第101回:円城塔さん

作家の読書道 第101回:円城塔さん

もはやジャンル分け不能、理数系的で純文学的でエンタメ的でもある、さまざまな仕掛けをもった作風で毎回読者を驚かせる作家、円城塔さん。物理を研究していた青年が、作家を志すきっかけは何だったのか? 素直に「好き」と言える作家といえば誰なのか? 少年時代からの変遷を含めて、たっぷりお話してくださいました。

その3「SF研究会でラテンアメリカ文学を読む」 (3/8)

――一人暮らしの大学生活が始まって、読書生活も変わったのでは。

円城:かなり変わりましたね。作者がいると気づくとか、週刊誌があると気づくとか(笑)。知ってはいたけれど、ようやく実感できたんですよね。そこからはわりと手当たり次第に読みました。サークルはSF研究会だったのですが、といってもみんながSFを読んでいるわけではなく。それまで、友達の家に行って本棚を見ることはあったけれど、自分が今読んでいる本を持ち寄って教えあうということをしたことがなかった。研究会ではいつも誰かが本を持っていて、今こんなのを読んでいるという話をしてましたね。まあ、そこで広く読むようになったんですね。

――どんな本が読まれていたのでしょうか。

円城:記憶に残っているのはラテンアメリカ文学なんですよね。世間的にもそうした流れがあったんだと思います。アレホ・カルペンティエルやボルヘスが好きな人がいて、あとラテンアメリカではないけれどカルヴィーノを読んでいる人もいて、同一人物かも知れないんだけど(笑)。そうした本が出回っていましたね。90年代前半のことなんですが、日本であまりSFが元気ではない頃だったんです。だからあまり売っていない。それで、SFというよりはヘンな本が好きという人が集まっていたのかもしれません。アシモフが死に、ハインラインはもう死んでいて、あとはクラークだけ、という頃です。それと、上の人で村上春樹が大好きな人がいたので、その当時刊行されているところまで全部読んで「うん」と思って中断中です。それ以降は追いついていない。それと、自分がちょろっと書いたものを他の人に読ませたら「村上龍とか読んでもっとドロドロしたほうがいいよ」と言われて、それで当時出ているところまで全部読んで「うん」と言って中断中です。

――「うん」にどんな意味がこめられているんだろう(笑)。

円城:「うん」って感じで。季節が巡ればまた読み出すと思います。それと、サークルに入って一番変わったのは、思想系の人がいたので、そっち系の本を読み始めたことですね。当時でいうニューアカデミズムの人たち。

――浅田彰とか柄谷行人とか。

円城:そうですね。でも『エピステーメー』は手に入らなかった。そういうものがあるらしい、みたいな。

――ところで、そもそもSF研究会に入るきっかけは何かあったのですか。

円城:他に行くところがなかったんですよね。体を動かすサークルも一瞬考えたけれども、まず無理だろうと自分でも分かる(笑)。集団行動ができないので政治系のサークルにも行きたくないし、思想研究会はしんどい、と考えていてSFだろう、となりました。推理研究会から外れ、純文学の集まりから外れ、思想系からも外れて余った人たちがたまっているんだろうと思って入ったら、その通りでした。たぶん、どの集まりでも、みんなが読んでいる本はそれほど変わらなかっただろうと思います。でもその中でもヘンな本が一番集まっていそうなところに入った、という感じでしたね。

――研究会で、創作活動はしなかったのですか。

円城:書かされたことはありましたね。20枚くらいを書くと力つきるんです。それは今でも変わっていないんですけれど(笑)。これはしんどい作業だなと思いました。

――授業の課題は大変でしたか。論文を山のように読んだりとか。

円城:それはそうですね。物理系なので、時間割はほとんど必修で埋まっていて。でもできる限り実験などは避けていたので、それほど大変でもなかったです。3、4年になると英語の論文を読まされたりしましたが、実際大学生なんてそれほど賢くないし、そんなには読めない(笑)。それに英文科みたいな読み方とは違う。書いてあることが分かればそれでいいわけですよ。式を見て、単語だけ見て、分かるところだけ分かればいい、という間違った理解の仕方をしていましたね。このへんでも読み方はゆがんでいたと思います。

――その頃に読んだもので、心に刻まれたものといいますと。

円城:なんでしょう...。いろいろあったはずなんですけれどね。わりと全部に文句を言う方の係だったんですね。マルケスを出されようがコルタサルを出されようが、「確かにマルケスはうまいと思うけれど、一人でいいよね」「こういう書き方をすると、もう他の書き方はできないよね」などと大変なことをツラッと言う。

――皮肉屋だったんですか。

円城:ああ、それはずっとです。小さい頃から皮肉屋でした。つねにモノを斜めから見る嫌な子供でしたね。

――本の選び方、読み方も素直じゃなかったんでしょうか。

円城:王道を避けるところはありましたね。実は小松左京さんをきちんと読み始めたのは06年くらいなんです。小松左京賞に応募してから読み始めたんですね、ちょろちょろっと読んだことはあったんですけれど。それと、筒井康隆さんは読めないんです。2ページくらいしか読めない。『虚航船団』だけは読んだんですけれど、そこで力尽きました。この間も『虚人たち』を読もうとして挫折して。僕は、他に全く読めなかった作家っていないんです。でも、筒井さんは開いて2ページくらいいったときに「すみませんダメです!」となる。体にくるんです。あれはいかん(笑)。生理現象に近いんですね、もう。自分でも謎で理由を知りたいんですけど。

» その4「大学院に進む」へ