第92回:誉田哲也さん

作家の読書道 第92回:誉田哲也さん

『ジウ』や『ストロベリーナイト』シリーズといった女性が主人公の警察小説が大ヒット、と同時に剣道に励む対照的な2人の女子高生を描く青春小説『武士道シックスティーン』シリーズでも人気を博している誉田哲也さん。バンド活動を続け、自分で作詞作曲もしていたという青年が、小説を書き始めたきっかけとは? ラジオで耳にし、その後の創作にも影響を与えた本とは? 意外なエピソードがたっぷりです。

その2「音楽活動に明け暮れる」 (2/7)

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――本はどのように探していましたか。何か参考にしたものなどは。

誉田 : 何を参考にしたらいいのかも分からなかったので、自分で探していました。でも何かの原作が多かったかもしれないですね。だから僕は最初から、小説というものが小説で完結しているものではなくて、他の媒体に流れていくものだと思っていたようです、どうやら。

――メディアミックスを体感していたという。では、本の他には、どんなものに興味があったのでしょう。

誉田 : 14、15歳の頃からロックバンドをやり始めていました。時間もお金もそっちの吸い取られていくので、その後しばらくは読書はしなかったかも。

――どんなジャンルの音楽を。

誉田 : 中学3年生のときにデュラン・デュランのコピーバンドをやって、そのすぐ後に曲を作り始めました。家にカラオケもできるWデッキがあったんですよ。裏から別のオーディオとつなげられたり、マイクも2本入れられるような。それを駆使すれば自分でデモテープを作ることができる。それをもってメンバー募集したり応募したり、ということを高校時代はやっていました。

――音楽雑誌のメンバー募集ページとかですか。

誉田 : 『プレイヤー』という雑誌が今でもあるんです。真ん中にザラッとした紙質のページがあって、それがメンバー募集のページでした。当時は20ページくらいあった。この人いいな、と思うと大阪の人だったりするんですが、そういうのは飛ばして、東京の人が載っているページをじっくり読んで、葉書を出しては会い、電話をかけては会い。メンバー募集と曲作り、そればかりの高校時代でした。コピーをやりたいのではないので、僕の曲を気に入ってくれないと困る。ですからなかなか仲間を見つけるのは難しかったですね。でも高3のときに北海道から出てきたギターとドラムの2人というのがいて。僕はベースを弾きながら歌うので、この3人ならできる、と思いました。しばらく活動していましたね。

――曲作りは、それこそ独学ですか。

誉田 : そうですね。でも行き当たりばったりで曲ができるのは楽しくない。いつでもある程度のレベルで曲ができる方法論がほしくなる。それで中学高校はずっとそんなことばかり考えていました。他の人の曲を聴きながら、盛り上がるサビの部分をどう作ったらいいのか考える。それで仮説を立てるんです。メロディックであることがサビの条件ではないか、とか。でも、メロディックでないサビを発見してしまったら、その仮説は成り立たない。まったくメロディックではないけれど盛り上がって、しかもそれが格好いい曲というのがロックなんかに実際あるんですよね。するとメロディックかどうかということ自体はあまり関係ないんだな、と分かる。そのうちラップも出てきますしね。僕はラップは好きでもなんでもないけれど、そういうものも含めて成り立つ理論を探していたので、例外があってはいけないんです。だからラップだろうと演歌だろうと、当時はなんでも聴きました。音程の上下なども含めていろんなことを考えて、こういう方法はどうだろうと思っても、例外がひとつでもあったらその理論には×をつける。最後に残ったのはリズムでした。『疾風ガール』にも書いた、メロディの中のシンコペーションというのがそれです。

――ああっ。主人公のギタリストの夏美が、シンコペーションについて語る場面がありますね。

誉田 : リズムをずらされると一瞬ハッとするんですよね。出だしのメロディとサビのメロディはほとんど変わらないのに、ちょっとだけリズムが違ったりする。最後のほうだけちょっとひねってあったりするだけで、おっ、と思う。耳を奪われる感覚があるときって、リズムが違うんです。

――それをたった一人で追及されたんですか。膨大な数の曲を聴きながら。

誉田 : 高校3年間はほどんとそれに費やしました。こういうことって音楽の理論書にはほとんど書いていないんです。和音の流れであったり、こういう構成音なら次はこういうことができる、というハーモニーに関する理論のほうが多い。

――クライマックスの作り方というと、小説の書き方に影響はあったんでしょうか。

誉田 : うーん。サビの作り方というものではもしかしたらあるのかもしれないけれど、直結はしていないかな。ただ、20代にやっていたバンドは、ほとんどレパートリーを音源に残しているんです。8曲から10曲入ったデモテープを作っていく。その作業をやりきる根気と本を一冊書く根気が、同じくらいですかね(笑)。

――根気の問題ですか(笑)。

誉田 : 根気の問題です(笑)。やっぱり音楽でも小説でも、うまくいかないことがある。今日できなければ別にいいやって思うんです。2、3日考えれば何か出てくるだろうっていう。諦めるいい加減さは、小説を書き始めたときにはもうあったので。

――大学時代もずっと音楽活動メインだったとは思うのですが、印象に残った本などはありましたか。

誉田 : ちょびちょび読んでいたんでしょうけれど。そういえば、僕は基本的に翻訳モノがダメなんですね。でも印象に残っているのが、エマニュエル・ベアールが出ていた『フランスの女』という映画の文庫があって。彼女が表紙になっているんです。それであの映画の原作か、と思って読んでみたら、これが非常に面白かった。表現もすごくよかった。でも実は、原作を翻訳したものではなくて、シナリオをノベライズしたものだったんです。ああ、だからか、と思ったことがあります(笑)。

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