第104回:星野智幸さん

作家の読書道 第104回:星野智幸さん

植物や水をモチーフにした作品や、政治や社会の問題を問いかけるような作品。幻想と現実を融合させた小説を発表し続けている星野智幸さん。少年時代に受けたカルチャーショック、20代の頃、新聞社を辞めてメキシコへと移り住んだ経験、影響を受けたラテンアメリカ文学、そして今の日本社会に対して感じていることとは。その来し方、そして新作『俺俺』についてもおうかがいしました。

その2「ディストピアを描いたものが好きだった」 (2/6)

――では、中学校では部活は当然サッカー部ですか。

星野:中学からは東京、世田谷区に移ったんですが、サッカー部に入ろうと思ったらなくてがっかりしたんです。あれでサッカー部があったら人生変わっていましたね(笑)。その頃はあまり本は読まなかったと思います。環境が変わってしまったのが原因ですね。それまで素朴でのびのびしていたのに、お互いがお互いの顔色をうかがっているような環境に放り込まれて、脱落しそうになっていて。それに国語の先生があまりよくなくて、本が好きではなくなっちゃったんですね。先生が「これはすごい作家だ」と言うと「じゃあ読まないよ」と。ただ、ようやく日本のSFを読むようにはなりました。筒井康隆、星新一、眉村卓、半村良、小松左京...。日本のSFのパイオニアの人たちですね。本屋に行って、中学生が買えるもの、つまり文庫を買ってひたすら読んでいました。完璧主義というか、一人の作家を好きになったらそれを全部読み終わらないと次にはいけないところがあって。それで、好きな作家に関しては当時出ていた文庫は全部揃えていました。単行本は高いので図書館で借りていましたが。

――読書日記などはつけていなかったのですか。

星野:色気づいた頃から日記めいたものを書いていたので、それに本のことも少しは書いていたと思います。でも、あの頃書いたものはいちばん見たくないですね(笑)。人生について書き始める時期なので。

――SF小説を書くことはもうしていなかったのですか。

星野:書いていませんでしたね。あれは友達の影響でやっていたので。ただ、小学校の文集の「将来なりたいもの」にはSF作家と書いてあります。この先いつかSFを書けば、子供の頃の夢を実現したことになります(笑)。

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――そういえば、SFといっても幅広いですが、どういう作品が好みだったのですか。

星野:宇宙の話などよりも、別世界の社会が舞台のものですね。今のファンタジーとはちょっと違っていて、似て非なる世界というか。暗いSFが好きでした。ロシアにアレクサンドル・ベリャーエフという作家がいて、子供向けは『生きている首』、大人向けのものは『ドウエル教授の首』という題名の作品があるんです。首だけあって、下半身は人工の培養液に浸けられて生きているという。あとは角川文庫のSFジュブナイルにあった『冷たい壁』。テクノロジーがきらびやかな未来の世界というよりも、ディストピアのような世界が好きだったんです。何か訳の分からない、理解できないものがよかったんです。根が暗いからかな(笑)。そういうものを読むとイキイキとしてくるんですね。そういえば、20年くらい前に、サントリーローヤルのCMで、ガウディの建築物を舞台にして奇妙な形のお面をかぶった人が踊っているものがあったんです。詩人のランボー編もありました。あのCMの世界が、僕が昔好きだった小説の要素に近いんです。

――そういえば、部活はサッカー部がなかったのでどこにも入らなかったのですか。

星野:地区の陸上競技大会があるときだけ借り出されていました。小学校の頃はそうでもなかったのに、ちょっと背が伸びたら跳躍力と持久力が増して、駅伝や幅跳びをやらされて、嫌で嫌でしょうがなかった。水泳にも借り出されました。マンションにプールがあってよく泳いでいたので、得意だったんです。なので、結局部活をやっているようなものでした。

――のびのびしていた小学校と、「目立ってはいけない」空気のある中学校との違いは、大きな影響があったのではないかと思うのですが。

星野:強烈にありますね。今の日本の社会は、中学校の頃に感じたあの社会の延長だって思うんです。息詰まるような閉塞感がある。何も気にしないでのびのび好き勝手なことを言ったりやったりしていて、うっかり間違うとその社会から脱落する。そういう緊張感が間違いなくある。いじめが激しいということではないんですよ、当時はそれよりも校内暴力の時代でしたし。ただ、横浜の小学校が時代に取り残されていたと思うほど素朴だったので、それまでのあり方を全否定されたような、強烈な衝撃がありました。僕は事実上一年から転入した形なので、「なんだあの知らない奴は」という空気があったんです。中間テストも結構よくて、目立ってはまずいと思ったんですが、陸上部や水泳部に借り出されていたので、運動ができるので許されたというか。なんとか助かりました。でも、最初に友達になりたがってきた気さくな奴がいたんだけれど、何か月かして分かったのは、そいつは前の小学校でいじめられっ子だったんです。それで、仲良くなってからこっちに対してぎょっとするような残酷なことをしはじめる。それにもびっくりしました。数か月たって僕が学校に溶け込んできたら彼は離れていって、また別の奴をいじめていた。そういうことは地元の小学校では皆無だったんですね。テストの点数を隠すなんてこともなかった。みんなが点を言い合って、それでも何も言われない。けれど、東京の中学では中間テストでいい点を取っただけでたちまち噂が広がって、目をつけられる。それがどうしてなのか、まったく分からないわけですよね。横浜の田舎の学校と、山の手の中学校では時代も場所も違うように思えました。

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