、おもろいこと考えてんなあ」って素直に思いますから(笑)。小説、映画、テレビ、漫画、音楽というジャンルにこだわらないのも同じです。

――それから卒業して、就職して。

柴崎 : 小説家になる予定なのに、道を外れてるから早く戻らなければ、と思いました。就職したことによって焦ってちゃんと小説を応募しようと思ったんです。小説もまたたくさん読むようになって。選び方はすごく適当(笑)。そのときどきで、気の向くままですね。友達が面白いといっているものを読んだり、作家に限らず、音楽をやっている人、映画をやっている人で興味がある人、基本的に好きな人が好きな本ですね。好きな映画に出てきた本では、「デッドマン」を観てウイリアム・ブレイクとか、「陽炎座」を観て泉鏡花とか。友達に関しては、私が小説を書いていると言うと「自分がこれが好き」って言ってくれる人が多くて、みんな結構いろんなものを読んでいるんだなって分かって。意外な人が「えっ」というものを薦めてくれるんです。「何が好き?」と訊くと「武田泰淳の『富士』がサイコー! 素敵な人がいっぱい出てくるよ」なんて言ってくる(笑)。そうした読書のなかですごくハマったのが『聊斎志異』や『唐宋伝奇集』ですね。中国の怪談を集めた本で、諸星大二郎の漫画で意気投合した友だちに薦められて。それから、ガルシア=マルケスも最初は友だちに借りた『予告された殺人の記録』を読んだんだと思います。図書館で借りた「族長の秋」が衝撃的だった。「百年の孤独」や「エレンディラ」も好きです。南米独特の文化も反映されてますし。メキシコのルルフォ「ペドロ・パラモ」やナイジェリアのチュツオーラ「やし酒飲み」など、日本とはまったく違う思考回路を体験できる小説が好きで、それは人文地理学への興味とも重なっていると思います。わからないからおもしろい、という感じ。

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