第101回:円城塔さん

作家の読書道 第101回:円城塔さん

もはやジャンル分け不能、理数系的で純文学的でエンタメ的でもある、さまざまな仕掛けをもった作風で毎回読者を驚かせる作家、円城塔さん。物理を研究していた青年が、作家を志すきっかけは何だったのか? 素直に「好き」と言える作家といえば誰なのか? 少年時代からの変遷を含めて、たっぷりお話してくださいました。

その5「2時間1セットの小説執筆」 (5/8)

――小説を書き始めたきっかけは。

円城:東京に戻ってきて、2年任期の1年目が終わったときにぐらいに、そのまま残ろうとは思っていたんですが、この先この生活を一生続けるのはどうかと思い始めたんです。大学の状況って2000年を過ぎたあたりからものすごく変わって、これからどうなるかも全然わからない。下手をすると、各地を転々としながら、だいたい2年から5年任期の中で最後の1年は次の行き先を探さなくちゃいけない。定年が60歳だとすると、あと30年間くらい数年刻みで転々とする生活をやっていくのはさすがに無理だと思ったんです。そこで研究員の仕事を辞めようとは思わないのが呑気なところなんですが、何か別なこともしようと思って、朝に2時間、夜に2時間ちょろちょろっと小説を書き始めたんです。それが結構な枚数になってきた頃が、ちょうど研究員の1年目が終わる頃で、指導教官に「今年はどうでしたか」と聞かれて、なぜかその小説を見せたんです。そうしたらなぜだか読んでくれて「量を倍にして小松左京賞に出せばどうか」と。研究のことを聞かれて小説を見せて応募しろと返される...会話がかみ合っていないんですけどね(笑)。その前に日本ファンタジーノベル大賞へと言われたんですが、応募の締め切りを過ぎていたんですよね。それで応募したんですが、任期2年目の9月に小松左京賞、落ちましたという連絡がきました。その直前あたりに、大森望さんと知り合っていたんです、何かのきっかけで。賞に応募した後のことだったので、その話をしたら「落ちたら早川書房にまわせばいいですよ」と、ずいぶん適当なアドバイスを受けていたので、落ちましたという連絡が来た日の晩には早川書房にメールで原稿を送っていました。07年の9月ですね。

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――すごいアドバイス(笑)。それが『Self-Reference ENGINE』ですね。

円城:ですね。その後、特に音沙汰もなかったんですが、でも朝2時間、夜2時間というクセだけは残っていて。それまで、来年は仕事もなさそうだが研究職の公募も出さない、文芸の新人賞にはどうせ通らないから馬鹿馬鹿しいと思って応募しない、という自滅ルートを辿っていたんですが、数ある文芸誌の公募の期限を見ていて、締め切りがずれていると気づいたんですよね。それで、淡々と出し続ければどこかでひっかかるかも、と。調べてみるとひとつの賞に1000人2000人と応募するので、それで食べていこうという目論見を持ったわけではないんですが、全部爆撃していったらどうだろうと思って。それで9月から年末まで投稿を続けていたら、年末に早川の人から電話がかかってきて「12月30日に早川書房に来られませんか」と言われ、行ったら「まだ半分しか読んでいないけれど、本にします」と言われ、どうにも答えようがないけれど「よろしくお願いします」と言って(笑)。それで「さっそく1月末までに短編を一本書いてください」と言われたり。年が明けたら『文學界』の新人賞に残っていますという連絡もあって。そこから生活がめちゃめちゃになって、2月末くらいにもう学術系の仕事はないだろうと見切りをつけて、就職活動を始めたんです。遅すぎなんですが(笑)。知り合いのWeb制作会社に「本が出ることになったし新人賞にも残っているけれど食っていけないので採ってください」と頼んで「分かった、来い」と言ってもらい、4月1日から働きはじめる。

――そのあと「オブ・ザ・ベースボール」で文學界新人賞を受賞されて。

円城:本を出してもらって。僕は普通にWeb制作会社で働きながら書いていけたらいいやと思っていたんですが、「オブ・ザ・ベースボール」が芥川賞の候補になりまして、まあよっぽどじゃないと受賞はしないとは思ったんですけど、それから色々仕事を貰えるようになって、忙しくなったんですよね。もしかして食っていけるのかもと思ったし、本当に手におえなくなって、勤めはじめてから1年ちょいで、あ、このままやってると死んじゃうな、と。「このままだと死んじゃうんで辞めます」とそのまま言って退社しました。それが一昨年の11月です。無理を言って採ってもらってこれはないな、と自分でも思うんですが...。めちゃくちゃな人生を送っています(笑)。それまでおとなしく暮らしていたのに。

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