第104回:星野智幸さん

作家の読書道 第104回:星野智幸さん

植物や水をモチーフにした作品や、政治や社会の問題を問いかけるような作品。幻想と現実を融合させた小説を発表し続けている星野智幸さん。少年時代に受けたカルチャーショック、20代の頃、新聞社を辞めてメキシコへと移り住んだ経験、影響を受けたラテンアメリカ文学、そして今の日本社会に対して感じていることとは。その来し方、そして新作『俺俺』についてもおうかがいしました。

その6「新作『俺俺』、その執筆前に読んだ本」 (6/6)

――さて、新作の『俺俺』は、主人公の〈俺〉のまわりに〈俺〉が増殖していくという奇妙な話。見知らぬも〈俺〉、職場の上司も〈俺〉、客も〈俺〉。アイデンティティがテーマというよりも、実はすごく社会的な問題をはらんでいますよね。

星野:最近、貧困の話だったり路上生活の話だったり、自殺者の話というのを見たり聞いたりすることが多くて。前の小説(『無間道』)でも自殺について書きましたけれど、そういうことを見聞きしているうちに、そちらが社会の標準のように見えてきたんですね。数の上ではそちらが多いとはいえないけれど、それはもう日常のことになっているという感覚が生まれてきて。とにかく転落して死ぬまで追い詰められていく可能性というのがほとんどの人にあって、実はまぬがれる人は少数。そう考えると、自殺に追い込まれていく人というのは自分の責任というより状況に追い込まれてそうなっているんだと感じるんです。社会に自殺に追い込まれている。そして、その社会を構成しているひとり一人に自殺に追い込まれる可能性がある。ということは、自分が自分を死に追い込んでいるようなものですよね。今の日本の社会の空気というのは、自分が自分を殺しているのと同じ状況。だったらそれをまぬがれる方向にいけばいいんだけれど、そうではなく、自分はまだあの人とは違う、危機に陥っていない、と思うことで線引きをして自分を保とうとしているように見えるんです。誰か邪悪な人が上にいて、その人に追い込められているのではなく、自分たちが自分たちを殺している。しかもみんな、そのことにうすうす気付いているのに、直面するのがきついから、できるだけ見ないようにしているんです。辺野古の問題だってそうですよね。自分たちの問題だと分かっているけれど、そうは見ないようにしている。日常レベルでそういうことが起きている。それを極端な形にして、みんながみんな同じ〈自分〉であって、理由が分からないままお互いを排除していくという社会として書いたのが『俺俺』なんです。

――実際の深刻な社会問題を取り入れていますが、非常に読みやすいし、ときにはユーモラスでもありますね。

星野:基本的に陰惨なテーマなので、日常レベルは滑稽に書きたいと思いました。自分たち同士で分かるよなと盛り上がったりしている姿って、真剣であればあるほど笑っちゃうところがありますよね。できるだけそういう風に書きたいと思いました。特にお母さんとのやりとりもそうですね。

――ただ、『無間道』のときとは違うのは、最後にはっきりと希望が見えるところです。

星野:僕はネガティブに終わるのが好きなので、放っておくとそうなってしまうんですが、今回は意識してそうではない終わり方にしようと思っていました。前の小説も出口なしの世界でしたから、どこかで突破しようと思っていて。

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――『無間道』と『俺俺』は、特に今の世へのメッセージを感じます。

星野:ああ、もうそれは気分ですよね。意志というよりかは。それしか書けなかった。特に自殺関係からは目をそらすことができない気分が続いていて。身近で自殺が相次いだんです。今の自殺は中高年が多いといっても、若い人も増えていて、僕が直面したのはそのケースだったんです。どうしてもそこから離れられなくて、なんとか突破したくてこの二つの作品を書いたといえますね。。実際の状況は閉塞していく感じがありますが、まずそれを直視することから始めないと。目をそらしていると逆に閉塞感は強まる。まず力を振り絞ってネガティブなものも直視すれば、突破口がどこかに見つかるはずだということを形にしたかったんです。

――星野さんには『アルカロイド・ラヴァーズ』や『水族』といった幻想的な作品から、『ロンリー・ハーツ・キラー』や『『在日ヲロシヤ人の悲劇』』といった社会的、政治的な作品までありますが、ご自身の中で今回はこれをテーマに、と意識されているのですか。

星野:基本的に境界はないけれど、どれを強く打ち出すかという選択はあります。『俺俺』と『無間道』は自分としてはかなり現実に近い形で書いたもの。架空の話ですけれどね、もちろん。『アルカロイド・ラヴァーズ』のような、植物が変容していくような幻想性は入れないようにしましたし。今までは映像的なシーンを書くのが好きだったけれど、仮想社会を描くということに今非常に関心があって。今回も一部、そういう風に書こうとしました。

――では最近は、どのような小説を読まれているのですか。

星野:『俺俺』を書くとき、SFぽく書くことも考えていて、それで再読したのが半村良さんの『岬一郎の抵抗』だったんです。出た頃に読んだときは、半村さんにしてはなんだか現実ぽくてつまらない話だと思っていたんですが、今読んだら渾身の作品だなと、心を打たれました。岬一郎は強大な超能力に目覚めるんだけど、それを近所の病人を直すことぐらいにしか使わない。周囲からは、その力を使って日本のリーダーになり社会をよくしてほしい、という期待が高まるのに、それが世界のパワーバランスを壊し、暴力を招き寄せるとわかっている岬一郎は、カリスマとなることを拒みます。次第に世論は岬一郎を白い目で見るようになって、ついに岬一郎を追い出すほうに動いていくんですね。その空気感、人々の変化の仕方がすごくリアルに書かれているんです。半村さんは下町の人間関係をすごく大事にしているけれど、その下町の人情でさえこんな風に変わると考えているというところに、戦争という時期を体験した人だなと感じました。人生を賭けて書いたのかと思うくらいすごい小説。

――20年以上前に、そうした作品を書いていらしたんですねえ。

星野:あとは大学時代に読んだフィリップ・K・ディックの『高い城の男』も読み返しました。現実が溶けていくようなものが好きだったから、これも普通の小説じゃないかと思っていたんですね。今回読んだらジョージ・オーウェルの小説とまったく同じレベルの、ディストピアを描いた小説だと思って。あまりに見事でびっくりしました。日独伊が戦争に勝った以降の世界が描かれているんです。アメリカが日本の領地下にあるんですが、その描かれ方が、もう。黄色人種に統治されているという人種差別感、屈辱感みたいなものがすごくよく書かれていて面白かったですね。

――今後の予定を教えてください。

星野:『群像』で連載を始める予定です。たぶん年内に。テーマはまったく違うものになりますね。社会や政治といった要素は含まれちゃうんだろうけれど、前面に出すものはもっと違うことを考えてはいます。一見私小説風。でも僕が考えることなので、かなりズレていると思います(笑)。実は、毎月の連載は『俺俺』がはじめてだったんです。先が見えていない状態で書き続けていたら、後半、偉くしんどい目に遭ったので、そうならない連載の書き方を今、考えているところです。

(了)