第104回:星野智幸さん

作家の読書道 第104回:星野智幸さん

植物や水をモチーフにした作品や、政治や社会の問題を問いかけるような作品。幻想と現実を融合させた小説を発表し続けている星野智幸さん。少年時代に受けたカルチャーショック、20代の頃、新聞社を辞めてメキシコへと移り住んだ経験、影響を受けたラテンアメリカ文学、そして今の日本社会に対して感じていることとは。その来し方、そして新作『俺俺』についてもおうかがいしました。

その4「新聞社を辞めて単身メキシコへ」 (4/6)

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――それで、新聞社に就職されたんですか。

星野:社会人生活、一般的なサラリーマン生活というものをしたいと思っていたんです。文学部出身だと一般企業は難しいだろうということで、マスコミにしました。記者志望でもなんでもなかったんですが、マスコミの勉強をはじめたとき、まわりに記者志望の人ばかりで焦りました。

――そして、記者になって。でも2年ちょっとで辞められたんですよね。その間は相当忙しかったのではないかと。

星野:2年半働きました。僕は埼玉に赴任したんですが、ちょうど連続幼女誘拐殺人事件があった頃だったんです。僕自身はその事件の担当ではなく行政の取材が多かったけれど、凄まじく忙しかったですね。この時期はまったく本を読めませんでした。2年くらいして甲子園の取材をしているとき、「あ、そろそろいいかな」と思ったんです。辞めて外国に行こうと思ったんです。そう思いはじめたら本を読めるようになりました。安部公房がさかんに触れていたガルシア=マルケスの『百年の孤独』を読み始めてラテンアメリカ文学にハマって、これはラテンアメリカに行くしかない、と思って。どこも治安が悪そうなので、比較的大丈夫そうなメキシコを選んだんです。メキシコシティに行きましたが、今に比べたら安全だったと思いますね。今のほうがマフィアなんかがすごい。

――そしてメキシコに留学。二度行かれたんですよね。

星野:最初は貯めたお金で自費で行ったんです。一年後にいったん帰って奨学金の試験を受けて受かって、すぐ戻るつもりが連絡がなく、気付いたら日本で二年ももたついていたんです。でも文化担当官が変わったらいきなり「あさって行ってください」と電話がかかってきました。

――ひどい話です。そしてまた一年間メキシコシティへ。それにしても、ものすごく違う環境に飛び込んだわけですよね。

星野:日本とはできるだけ違う価値観、人生観を持った国に行きたかったんです。それでラテンアメリカを選んだということもありましたね。そうしたら本当に違いました。日本人はまずは人に迷惑をかけないように生きようとするけれど、逆なんです。迷惑をかけてもいいから我を通そうとする。利己主義というか、なんだろう、日本語に約すと「俺主義」みたいな言い方ががあるんです、スペイン語に。

――馴染みましたか。

星野:そのときはメキシコ人になりきろうと自分に命じていたんです。「一斉開放します!」という態度で臨んで、何も拒まず、理不尽なことがあってもいちいち怒らないようにしていて。そうしたら楽しくてたまらないんですよ。むちゃくちゃな時間に電話がかかってきて踊りに行こうといわれても「おお」と応じ、ホームパーティみたいなものでみんながサルサを踊りはじめても「いやいや僕は踊れない」とはやらない。メキシコ人は人がうまいか下手かなんて見ていなくて、自分を見せることしか考えていないから、羞恥心を持つだけ損。そういうことに慣れてしまうと、もう楽しいんです。

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――その頃、読書はしていましたか。

星野:出発する前に中上健次にハマりました。ラテンアメリカ文学を勉強していたとき、野谷文昭先生が中上健次と親しかったのでよく名前を言っていたので読みはじめたんです。これはラテンアメリカ文学と同じライン上にあるな、と思っていたんですが、僕がメキシコに行ったら中上が死んじゃったので、すごくショックを受けました。メキシコに行ってからは、日本の友達が時々本を送ってくれたんですが、飢えているのでむさぼるように読みましたね。こんなに快感なのか、という。スペイン語で本を読むにはまだ語学力が足りなかったけれど、それでも二回目に留学したときは原書で読むことを目標にしていました。あの頃まだ翻訳が出ていなかったマルケスの『コレラの時代の愛』も読みましたし、授業で『ドン・キホーテ』をやったんですが、精読するとすごく面白い。

――メキシコ人になりきって、そして帰国してからはまたギャップを感じたのでは。

星野:すごいギャップでした。対人の間合いの取り方でも違うんですよね。日本だと、電車に乗っているとき、人と視線を合わせようとしないんですよね。向こうだとジロジロ見合う。負けちゃいけないと思って、見られたら見返す。それが無意識のうちに普通になっていたので、日本に帰ってきてもそれをやって友達に引かれました(笑)。「なんか濃いんだけど」って。あまりに引かれるのでどうしたらいいかと思ったくらい。目がギラギラしていたらしい。

――星野さんというとずうっと前から穏やかな方というイメージなので、ギラギラなんて想像できません(笑)。

星野:あの頃がいちばん目ヂカラが強かったです。最高記録です(笑)。

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