|
今井 義男の<<書評>> |
|
|
波のうえの魔術師
【文藝春秋】
石田衣良
本体 1,333円
2001/8
ISBN-4163202803 |
|
評価:AA
なんの変哲もない一人の若者と、風変わりな老人が、詐欺まがいの融資で顧客を食い物にしてきた大手の銀行に闘いを挑む。アナログ方向からは周到に布石を打ち、同時にデジタル面ではモニターとキーボードを駆使して株価の動きを読み操作する。私は株式市場の仕組みをまったく知らない。それでも秒刻みの投機がスリリングであることは容易に想像がつく。それは経済行為というより、知略を尽くした攻防戦のように緊迫感がある。本書の読みどころはコンゲームの成り行きと、青年・白戸則道が小塚老人に仕手の手ほどきを受ける場面にある。パチンコ三昧だった白戸が、したたかに変貌を遂げていく様には誰もが目を見張ることだろう。最後に用意された仕掛けも心憎い。まったくもって食えないジジィである。 |
|
絵子
【文藝春秋】
三田完
本体 1,524円
2001/8
ISBN-4163202900 |
|
評価:D
この小説の主人公と母親は驚くほど欲望に正直である。人生にはもっと他に悩みがあってもいいと思うが、二人にはなにもない。軽薄であからさまなリビドーだけである。見苦しいのは生き方だけではなかった。思春期を過ぎてもなお、自分の親をパパママと呼び続ける人々を私は認めたくない。子供にそう呼ばせる親もまた同様だ。天が許しても私の美意識が頑として拒否する。そういう人物を中心に配した小説を読むのは正直いって苦痛である。加えて娘の方はホームレスを《ホームレスさん》と呼ぶ。作者はそれらの言葉遣いをよしとして書いているわけだから、そうでない読者と相容れないのは諦めてもらうしかない。 |
|
愛という
【角川書店】
前川麻子
本体 1,500円
2001/8
ISBN-4048733257 |
|
評価:B
結婚生活は毎日ほぼ同じことの繰り返しで、退屈なものと決まっている。だが、カウンター・カルチャーを神聖視する者にはそんな簡単なことが分からない。分からないというより受け付けないのだ。『釣りバカ日誌』より『ロッキー・ホラー・ショー』が、コンビニより映画製作現場の方が輝いて見える紅美がそうだ。そんな女性と所帯をもった渡部が痛ましい。二人の立っているステージには段差がありすぎた。空虚な現実から眼をそらすために不倫を楽しむ紅美。それをとりもつのが映画である。私はそこに拭い難い嫌悪をおぼえる。かつてのカルトを礼賛した風潮は、世間の価値基準を否定しながら別の絶対的価値に酔いしれる自家中毒症状そのものだった。自嘲の念とともに、いうにいえない苦味がこみ上げる小説だ。
|
|
ホームレス作家
【幻冬舎】
松井計
本体 1,500円
2001/9
ISBN-4344001125 |
|
評価:B
本書をホームレスの一般論として読むのは適当ではない。著者は現役の作家であり、原稿を書く環境が整い、それを買い取る出版社があれば収入が見込めるのだ。現にこうして本が出ている。住居を失ったとはいえ家族は施設で保護され、なにかと気にかけてくれる人もいる。他のホームレスに比べればずいぶんと状況はマシである。したがって、大変な事態には違いないのだろうが、著者の苦闘ぶりはどこか仮の姿のようであまり深刻な印象はない。本文中ボランティアや宗教関係者に対する強固な偏見が見受けられる。他人が口をはさむ性質のものではないが、彼らがいなければ明日にでも生死にかかわる人たちがいることにも目を向けてほしい。もの書きならなおさらである。本筋とは離れるが、著者が三日でクビになったバイト先の<共同出版>の話は実に興味深い。色んな商売があるものだ。 |
|
虚貌
【幻冬舎】
雫井脩介
本体 1,700円
2001/9
ISBN-4344001133 |
|
評価:C
冷酷なようだが私は仲間に嵌められた荒という男になんの同情心も湧かない。同じく末期癌の刑事・滝中にもなんの共感も抱けない。その娘・朱音にもである。脇役も含めて、この作品に登場する人物はなぜか全員うっとおしい。正面からの日差しを拒絶したかのような、彼らのうつむき加減の<生>そのものがたまらなくうっとおしく感じるのである。作者はまさにそういう<生>を書き連ねているのだから、読むほどにこちらが鬱になるのは筆力の証だといえなくもないが、この陰気な復習劇の速度はあまりにも緩く、じれったい。ようやく暴かれた真相もかなり強引だ。犯人は素人の及びもつかぬ手口を披露してくれるが、ほんとうにこんなこと可能なのか。 |
|
千のプライド
【集英社】
桐生典子
本体 1,700円
2001/8
ISBN-4087745430 |
|
評価:AA
一人の男が自殺した。遺書には《いまでも自分をもっとも愛してくれている女性に遺産の一部を贈る》とある。依頼を受けた弁護士見習いの可南子は調査のため、幾人かの女性と出会う。彼女たちの虚実入り混じった半生はどれもあざとく、読んでいて疲れるほど濃厚だ。作者の眼差しは未熟なマジシャンの手許を凝視する観客のように意地が悪い。誤解を招くかもしれないがこれは褒め言葉である。同性の愚かさをここまで書くか、と途中何度も思った。聴き取り調査と同時進行で描かれる可南子の恋愛が、合わせ鏡のごとく輻輳する構成は<技あり>である。依頼主の塔子だけは世俗に染めてほしくなかったが、作者はそんなに甘くない。読み手をさらにぐったりとさせる結末は当分尾を引きそうだ。こういう小説を読むと、ユングの提唱した《ペルソナ》を俄然支持したくなる。小谷野敦はこの心理学者を全否定してるけど。 |
|
片思いの発見
【新潮社】
小谷野敦
本体 1,300円
2001/9
ISBN-4104492019 |
|
評価:E
いうまでもないが世界は文学で成り立っているのではない。しかるに文学研究とは文字で記された創作物から世界を思索するものであるらしい。浅学の身からすればおそろしく面妖な作業であり、表題にはいささか疑問もあるがそれはさておき、問題は中身である。ありていにいえば、難解のひとこと。おびただしい引用には否定肯定の裏付けが一切なされておらず、こちらとしては「ふーん、そういうものなのか」と頁を繰るしかない。大体いまどき漱石や川端を俎上に上げる意味がわからない。それほど世間で読まれているとも思えないし。たしか『バカのための読書術』では《文学など研究する必要はない》という一節があったが、私の記憶違いかな。筆を暴走させる癖は健在なようで、伝聞で仕入れたイヌイットに関する非礼な記述に開いた口が塞がらない。 |
|
指揮官たちの特攻
【新潮社】
城山三郎
本体 1,400円
2001/8
ISBN-4103108126 |
|
評価:C
大戦末期、中国大陸の山中で無謀な作戦行動が敢行された。兵站を絶たれたまま進軍を命じられた指揮官は、当時の大本営を指して《馬鹿の三乗》とはき捨てる。それは到底作戦などと呼べるようなシロモノではなく、部隊は壊滅する。皇軍の辞書には玉砕の二文字しかなかったのだ。この事実を如実に示している
のが特攻である。神風を筆頭に、人間魚雷・回天、人間ロケット弾・桜花……。よく次から次へとこんな非人間的な戦法を考え出すものだ。人間機雷・伏龍に至っては極めつけの無残さに言葉も失う。狂気の沙汰である。西村寿行の小説に、飛び立った特攻機がUターンして司令部に突っ込むシーンがあった。史実
かどうか知らないが、分かる気がする。本書は悲惨な内容にも関わらず読みやすい。ちょうど博物館の展示品を眺めているかのような手軽さだ。そこが物足りなくもある。 |
|
パイロットの妻
アニータ・シュリーヴ
本体 2,000円
2001/8
ISBN-4105900250 |
|
評価:D
身内の乗る飛行機が墜落したと聞かされて、取り乱さない者はいまいが、乗客の命を預かるパイロットの妻ともなれば事情は少しく異なる。しかも事故の原因は夫にあるという。犠牲になったおおぜいの乗客を悼むぐらいのことは、せめてもの礼儀だろう。だが、ヒロインのメモリーは、新たに入力された夫の二重生活疑惑の処理だけで全容量を占めていた。普通の人間ならば真っ先に事故現場へ駆けつけそうなものなのに、彼女の向かった場所は夫の愛人宅だ。いきなり押しかけた上に断りもなく寝室へ忍び込み、浮気の痕跡を探る。もはや常識の埒外である。組合から派遣されて来た男も鼻持ちならない。どうもこの二人は、我々一般庶民の感情とは遠くかけ離れた世界に生きているようである。
|
|
ミスティック・リバー
【早川書房】
デニス・ルヘイン
本体 1,900円
2001/9
ISBN-4152083662 |
|
評価:A
幼なじみが長じて真反対の立場になると、待っているのはおおかたが悲劇である。ショーンは刑事。ジミーは裏社会から足を洗って雑貨店を経営している。デイヴは平凡な勤め人だった。少年時代に遭遇した誘拐事件以来、疎遠になっていた三人は、ジミーの娘の失踪がきっかけとなり再会するが、単に友人としてではない。一人は捜査する者、一人は被害者の親、そして残る一人は被疑者として……。悲しいことに犯罪は世情をありのままに映す鏡である。世界は病んでいる。デイヴやジミーの娘が受けた苦痛を、特別な出来事とは思えなくなってしまった。犯人に罪悪感が欠如している点も、すでに見慣れた光景である。流れているように見える川の底には、うずたかくスラッジが堆積している。我々は喉元まで沈まなければそれを直視できないのだろうか。トラウマさえ出せば屈折した人物の一丁上がりといわんばかりの作品とは、はっきりと一線を画したミステリである。 |
戻る
|