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竹本 紗梨の<<書評>>



人が見たら蛙に化れ

人が見たら蛙に化れ
【朝日文庫】
村田喜代子
定価 987円(税込)
2004/9
ISBN-402264334X

評価:A
 土ぼこりの、土蔵の中のかび臭い匂いがつんと鼻先に匂ったような気がした。骨董をめぐり、胡散くさいとしかいえない人々が、さらに怪しい生活に身を浸していく。他人の蔵の中から、山奥の土の中から、土をかぶってお宝がでてくる。生活はすべてお宝のため。その両目と数え切れないほどの経験だけが、ただの土なのか、それとも比類ない宝物なのか、毎日がギャンブルで、人生にその匂いをしみこませて生きている。胡散臭くて愛しい、愛を注いだ宝物には「人が見たら蛙になれ」と心を込めてさする。人間を愛おしむように、皿一枚、壷一つに愛情を注ぐ。まっとうな人生ではないけれど、ちょっとすすけた愛情に囲まれているような気がする。宝物と同じように、ちょっといかがわしくてなんだかかわいらしい小説だ。

サウダージ

サウダージ
【角川文庫】
盛田 隆二
定価 460円(税込)
2004/9
ISBN-4043743025

評価:B+
 本を読むならその空気もすべて味わいつくしたい。そんなことを考えて、遠くの街のインドカレー屋でわざわざこの本を読んでみた。つまらない考えだけど、スパイスの香りと耳に入らない言葉にかこまれるとすうっと本の中に入っていけた。サウダージとは、ブラジル人の会話で日常的に使われる言葉。孤愁、追慕、思慕感覚。失われたものを懐かしむ、さみしい、やるせない思い。インド人の母と日本人の父を持つ裕一は、派遣会社で働いている。人との交流を意識的に絶つそのムードに引かれて、寂しくて苦しい人たちが寄ってくるのだ。それを無下にできず、さらに寂しさ・苦しさを背負い込んでしまう。その追い詰められ方があまりにも苦しいけれど、今までの自分を変えるため、何かが動き出すラストが良かった。「ヒトの感情を表す言葉を、モノを指し示す言葉のように翻訳することは不可能だ。」というあとがきだけど、かなり近い線まで迫っていると思う。

花伽藍

花伽藍
【新潮文庫】
中山 可穂
定価 460円(税込)
2004/10
ISBN-4101205337

評価:B+
 不器用ながらも、手探りで人を愛して、その愛が形を変える日を迎える……。そんな微妙な気持ちの揺れや、人と人が近づいたときに、二人の間に生まれるかすかな、独特なもの。暗闇で姿は見えないけれども、微かに香る花の匂いをかぐ様な物語たちだ。行き場のない思いを、背中に彫り付けたわたし。別れた元夫が転がってきたことで、夫と共に縁が切れてしまった、義理の姉や義父と。またつながった糸が生活を変えた公子。彼女と別れたが、「孝太郎さん」と「りり子さん」との優しい愛情のやりとりを目のあたりにして、もう一度…と勇気をもらうことになった一夜。どの話も、繊細で、優しい目線で描かれているが、最終話の老女、伊都子とゆき乃の生活は男女を問わず、どのカップルにとっても夢であり続けるのかもしれない。愛情を全うする、ずっと一緒にいる、そのことを丁寧に描いた話だった。

東京物語

東京物語
【集英社文庫】
奥田 英朗
定価 650円(税込)
2004/9
ISBN-408747738X

評価:A
 70年代に青春を過ごし、80年代にオトナになっていく…そんな年代を周りの空気感ごと丁寧にすくい取った青春小説。名古屋出身の田村久雄は大学を受験し、キャンディーズの解散コンサートの日に名古屋から上京する。演劇部に入り、状況劇場やつかこうへいの生の舞台を、同じ空気を体験する。大学を中退して、小さな広告代理店に入社し、ジョン・レノンが殺された日には東京中を駆けずり回り慌しく仕事をこなしている。夜空に向かい『イマジン』を唄う。つきまとう将来への不安と、それでも楽しい日常。主人公と同じ気持ちを共有し、共感しながら読み進めていけるのは、久雄と自分が同年代だからだけではない。その丁寧な描写と久雄の細かい心の揺れがとてもリアルに感じられる。湾岸戦争の年に中学生になり、ミレニアムの年に社会人になった。世代は違っていても、心の動きに共感できる。私も今から大人になっていけると、年だけは大人になったけれどすんなり思える小説だ。

笠雲

笠雲
【講談社文庫】
諸田 玲子
定価 680円(税込)
2004/9

ISBN-4062748584

評価:A
 明治維新で世の中も変わり、世捨て人のようになってしまった政五郎も、幕末は清水次郎長一家の一の子分で、ケンカに博打にと勇名を馳せていた。のらりくらりと世をすね生きていたが、次郎長を始め、周囲の人はそんな政五郎を見捨てずに、富士山麓の開拓という大事業を任せた。新時代に入り、人の考え方も生き方も変わっていて、その中で生き抜くのは大変苦しいことだ。そしてそんな苦しい中、必死に努力をする政五郎をあざ笑うかのような事件が起こる。激変の時代を一緒に過ごしてきた相撲常が恋に落ちる。一生一度の大恋愛、しかしその想いを利用され事件が起こってしまうのだ。誰もが強くない、不器用だけれど、誠実な人々の気持ちが温かい。「時代遅れ」が何だというのだ、と気持ちまで温かさにつつまれる1冊。

象られた力

象られた力
【ハヤカワ文庫】
飛浩隆
定価 777円(税込)
2004/9
ISBN-4150307687

評価:A
 収録作「デュオ」。最初に収められているこの話には、思い切り引き込まれて、そしてすこんと異世界に置いていかれた。双子の天才ピアニスト、デネスとクラウス。その調律士として、もとピアニストのオガタイクオが呼ばれる。双子の弾くピアノの音色はまさに天才、その描写の豊かさには、本という紙を通してもうっとりとさせられる。しかし、デネスとクラウスの音色の中に、異なる「死の香り」をかぎつけたイクオは、死の音を支配するものと直接対決する。そしてイクオは、双子だけの音を取り戻すのだが…。ここからの展開には、背筋に冷たいものが走る。音は、想いは自由自在なのだ。展開の見事さに、読んだ後も楽しませてもらった。

体の贈り物

体の贈り物
【新潮文庫】
レベッカ・ブラウン
定価 540円(税込)
2004/10
ISBN-4102149317

評価:AA
 最初はただの淡々とした日記なのかと思っていた。だけど、ホームケアワーカーの私は全力で「普通の生活」を守っていた。HIVに感染された人たちは、「私」にとって大切な人間になりかけると、はかない贈り物を残して、旅立っていく。そんなことの繰り返しに彼女も力尽きかける。人が亡くなるのを看取ると「アウトテイク」と呼ばれるカウンセリングを受けるが、どれだけ周りが配慮をしてくれていても、心に大きく開いた穴はふさがらない。でも人は生きているだけで、存在するだけで大きな力を発揮する。それは例えば、リックが用意したシナモンロール、コニ―の優しい気遣い、マーガレットのおびえのない強さ。人間の尊厳を静かに描ききって、読後なにか力がわいてくるような、そんな連作集だ。

凶犯

凶犯
【新風舎文庫】
張平
定価 791円(税込)
2004/8
ISBN-4797494271

評価:AA
 凶悪な殺人事件の発生を起点にして、導火線に火がついたような事件前の感情の高まりと、事件後の対応が時間軸で展開される。骨太の文章と、主人公狗子の強い意思がぎりぎりと迫ってきて、その高い緊張感が最後の1Pを読み終えるまで続くのだ。狗子は国有林の保護監視員として派遣され、ひとつの村の中で国の腐敗と人々の弱さと戦い、ついには重大な殺人事件を起こす。私は甘っちょろい読者だなあとこんな本を読むとつくづく思うのだけれど、こんな強力な小説を読みながら、救われるエピソードを求めてしまう。そして衝撃的な事実が書き付けられている中で、狗子の強い意思と、その妻桃花の叫ぶような訴えに救われた。暗く腹にこたえる話だが、主人公には迷いがない、そしてその力が何かを少しでも突き動かす。狗子の強い訴えを引用する。
「一生恨みを耐え忍ばなくてはならなくなる。一生頭を上げて生きられなくなる。一生人様に合わせる顔がなくなる。決してそんな生き方はできない。生きているうちはまっとうな人として生き、死ぬ時も男らしく生きたい」このまっとうな切望が、この小説の状況下においては何よりも大きな力になるのだ。