第91回:柴崎友香さん

作家の読書道 第91回:柴崎友香さん

ふと眼にした光景、すぐ忘れ去られそうな会話、ふと胸をよぎるかすかな違和感。街に、そして人々の記憶に刻まれていくさまざまな瞬間を、柔らかな大阪弁で描き出す柴崎友香さん。本と漫画とテレビを愛する大阪の少女が、小学校4年生で衝撃を受けたとある詩とは? 好きだなと思う作家に共通して見られる傾向とは? 何気ない部分に面白さを見出す鋭い嗅覚は、なんと幼い頃にすでに培われていた模様です。

その5「長生き作家が好き?」 (5/6)

ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫
『ポトマック―渋澤龍彦コレクション   河出文庫』
ジャン コクトー
河出書房新社
734円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
草枕 (新潮文庫)
『草枕 (新潮文庫)』
夏目 漱石
新潮社
464円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
彼岸過迄 (岩波文庫)
『彼岸過迄 (岩波文庫)』
夏目 漱石
岩波書店
648円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS

――会社に勤めながら、コツコツと小説を書いていたのですか。

柴崎 : コツコツという感じではないですけれど(笑)。会社に入ってすぐの夏休みに書いた小説が最終選考に残って、3年目のときから仕事として書き始めるようになりました。応募して選考に残ったあとくらいの頃に、ジャン・コクトーの『ポトマック』を読んで。文章と漫画みたいなものと半々なんですが、小説を書くにあたっての決意のようなものが書かれてあって、そこがすごく好き。「シャボン玉」の詩と同じように世界のきらめきに溢れていて、私も読むとやる気が出てきます。小説は、自分がちゃんと書くようになってからのほうが、より一層読む楽しさも分かってきましたね。自分自身の書くという経験、それ以外で人生でしてきたいろんな経験、その両方があって、分かるようになってきたのかなと思います。今が一番読むのもおもしろいし、たぶんこの先ももっとおもしろくなっていくという気がします。会社はその後2年くらいして辞めて、でも小説の仕事もなくて時間があったので、その時期は本はいろいろ読めましたね。保坂和志さんや田辺聖子さんを読み始めたのもこのころです。小説の勉強したいけれど何をしたらいいのかと思って、バンドでもコピーをするし、絵画でも模写をするのだから、とりあえず小説を書き写してみようと。『草枕』が好きだったので、毎日ちょっとずつ写しました。

――書き写すと、やはり何か変わるんでしょうか。

柴崎 : 明確にここが変わる、という感じではないんですが、写しながら読むと見落としていたところや、主人公の考えていることの移り変わりもよく分かるし、細かい表現で気づかされることもある。具体的にこれ、ということはないのだけれど、すごく勉強になったと思います。

――『草枕』を選んだのには、理由があったのですか。

柴崎 : 夏目漱石の中でも一番好きなんです。主人公が絵を描いているし、風景の描写がいい。九州の山奥の温泉の感じとか。描写が可愛いんですよ、漱石って。チャーミングなところがある。『草枕』は飄々とした話で、本人は日本の将来や芸術についてひたすら考えているけれど、実際に起こることはそんなにない。温泉宿に変わった出戻り娘がいてからかわれたり、床屋に行くとなぜか江戸っ子の床屋で剃刀で切られるんじゃないかと心配したり。すごくユーモラスなんですよね。庭にある団扇仙人掌を見て、これはここから生えてきたように見えない、杓文字みたいなものが飛んできてくっついたみたいだ、って思ったり。旅館で出された羊羹の描写を読むと、ああ、この人は本当に羊羹が好きなんだなって思う(笑)。お皿から浮き出てきて、みたいな描写があって。そういうところがすごく好きなんです。有名な書き出しですけれど「情に棹させば流される」というのがありますよね。まわりの世界といかに感情的でないところで関わっているようにしよう、と試みている感覚が面白い。ユーモラスなんだけど「非人情」だし、無常な感じが漂っている。漱石は他にも『彼岸過迄』が好きなんですけど、いきなり、このタイトルは彼岸までに書こうと思っただけで、内容もどうなるかわからない、みたいな前置きで始まってる。短編がいくつか集まった作品で、最初の冒険譚が好きな青年の妙な探偵小説みたいな話もおもしろいし、一つ一つじっくり読んでいくと、最後にいきなり「結末」って書いてあって自分で解説して終わっていて、「えー?」って(笑)。そうした綻びみたいなものがあるのに心ひかれます。いい加減さというか、きっちり作った完璧なものからはみ出しているものが面白いなと思う。そこに、本人も意図していないものが出てきているんですよね。

第一阿房列車 (新潮文庫)
『第一阿房列車 (新潮文庫)』
内田 百けん
新潮社
562円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS

――以前、内田百閒(ひゃっけん)の『阿房列車』や吉田健一の『東京の昔』「瓦礫の中」も面白かったとおっしゃっていた記憶が。なんといいますか、ユーモアのあるおっさんが好きなのかなという。

柴崎 : ああ、いわゆる「大御所」的なイメージの気難しそうなおっさんに可愛いところがあるのに弱いかもしれませんね(笑)。ヘンな人やなーって思う。おいおいってツッコミがいがある小説が好きなのかな。「文豪」ってイメージだけでお勉強っぽく構えてしまう人もたまにいますが、全然そんなことない。もちろん小説の到達点は遙か遠いところかもしれないし、いくらでも考えを深めることができるけれど、こっちから敷居を高くしてしまうのはもったいない。先入観なく読んで自由に楽しんで、考えるのはそれからでいいのになと思います。島尾敏雄の夢の話も好きなんですが、「石像歩き出す」なんて相当ヘンで間抜けなところがある。チェーホフもユーモアと辛辣なところと人間への愛が絶妙にブレンドされてて好きです。チェーホフはあまりに達観しているから年をとっていそうで、意外と早死になんですよね。夏目漱石とチェーホフ、カフカは四十代で亡くなってますが、好きな作家を並べてみると長生きした人が多いんですよ。おじいちゃんでもおばあちゃんでもいいんですけど、長生きする人って、どこか抜けているところがある(笑)。なんといっても体に悪いのはストレスですから、あつかましいところがあったほうがというか、どこかでいい加減なほうがいいのかもしれない。何か欠けていたり、何か過剰なところがあるのかなって思うんです。そういうところが小説にも現れているのが好きなのかな、と。エネルギーというか、なんらかの欲望があるんだな、とも感じますし。「生きていく」って、だいじなことですから。谷崎潤一郎、田中小実昌、深沢七郎なども好きです。日常を逸脱していくようなひずみがある感じが好きです。

» その6「東京生活」へ