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中原 紀生の<<書評>>
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合い言葉は勇気
合い言葉は勇気
【角川文庫】
三谷幸喜
定価 840円(税込)
2002/12
ISBN-4043529031
評価:A
 三谷幸喜さんはきっと、人見知りで引っ込み思案なのに目立ちたがりの出たがりで、生真面目で心優しくて涙もろいくせに底意地が悪くて偽悪的でシニカルな少年だったに違いない。そんな少年少女ならたくさんいたと思うけれど、でも、そのまま大人になることは、実はとても難しい。しかも三谷幸喜さんには天からのギフト、つまり才能が授かっていた。いや、才能に取り憑かれのだと、三谷幸喜さんなら抗議するかもしれないが、そのおかげでこんなにも「とんがっている」(「解説」の石坂啓さんの言葉)ドラマに巡り会えたのだから、読者は感謝しなくちゃいけない。どこがとんがっているかというと、フィクションの中にフィクションを入れ子にして、二重否定が肯定に飛躍する刹那に視聴者(読者)のリアルな「感動」をかすめとっていく、その騙しのテクニックが水際だっている。才人・三谷幸喜が腕にヨリをかけて仕上げた渾身の作品なのだから、面白いにきまっている。

さみしさの周波数
さみしさの周波数
【角川スニーカー文庫】
乙一
定価 480円(税込)
2003/1
ISBN-404425303X
評価:A
 私はたまたま、「いとしのレイラ」や「ティアーズ・イン・ヘヴン」を繰り返し聴きながら、この本を読んだ。驚嘆させられたのは、まだ二十歳を超えたばかりの若者の書いた作品が、あの渋くて痛切で、それでいて深い滋味をたたえたエリック・クラプトンの世界と互角にわたりあって、人生の曲折を濾過して滴った純粋な「せつなさ」や「こわさ」や「さみしさ」が、四つの短編のうちに見事に結晶していたことだった。たとえば、水の変容(雨、雹、雪)とともに、未来の記憶の物語をリリカルに綴った「未来予報 あした、晴れればいい。」は、「ただ透明な川が二人の間を隔てて流れているような、あるような、ないような距離」を保った、言葉にはできない少年と少女の「関係」をあますところなく描ききった絶品。この味は、太宰治や椎名誠や村上春樹の系譜に連なるものだと、私は思う。真似できそうで真似できない、熟して滴る玉のような本物のオリジナリティをもった語り手だ。

恋

【新潮文庫】
小池真理子
定価 740円(税込)
2003/1
ISBN-4101440166
評価:AAA
 この小説は時間をおいて、できれば数年単位の間隔をおいて再読されるべき名作だ。ほぼ三年半ぶりに読みかえして、私は、序章に出てくるヒロインの可憐で痛切な姿に深い感銘を覚えた。矢野布美子の「肉と魂」は、私の記憶の襞にひっそりと息づいている。二十三年の時が過ぎても、布美子の心の中に信太郎と雛子が生き続けていたように。「世間では人を殺すためには、凶暴さと憎悪と怒りと絶望が必要であるかのように言われているが、それは嘘で、ただほんの少し、虚無感にさいなまれていさえすれば、人は簡単にムルソー[カミユ『異邦人』の主人公]になることができるのだ」。──陳腐だけれど、「官能小説の金字塔」という賛辞を、浅間山荘事件のさなかに遂行された魂の殺戮劇ともいうべきクライマックスを叙述しきったこの作品に捧げたい。「エロティックで悪魔的、デカダンな雰囲気」と「秘密を抱えながら生きていく人の精神」を見事に造形し、痛いほどの官能性を表現しつくした小池真理子さんを讃えたい。

下足番になった横綱
下足番になった横綱
【小学館文庫】
川端要寿
定価 630円(税込)
2003/1
ISBN-409405331X
評価:C
 昭和11年1月場所、5日目、横綱昇進をねらう大関男女ノ川と、当時まだ東前頭三枚目だった双葉山との一戦から、物語は始まる。相撲史に残る場所だった。14年1月の春場所4日目、安藝ノ海に破れるまでつづく双葉山の破竹の69連勝が始まったのが、この場所の7日目からであった。──しかし、物語は決して血湧き肉躍るものではなかった。自転車での場所入りや、ダットサン通勤の奇行で知られた「弱い横綱」のまま引退。衆議院選立候補、私立探偵への転業、映画出演、等々、転変の人生をすごし、やがて転落。かつてのファンが営む料亭の食客として生涯を閉じる。破格、波瀾、奔放きわまりない人生だが、いささかも爽快感、痛快感が伴わない。だから悲痛、悲哀の念も生じない。ただただ、男女ノ川の四股名をもった男の生涯と時代の変遷を、淡々と綴るだけで、いっさいの感情移入はない。いっそ潔いが、かえって興をそぐ。「時代の枠におさまりきれない横綱がいた」という帯のコピーが白々と響く。

お父さんたちの好色広告
お父さんたちの好色広告
【ちくま文庫】
唐沢俊一
定価 735円(税込)
2002/12
ISBN-4480037799
評価:B
 「お客さン、お客さン、写真あるよ、いい写真。バッチリだよ……」。そんなふうに、怪しいオヤジからヒソヒソ声をかけられた覚えが、私にも実はある。もう遠い日のセピア調の思い出でしかないけれど、「クシャミをしても××××がほとばしる年頃」だった私にとって、それは、まだ見ぬ性のテラ・インコグニタ(未踏の領域)への誘いの言葉だった。歳月を経て、そんな世界などどこにも潜んでいないことを知ってしまった私は、それでも、毎日曜の朝日新聞の読書欄にきまって掲載されている、熟女や人妻の写真集の広告に、なかには、「強精食強壮剤研究家」なる人物が書いた本の広告などもあって、あの時代の余韻、いや疼きのようなものを懐かしく思い出している。B級本愛好家にして研究家の唐沢さんが編んだ、この「酔狂にして学術的極まる本」は、失われた十年ならぬ、エロと情欲の五十年史を鮮やかに甦らせている。このような書物は、ただただ保存し、後世へと引き継いでいくべきである。

阿佐田哲也麻雀小説自選集
阿佐田哲也麻雀小説自選集
【文春文庫】
阿佐田哲也
定価 1,020円(税込)
2002/12
ISBN-4167323036
評価:B
 悪魔のゲームに取り憑かれ、私は学生生活の一年以上を無駄に費やした。この苦い記憶の片隅で、阿佐田哲也は神々しく、しかし眠たげにたたずんでいる。『麻雀放浪記』は、浅間山荘事件以後の多くの自堕落な学生にとって、麻雀の奥深さと人生に立ち向かうスキルがぎっしりと詰まった、一種のバイブルだったのだ。「その時分の私は、どういう世界であろうと、玄人としての接触、つまり真髄に触れるばかりにのめりこんだ生き方以外に興味がなかった。おそらく若くて、生命の力がむんむんしていたときだったのだろう。…二十年たった今はちがう。たかが玄人、と思っている。ひとつの真髄に触れるより、もっと大きな、綜合的な生き方があるような気がしてきた」(青春編)。たとえばそんなフレーズに、ゾクゾクしたものだった。あれから二十年以上の歳月が流れ、雀聖は逝った。生前の阿佐田が好んだ純粋な麻雀小説、「人物よりも麻雀牌が主軸になって展開が定まるような作品」(後記)として読むことのできる時代が到来した。いや、到来してしまったというべきで、だからこの本を読むことは、私にとってどこか無惨で痛ましい体験だった。

オールド・ルーキー
オールド・ルーキー
【文春文庫】
ジム・モリス
ジョエル・エンゲル
定価 620円(税込)
2002/12
ISBN-4167651270
評価:D
 感動を誘うには、その物語が実話である必要はない。よくできたフィクションにこそ、純粋な感動が宿っている場合が多いことくらい、小説読みならだれでも知っている。この、いかにもプロのゴースト・ライターの筆を思わせる読み物風の「自伝」には、平凡な男のありきたりな半生の記録が、たった一度の奇跡の出来事によりかかって綴られている。その「奇跡」にしてからが、これぞアメリカン・ドリームと、メディアによって増幅され、大量消費された物語なのだから、それを実地に体験していない者に言わせれば、So What? ──まあ、そんな意地悪な見方をせずに、もっと大らかになってもいいとは思うけれど、ちょっとばかり忙しく体調不良のなか、時間をやりくりして読んだものだから、少し八つ当たり気味の感想です。

シャドウランド
シャドウランド
【創元推理文庫】
ピーター・ストラウブ
定価 (各)882円(税込)
2002/12
ISBN-4488593038
ISBN-4488593046
評価:B
 村上春樹さんの『海辺のカフカ』の主人公がそうだったように、15歳の少年は特別な存在だ。善悪を兼ね備えた父親の勢力圏からの脱出や、同年輩の少年との友情と裏切り、そしてミステリアスな少女との出逢いと記憶の中での性的一体化。シャドウランド(影の国)というのは心の世界のことで、だからこの作品は、少年が大人になっていく通過儀礼を描いた物語である。──いや、そんなありきたりな読み方はつまらない。シャドウランドでは想念が物質化し、時間が融解する。ひらたく言えば、思ったことが現実になり、生者と死者が語り合う。それは言葉で書かれた物語の世界と同じことで、だから魔術師とは作家そのものだ。これは作者と登場人物の闘いの記録なのだ。──いや、そんな穿った読み方もひねくれている。これは純粋なファンタジーで、ただただ魔術師の手管に煙に巻かれればいい。その上で、読者(魔術師の弟子)は、この作品が自分にあうかどうかを見極めればいいのだ。

鉄の枷
鉄の枷
【創元推理文庫】
ミネット・ウォルターズ
定価 1,155円(税込)
2002/12
ISBN-448818703X
評価:A
 古典的風格と緊密な骨格を備えた推理小説にして、英国風の重厚と軽妙に彩られた家庭小説の傑作。大村美根子さんが「解説」で、「一人の死者を理解させようと作家が努めている小説」と書いている。見事な評言で、実際、物語は、中世の拘束具を被り息絶えた老婦人の「偉大なる個性」や「巨大な自我」をめぐって展開する。モデルの人格的本質を色彩で抽象的に表現する売れない画家のジャックが妻のセアラに、「きみはいつになったら目を開くんだ? 目を開いて人を立体的に見るようになるんだ?」と語っているように、この作品は、ギリシャ悲劇と現代のスキャンダルとの中間に位置づけられる性格のドラマである。だが、ミステリーというジャンルがもつ本質的な欠陥、つまり、すべての謎と秘密が明らかになったときのあの白々しさが、唯一の疵となる。「正しい問いを持つのは、正しい答えを得るよりむずかしいんだ」。セアラにほのかな恋心を寄せるクーパー部長刑事(もう一人の探偵役)の上司が吐くこの名言が心に残る。

抱擁
抱擁
【新潮文庫】
A・S・バイアット
定価 (各)940円(税込)
2003/1
ISBN-4102241116
ISBN-4102241124
評価:AA
 「此処は全てが二重の世界」。女流詩人クリスタベル・ラモットの「水に沈みし都」に出てくる詩句が、この作品のすべてを語っている。──作者は自作を「灰色のクモの巣のようなわたしのパリンプセスト」と呼ぶ。パリンプセストとは、一度書かれた文字を抹消して重ね書きされた羊皮紙のこと。ヴィクトリア朝詩人の秘められたロマンティック・ラブと、「もはや愛という言葉を口にすることはない」現代のポストモダンな性愛が、手紙や日記、詩、幻想譚といった様々な架空のテクスト(クモの巣)群にことよせながら重ね書きされたこの作品は、その原題(POSSESSION)自体がもつ三つの意味、つまり悪魔的な力(取り憑かれた状態)と経済的所有と性的含意のすべてを錯綜したかたちで展開しきった、まれにみる方法意識に貫かれた小説である。歴史ミステリーとクエスト(探求冒険譚)と性愛小説と「パロディー」とが渾然一体となった、まことに大仕掛けで、しかも小説を読む愉しさを堪能させてくれる薫り高い雄編だ。

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