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児玉 憲宗の<<書評>>



おめでとう
おめでとう
【新潮文庫】
川上弘美
定価 420円(税込)
2003/7
ISBN-4101292329
評価:B
 川上弘美さんは言葉の選びかたが繊細だ。宝石箱から今日の洋服にぴったりのアクセサリーを取り出すように、慎重に丁寧に「言葉」を選び出す。言葉の持つ意味だけでなく、響きまでも大切に扱う様は、登場人物自身の言葉に対するこだわりとして表現されることもある。川上弘美流言葉の選びかたは時として「奇抜」。もちろん、その奇抜さが魅力のひとつなのだ。
 そんな美しい言葉で綴られたのは、さまざまな形の恋愛を描いた十二の短編集である。終わった恋もあれば、進行形の恋もある。そして、これから恋に発展するかもしれない予感がする物語も。美しい言葉の響きがもたらす心地よさに酔い、ストーリーのせつなさに酔う。昼間に飲むワンカップの日本酒のようなほんのりした作品集だ。

りかさん
りかさん
【新潮文庫】
梨木香歩
定価 500円(税込)
2003/7
ISBN-410125334X
評価:B
 りかさんは、自分を愛してくれる持ち主と心を通わせ、会話を交わす人形だ。ようこが前の持ち主であるおばあちゃんから譲り受けた。ようこはこれをきっかけに、たくさんの人形からそれぞれの持つ思い出を聞くことになる。それは人形がいかに人間の生活に深く関わっているかを思い知るには充分なエピソードの数々だ。たかが人形、されど人形。お互いを大切に思う気持ちを人形の立場と持ち主側の両方から描く。とても新鮮な視点だ。
 新鮮な視点といえば、併録されている「ミケルの庭」もそう。一歳の幼児が抱く感覚を幼児の視点から見事に描いている。「りかさん」同様、こういった発想、感性は女性特有のものだろう。母性が生み出した母性を描いた秀作と思う。
 解説を読んではじめて気づいたのだが、「ミケルの庭」に登場する蓉子は、「りかさん」の主人公、ようこが成長した姿らしい。そういえば、蓉子の言動からは、ようこが持つ感受性の強さがうかがえる。おもしろい。

だめだこりゃ
だめだこりゃ
【新潮文庫】
いかりや長介
定価 460円(税込)
2003/7
ISBN-4101092214
評価:B
 いかりや長介さんから連想するイメージは、一世を風靡したザ・ドリフターズのリーダーというより、味のある名俳優としての活躍の方が勝ちはじめている。華麗なる転身をやってのけたいかりやさんが、自らの半生を振り返った。気負いもなく、淡々とした語り口が印象的だ。常に第一線で活躍し続けてきた感があるが、順風満帆な道のりではなかったことがわかる。幾つもの波を乗り越えることができたのは、いかりやさんのバランス感覚の良さだ。一度決めたら譲らない頑固さと常に新しいものを取り入れようとする柔軟さ、豪腕な手法で君臨し続ける独裁者としての派手さと個性的なメンバーをまとめ、前面に押し出す裏方的役割を好む地味さ。バランスの良さゆえ、いかなるポジションにも順応でき、いくつものいかりや長介が誕生する。「踊る大捜査線」の和久さんも「8時だョ!全員集合」のチョーさんもいかりや長介。まだまだ可能性を秘めた現役の役者である。

熱帯魚
熱帯魚
【文春文庫】
吉田修一
定価 470円(税込)
2003/6
ISBN-4167665026
評価:A
 「熱帯魚」は恋愛小説である。爽やかさは微塵も感じられない。睡眠を許さない不快指数が充満した熱帯夜の中で、湧き出た汗により腋の下や膝の裏やからだのあちこちを襲うぬるぬる感や、暴風雨によってずぶ濡れにされたシャツや靴下から漂う泥の匂いが、この作品のあちこちに散乱している。類を見ないほどに湿度の高い恋愛小説なのである。
 主人公である大工の大輔は、単純でわかりやすい性格だ。同棲相手の真実はおそらく浮気性。義弟、光男はおそらく引きこもり。隣に住む時先生はおそらく同性愛者。でも彼に比べれば普通の人だ。彼より普通な分だけ、単純でもなく、わかりやすくもない。この事実が少しずつ歯車のズレを生じさせる。しかし、結局、救いは、大輔の単純さとわかりやすさが周りにもたらす安心感だったというお話である。
 他の収録作品である「グリーンピース」「突風」においても、恋愛や人間関係から生まれる微妙な「歯車のズレ」が描かれている。どうやら、お互いの弱さを補いあったり、許し合ったりできる関係が居心地いいみたいだ。納得。

午前三時のルースター
午前三時のルースター
【文春文庫】
垣根涼介
定価 620円(税込)
2003/6
ISBN-416765668X
評価:A
 こ、これは。予想をはるかに上まわるおもしろさに気づくのにはそう多くのページ数は必要なかった。実は読む前はあまり期待していなかったのだ。
 特筆すべきは登場人物が丹念に描かれていること。今まで生きてきた背景とこれから背負っていかなければならない宿命が、性格や価値観をつくりあげる。人との出会いや係わり合いは、性格や価値観に影響を与える。こうして人はそれぞれ別の運命を手にするのである。運命と運命が交錯しながら物語は突き進む。思いっきり人間臭い小説だ。
 急ぎ過ぎとも思える「ご都合主義」的な展開さえ感じられるがそれはそれで構わない。テンポの良さも売りの一つであるこの作品にとってはむしろその方が歓迎だ。読者は立ち止まることを許されず、感動のラストまで一気に引っ張られるだけである。その力強さは、北米仕様のゼットのエンジン(くわしくは本書125ページを)並みだ。

平面いぬ。
平面いぬ。
【集英社文庫】
乙一
定価 620円(税込)
2003/6
ISBN-4087475905
評価:A
 乙一流ファンタジーは、奇抜で魅力的なキャラクターが中心となって繰り広げられる独特な雰囲気を持つ世界が特徴だ。「石ノ目」では、村に古くから伝わる、その目を見た者を石に変えてしまう女が、「はじめ」では、限られた子どもにしか見えない幻想の中の少女が、「BLUE」では、命を持つぬいぐるみが、そして「平面いぬ。」では、からだ中を動き回り、時には吼え、物も食べる犬の刺青が、まわりを翻弄させながらもその魅力を存分に振り撒くのである。「ど根性ガエル」を彷彿させる「平面いぬ。」には、三村マサカズよろしくツッコミを入れたくなるようなバカバカしささえ兼ね備えている。
 どの作品も、家族や友だちに対する真実の愛や友情を思い出させてくれる。どこかに置き忘れた大切な宝物がふとしたきっかけで見つかった時と同じ喜びを手に入れることができる短編集だ。

火花 北条民雄の生涯
火花 北条民雄の生涯
【角川文庫】
高山文彦
定価 900円(税込)
2003/6
ISBN-4043708017
評価:AA
 ハンセン病と闘いながら文学の道をこころざした北条民雄の生涯を綴ったこの作品には、二つの大きな驚きがあった。
 ひとつは、らい病とも呼ばれたハンセン病を病んだ者にしかわからない壮絶な絶望感との闘いである。痛みやからだの変形のみならず、誤った憶測により、差別と偏見の眼差しにさらされ、発病が発覚した場合、家族とも絶縁し、社会からも抹殺される。驚くことに北条民雄は生きるということにこれほどまでにエネルギーを要する境遇にありながら文学の創造に突き進んだのだ。
 もうひとつの驚きは、川端康成の献身的な援助の数々である。すべての作品に眼を通し、作品に対する賞賛やアドバイスを丁寧に繰り返し、発表に値する作品は、川端の手によって世に出された。入院費に困る北条に自らの財布から原稿料を払い、原稿用紙も川端負担で自由に使用させた。いくら川端康成が新人発掘の名人と呼ばれていたとはいえ、当時、三十代で『雪国』などを精力的に手がけていた時期である。北条がどうして自分の作品を川端に委ねたかは、この評伝においても明らかにされていないが、川端康成の情熱なくして、作家、北条民雄は誕生しなかったことだけは間違いない。
 北条民雄はこうして惜しくも二十三歳でこの世を去ったにもかかわらず、人の心を震わせる傑作を残した。代表作『いのちの初夜』はさっそく読んでみたい。

放送禁止歌
放送禁止歌
【光文社知恵の森文庫】
森達也
定価 680円(税込)
2003/6
ISBN-4334782256
評価:A
 数々のドキュメンタリー作品を手がけたテレビディレクター、森達也さんによる「放送禁止歌」の謎を解くための取材記録である。
 放送禁止歌を解き明かしていくことは、見えない魔物に闘いを挑むようなものだ。本書では、岡林信彦「手紙」、赤い鳥「竹田の子守唄」などの具体的な背景を一つひとつ、丹念に編みこむように検証していく。魔物は、圧力をかける巨大な権力ではなかった。それは幻であり、本当の正体は、ややこしい問題を避けるためだけに自主規制という方法に逃げ、むしろ、規制やマニュアルの存在を望むマスメディアの姿勢だったといえるだろう。限られた時間と予算のなかで忙殺されたマスメディアが自分自身で考え、主張することを放棄しているのである。ここにたどり着いた著者は、「自分を含めたマスメディアに帰属する者たちが変えてくれる未来に希望を持ち、決して絶望しない」と結ぶ。確かに、そう信じることが、現状打破への第一歩に違いない。森達也さんの実直さとバイタリティが封じ込められたこの熱い一冊がその突破口になることを祈りたい。

北野勇作どうぶつ図鑑
北野勇作どうぶつ図鑑(1〜5)
【ハヤカワ文庫JA】
北野勇作
定価 (各)441円(税込)
2003/4〜2003/6
ISBN-4150307164
ISBN-4150307172
ISBN-4150307180
ISBN-4150307199
ISBN-4150307245
ISBN-4150307253
評価:B
 四月に早川書房営業部のAさんが来店され、「かつてないユニークな本を出すことになったので、ハヤカワ文庫の棚だけでなく、たくさんの人の目に留まる場所に積んでほしい」と強く推されたのがこのシリーズだ。動物図鑑?SFショートショート?おりがみ付き?内容はよくわからなかったが、Aさんの熱い気持ちは十二分に伝わり、発売前から楽しみにしていた。
 登場するどうぶつたちは、作品によっては必要不可欠なキャラクターであり、作品によっては意表をついた存在だ。いずれにしてもその存在感は尋常ではない。きっと生態や特徴についてのリアルな描写がそうさせるのだ。SF界の動物博士、北野勇作さんしか描くことのできない、どうぶつの不思議な魅力で溢れている。かわいらしさやいじらしさがちょっと微笑ましい。

500年のトンネル
500年のトンネル(上・下)
【創元推理文庫】
スーザン・プライス
定価 (上)882円
    (下)777円(税込)
2003/6
ISBN-448859901X
ISBN-4488599028
評価:A
 16世紀と21世紀をつなぐタイム・トンネル。500年は、慣習や価値観をまったく正反対にしてしまうに充分な歳月だ。向こう側の世界を体験した者は、奇妙なデザインと材質の服装、いかにもまずそうな色や臭いの食事などに、例外なく驚き、うんざりする。このあたりの描写は実にうまい。
「スターカーム(16世紀に生きる一族)と握手をするな」という忠告の言葉がある。スターカームは右手で握手をして左手に短剣を持っている。友好的な顔を見せても決して信用してはいけないという意味だ。皮肉なことにこの狡猾さだけは、時代を超えても不変な人間の本質である。都合のいい理由をつけて、家族や仲間といった自分側の人間を守るために、略奪し、騙し合い、殺し合う。決して自分たちは悪くない。16世紀側と21世紀側の人間が互いに友情や恋愛感情を抱きながらも、最終的に殺し合うしかなかったのは、双方が持つ利己的な「人間の本質」によるものであり、これこそ、本作品の最大のテーマに思えた。