作家の読書道 第101回:円城塔さん

もはやジャンル分け不能、理数系的で純文学的でエンタメ的でもある、さまざまな仕掛けをもった作風で毎回読者を驚かせる作家、円城塔さん。物理を研究していた青年が、作家を志すきっかけは何だったのか? 素直に「好き」と言える作家といえば誰なのか? 少年時代からの変遷を含めて、たっぷりお話してくださいました。

その1「ヘンな本が好きだった」 (1/8)

  • カメレオンの呪文―魔法の国ザンス1 (ハヤカワ文庫 FT 31 魔法の国ザンス 1)
  • 『カメレオンの呪文―魔法の国ザンス1 (ハヤカワ文庫 FT 31 魔法の国ザンス 1)』
    ピアズ・アンソニイ
    早川書房
    929円(税込)
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  • トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)
  • 『トリフィド時代―食人植物の恐怖 (創元SF文庫)』
    ジョン・ウィンダム
    東京創元社
    1,015円(税込)
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  • ロードス島戦記―灰色の魔女 (角川文庫―スニーカー文庫)
  • 『ロードス島戦記―灰色の魔女 (角川文庫―スニーカー文庫)』
    水野 良
    角川書店
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――古い読書の記憶といいますと...。

円城:あんまりないんですよ。記憶が(笑)。小学生の頃ですよね。高学年くらいになると本を読んでいたはずなんですが、最初はファンタジーものが多かったと思います。よく思い出せないんですけれど、『指輪物語』とか、ハヤカワ文庫で出ていたファンタジーのシリーズを読んでいたと思います。ピアズ・アンソニーの「魔法の国ザンス」シリーズの最初の数巻が出ていた頃だと思いますね。

――そうした本を手にとったきっかけは何だったのですか。

円城:街中の本屋さんに行って、そこで遊んで帰ってくる感じだったと思います。図書館に行った記憶はないし、学級文庫の本がダメだったので。江戸川乱歩がモーレツに並んでいたんですが、子供向けの乱歩って表紙が怖いんですよね。だから触れない(笑)。あとは妖怪なんかの大百科も並んでいて、それも怖くて触れないので、学級文庫には近づけなかったんです。だから本は本屋で探していました。小学校と中学校がごく近くにあったので、どっちに通っている頃のことか記憶が混じってしまっているんですが、畑正憲さんの本も読みました。テレビではムツゴロウさんなんて言われているのに、なんでこんな小説を書くんだろうと。わりと下世話な話が多いんですよ。漁に行って釣ったオットセイと交渉を持つとか(笑)。よく覚えているのは『ゼロの怪物ヌル』ですね。あとはジョン・ウィンダムの『怪奇植物トリフィドの侵略』。大人向けだとタイトルが『トリフィド時代』なんですよね。植物が襲ってくるという話で。

――「少年探偵団」シリーズの表紙や妖怪は怖かったけれど、植物が襲ってくるのは怖くなかったんですね。

円城:植物ですから。そこにちょっと目があったりすると怖いんですけれど、表紙も怖くなかったですし(笑)。ウィンダムがSFだという意識はなかったんですけれど、ヘンなお話が好きだったことは確かで、そうしたヘンなものばかり読んでいました。そうしたら親が心配して「本を読むな」と言われたんです。素直に従って、本当に一時期、本をあまり読んでいなかったことがあります。でも時代が時代なのか、家の棚に世界文学全集が並んでいたんですよね。ブームだったんです。ただ、棚の前にはコケシやアカベコやコーヒーメーカーが置かれていて、明らかに誰にも読まれていない(笑)。『戦争と平和』や『罪と罰』があって、手に取ってはやめる、というのを繰り返していました。そしてコケシを動かしたといって親に叱られる(笑)。中学生時代からドストエフスキーを読んでいました、という文学畑の人とは明らかに違って、むしろドストエフスキーは触ってはいけないものでした(笑)。

――本が好きな子供ではあったんですね。

円城:字を読みだすのは速かったらしいですけど。あと、一人っ子なので、家にいるとすることがないんですよね。僕の世代だと、中高生くらいからライトノベルがどんどん出てくるようになる。『ロードス島戦記』が始まったのもその頃。富士見ファンタジア文庫も出てきて、そっちに手を出したりなんかはしていました。たぶん、ゲーム雑誌にライトノベルが載っていたりしたんだと思います。だからゲームをしながらライトノベルを読んでいた...という、わりと普通の中高生でした。いや、普通だったのか分からないけれど。

――その頃、夢中になっていたことって何ですか。

円城:ないですね(即答)。本当に趣味がないんです。趣味を聞かれるといまだに読書と答えてしまう。体を動かすこともダメですし。泳げないんですよ。水が怖いんです。海水浴はかなり怖い。足がつかなくなって5分くらいするとたぶん死ぬので、わりと本当に怖いです。公園のボートも怖いですね。ひっくり返ったら濡れて困る、というどころじゃなくて、ボートの裏側はツルツルで掴まるところもなくて...と想像して勝手に苦しんでいます(笑)。で、体を動かすことはダメだし、音楽もダメで、それで本くらいしかなかったんですね。そういえば、中学の頃はなぜか美術部に入っていて、絵を描くだけではなく粘土をこねる機会もあって。何を作るでもなく、ずっと粘土をこねていました。当時の何をしていたのかという記憶となると、粘土をこねて、レゴで遊んでいた記憶しかない(笑)。あとはひたすらザリガニを採ったり、ひたすら小さな山椒魚を採ったり。北海道だったせいか、ザリガニも山椒魚も小さかったんですよ。蛙も、大きな蛙は見たことがなかったですね。ハサミムシをひたすら採ったり。何だったんでしょうね、あれ。家に持って帰った時は、大変嫌がられましたけど(笑)。ひたすら何かを採って、飽きるとやめてしまうという傾向はありますね。画用紙で飛行機とかを作り出すと、もうずっと同じものを作り続けていましたから。

――プラモデルとか。

円城:ガンダムのプラモデルってものすごく流行りましたよね。でも、量産するほど買えるわけではないので。それに教えてくれる人がいないんですよね。パテを塗った後、耐水ペーパーで磨けと書いてあるけれど、それを手に入れる方法が分からない。なので、まあ、いいか、と終わらせてしまう。追究の足りない子でしたね。それで、のめりこめなくなると、数で勝負しちゃうという(笑)。

――手先が器用だったのでは。

円城:何かを作ったりするのは好きでした。編み物とかもしてみたかったんですけどね。刺繍とか。暇な時にずっとやっていられますから。これからでも、指編みなんかをやってみようかと思っていて。打ち合わせ中とかに無意識的に編んでるとか(笑)。

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プロフィール

作家。1972年生まれ。 2007年4月、短編『オブ・ザ・ベースボール』で第104回文學界新人賞を受賞。同作品で第137回芥川賞候補となる。その他作品多数。