第101回:円城塔さん

作家の読書道 第101回:円城塔さん

もはやジャンル分け不能、理数系的で純文学的でエンタメ的でもある、さまざまな仕掛けをもった作風で毎回読者を驚かせる作家、円城塔さん。物理を研究していた青年が、作家を志すきっかけは何だったのか? 素直に「好き」と言える作家といえば誰なのか? 少年時代からの変遷を含めて、たっぷりお話してくださいました。

その4「大学院に進む」 (4/8)

――大学を修了した後は、院に進学したんですよね。

円城:そこで東大に移りました。何で移ったのかは例によって今いち分からないんですが。物理は派手なイメージがありますが、実際そんな派手ではないんです。素粒子とか、超ひも理論とかも、名前だけでは流行しているものもありますが、ああいうのをやっている人はごく一部なわけです。僕はそういう派手な雰囲気が好きで物理学科に入ったんですが、話を聞いているうちにあまり好きじゃなくなって。そこで固体物理のほうにいきました。素粒子系の究極の理論をどけても、半導体がどうのとか超伝導の理論がどうのといったわりと派手なものも残りますが、そっちにも僕はノれなかった。それより生物理論とか、自然言語っていうものに興味があったんです。そういうことって物理学科でできることなのかどうかと。誰もが指導できるものでもないんですよね。あとから東北大にもそういう人がいたと分かったんですが、そのとき僕は気づかなくて、東大の募集要項で、生命の理論っていうのを書いている人がいたので、それで願書を出して受けてみたら通ったんです。結果的にはよかったですね。指導教官もいい人だったんです。そこに修士2年、博士3年、計5年いました。

――生命理論というと、どういう内容なのでしょう...。

円城:抽象的な生命を考えられるのかどうか、というのがひとつありまして。何があると生命なのか、その条件は何なのか、という。あとは、生命みたいなものを作れるのかということですよね。ロボットなどで生命のようなものを作ったとき、それは"生命"なの? という素朴な疑問がある。そのあたりついて何かを考えるという感じです。でもどう考えればいいのかも分からなくて。大学院の面接のとき、「君は何をやりたいの?」と聞かれて、僕も試験ですからヘンなことは言わずに「固体物理を」などと答えたんですが、後から聞くとそれは非常に評判が悪かったようですね。普通な奴じゃないか、もっとヘンな奴をよこせ、という話だったらしい(笑)。それで研究室に入ってから「本当は何がやりたいの」と聞かれて「言語とか」と言ったら「じゃあ言語だ」と。すでにあるものを勉強していくというよりは、新しいものを考えるという研究室だったので。

――自由に好きな研究ができる環境だったんですね。

円城:良く言えば(笑)。でも、何をやればいいのかすら分からない。結局ずっと分からないままでしたね。

――その頃は読書はいかがでしたか。

円城:そのあたりが一番読んでいたかも知れませんね。95年から2000年ぐらいの頃ですか。ここでもやっぱり翻訳ものを読んでいることが多かったんです。指導教官が本が好きな人で、よく本の話をしたんですが、まったくかぶっていなくて、「高橋和巳とか読まないよね?」「はい、読みません」という会話をしていました(笑)。薦められて読んだという記憶はあまりないんです。でも、中島敦をちゃんと読むようになったのはその人のおかげですね。それでもやっぱり、王道じゃないですよね。

――実際によく読んでいたのはどんなものになるのですか。

円城:大学生くらいからファンタジー系をあまり読まなくなって、SF系に移行していたような。あと『メフィスト』がすごく元気が良かった頃だと思います。京極夏彦を読みはじめたり、ミステリ系に行ったり。大江健三郎とかへは辿りつかないまま。

――将来の展望は。

円城:景気はそれほどよくなかったんですけれど、なんとかなると思って、大学に残るつもりではいました。モノを扱わないヘンな物理屋さんとして無理やり生きていこう、と(笑)。それで、ポストドクター、まあいわば研究員となって、最初は北大に2年いて、その後京大に3年いて、東大に戻ってきて2年いて。なんでか最初の指導教官のところに戻ってきたんです。言語って何だろうなあと思いながら、シミュレーションをはじめたりしながら、王道ではない、隅っこの本をずっと読んでいる生活でした。

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