第105回:平山瑞穂さん

作家の読書道 第105回:平山瑞穂さん

ファンタジー、SF、ミステリ。さまざまな要素のつまった作品を発表し続け、作家生活6年間の集大成ともいえる『マザー』を上梓したばかりの平山瑞穂さん。実は若い頃はずっと純文学志向だったのだとか。おそらくそれは、ご家族の影響も大きかったのでは。意外なバックグランド、多感な10代の頃の読書、そして長い応募生活など、作家・平山瑞穂ができるまでがようく分かります。

その2「人生観に影響を与えた『ライ麦畑でつかまえて』」 (2/6)

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――では、小学生の頃の読書の記憶はリンドグレーンくらいでしょうか。

平山:小学校高学年から中学にあがったくらいに、姉の薦めで北杜夫の『奇病連盟』を読んで、それがすごく面白かったですね。奇癖などを持った人の集まりというかクラブがあって、騒動に巻き込まれる。そこで知り合った主人公と女性がホテルに逃げ込んで、お金もなくなったのでインスタントラーメンをお風呂のシャワーでふやかすシーンがあるんです。お湯の温度が低いのでまだ芯が残っているものを二人で食べる。その場面が胸に迫ったというか、ワクワクしました。まず中学1年生くらいだと、男女がホテルに二人きりなる、というシーンが出てくる本を読んだことがない。はじめての大人の小説だったんですね。北杜夫というとどの年齢層でも読めるというイメージだったけれど、こんなものも書いているんだ、とドキドキしました。

――でも、中学ではまだ読書は習慣になっていないんですよね。

平山:そこから間があいて、いきなり中学3年生に話は飛ぶんですが、ちょっと、かなり、決定打になったのが、言うのが恥ずかしいんですが...。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』なんです。「瑞穂はこれが好きなはずだ」と両親に薦められて読んで、ドハマリしちゃったんです。

――中3で『ライ麦畑でつかまえて』ですかあ。

平山:一番いい年齢だったと思います。もうちょっと年が上になっていたら、気恥ずかしくなっていたかもしれません。もう、僕がホールデン・コールフィールドの一番の理解者だと思っていましたから(笑)。そういう人が何万何十万といるんですよね。人生でもう15回くらい読み返していて、原書でも2回くらい読みました。中3の時だけで3回くらいは読んでいるかな。文章を書くとホールデンの口調になっていました。当時は村上春樹訳は出ていませんから、野崎孝訳になりますが、ホールデンが周囲に使う「低能」という言葉を使って、僕もクラスメイトを見下していました。

――そうなると、自分の将来に対する考えにも影響があったのでは。

平山:その時はもう、大人はインチキだってことにつきる、と思っていました。インチキを感じるものには敏感で、ある意味生きづらい状態になっていた。過度に潔癖になっていて、普通にサラリーマンになるということは全然考えられなくなってしまっていて。生き方にまで影響を与えた本というのは、おそらく『ライ麦畑でつかまえて』でしょうね。ホールデンがアントリーニ先生に会いにいって、君はこのまま大人になったら、大学時代にフットボールをやっていたような様子の男に憎悪をもやすといったような、会社で身近にいる速記者に向かってクリップを投げつけるような人間になってしまうかもしれない、ということを言われる場面がある。僕はクリップを投げつける気持ちがすごくよく分かったんですね。自分もこうなってしまうという危機意識を感じた。ホールデンに大人たちが有益な情報を与えているのに、僕はホールデン側に立って、そんなものくそくらえ、と思っていました。実際、中3の時の進路相談で、「将来なりたいものは」と聞かれて「ポップアーティストになりたい」と答えました。キース・ヘリングみたいなグラフィック・アーティストを想像していたんですね。先生は「そうか」とだけ(笑)。ひと言もなかった。言いようがなかったんでしょうね。たしかに美術部に入ってはいたんですが、自分ではそんなこと無理だと分かっている。ただ、サラリーマンになる生き方に対する拒絶のサインであったんです。ある時期までは本当に、高校に進学せず、中学を出たらニューヨークに行ってアーティストを目指すって思っていたくらい。でも高校に入ってからゆっくり考えたらいい、と親に説得されて折れて、そこからは折れ続けて(笑)。

――では、どんな学校生活を送られたのでしょう。周囲と仲良くしてましたか。

平山:完全に一匹狼です。卒業文集のみんなが一言書き込むページには、ホールデンの言葉からとって、「ガッポリ眠れ、低能野郎ども!」と書きましたから。高校は私立の男子校だったんですが、それがさらに先鋭化して、誰とも口をききませんでした。相当変人と思われていたはずです。休み時間もベルがなると同時に文庫本を広げて、一切俺に声をかけてくれるなというサインを送っていましたから。中には「何読んでいるの?」と声をかけてくる人もいたけれど、すごくそっけなく「ドストエフスキー」。「それ面白いの?」と訊かれて「面白い奴には面白いよ」と(笑)。

――よくそれで3年間やっていけましたね。

平山:ああ、わりと校風として、冷めている人が多かったんです。でも時々気になったのが、体育の時間などでバスケットの模擬試合をすると、みんなあだ名で呼び合うんですよ、「かっちゃん、パス!」とか。でも僕だけ「平山くん、パス!」って、「くん」づけで(笑)。腫れ物に触れるような扱いでした。一目置かれてもいたのかもしれませんが、どっちかというと恐れられてたのかなと。

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――眼光鋭かったりしたんでしょうかねえ。

平山:目つきは怖かったと思いますよ。高校2年の時の生徒手帳の写真は、もう誰かを殺しかねないくらい(笑)。自分で見てさえ怖いと思う。こいつに近づかないでおこう、と思いますから。

――その写真が見たい(笑)。そんな高校生活で読んでいたのは、ドストエフスキーなど文豪のものだったんですか。このあたりで読書の習慣ができたということでしたが。

平山:本を本気で読むようになった明瞭な境目があって、はっきり覚えているんです。ちょっと遡るんですが、中学を卒業した直後、春休みのある日に、親のもとにお客さんがきて、ほぼ明け方まで騒いでいたんです。声が聞こえてくるので眠れなくなって、じゃあ本を読もうと思って姉の部屋に行って本棚を見て。そういえば姉が村上春樹とか騒いでいたなと思って『風の歌を聴け』を何気なしに手にとって読んで、そうしたらとまらなくなって朝まで一気に読みました。その日から今に至るまで20数年間、読んでいる本がない時期が一切ない。『風の歌を聴け』の次に『限りなく透明に近いブルー』を読んだんですよね。つまりW村上から入っていった。偶然とはいえ、いい入り方をしたと思います。

――それらを読んで、何をどう感じたんでしょうね。

平山:小説ってこんなに面白いんだと思って。『風の歌を聴け』はいわゆるストーリーが面白い小説ではないけれど、雰囲気があって、その雰囲気が新しい感じがしました。小説を読んでいるとこういうものにめぐり合えるんだという新鮮な驚きがありました。そこから意識して読書をするようになったんです。W村上から読んだものの、海外小説が入りやすくて、いわゆる文豪系、19世紀から20世紀初頭のものを読みました。ドストエフスキーやトルストイとか。『カラマーゾフの兄弟』なんかはとっつきにくい印象もあったけれどそんなことはなくて、ゲラゲラ笑いながら読みました。

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