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藤本 有紀の<<書評>>



天を衝く

天を衝く(1〜3)
【講談社文庫】
高橋克彦
定価 \770(1.2)
\730(3)
2004/11
ISBN-4062749157
ISBN-4062749165
ISBN-4062749173

評価:A
 作者が一体なにをいいたいのか簡単には分からない小説に独自の解釈を行うことも読書の大きなたのしみだと思うが、単純で明白なメッセージを放つ作品に動かされることも少なくない。とりわけそれが正義を主張している場合には。九戸政実という武将がいた。豪胆で、先の先まで見通す炯眼に優れた政実。その実力を恐れ、阿呆な南部宗家の棟梁・晴政やダーティーな策士・北信愛、拗ねた弟・泰実らが南部統一を願う政実の足を引っ張る。政実が戦場や合議の場で、奇策と隙のない理論を武器に幾多の危機を退ける前半。途方もない数の秀吉軍と対決する後半。特に後半、勝敗の行方の見えない活劇的要素もさることながら、その慎重さで敬慕する兄を補佐するクレバーな弟の実親や、政実に同調する武士たちの勇気が日本人的な美意識を刺激する。どんなに奥歯を噛み締めてもこらえられずに涙した。人知れず感涙することもまた読書が独りのものであればこそ。九戸党−その中心に政実、実親という歴史が指導者には選ばなかった傑物がいた。そのことを決して見過ごさず、これだけの紙幅を費やす物語とした著者の強い思いが伝わってくる。

背く子

背く子
【講談社文庫】
大道珠貴
定価 650円(税込)
2004/11
ISBN-4062749270

評価:B+
 口当たりがいいか悪いかは問題ではない。どうしようもなく口当たりの悪い物語が魅力的だということはもちろん、ある。そう改めて思った。春日は自他共に認める、大人の顔色をうかがう子供らしくない子供。周囲の人間のよこしまさを鋭く感じとってしまい、心安まらない日々を過ごす。物心つくかつかぬかという年齢である。十八で年老いたマルグリット・デュラスどころではない。苦悩は人を老いさせるだろうが、それにしても犬のチロにしか警戒心をほどけないというのは……。苦悩の最大の種は父。自尊心は人一倍強く親としての道徳心に問題がある。根本的に自分に自信がないため攻撃的になりがちな父の言動は滑稽ですらある、と春日は見ている。産後の見舞いに自作のぬり絵を持参したくだりや、手紙を出そうと無邪気にも自分で封筒と切手(!)を作った春日に対する母の無関心にことさら胸が痛むのは、あるいは私の長女性と反応したためか。大人ばかりか子供の邪悪さを照らし出した幼稚園男児と〈いけにえ〉のシーンには最高度の戦慄を覚えた。この胸の痛み、この戦慄。これらを掻き立てるパワーこそ大道の真骨頂だと思う。柳美里をも凌ぐのではないか。

シルエット

シルエット
【講談社文庫】
島本理生
定価 440円(税込)
2004/11
ISBN-4062749262

評価:C
 表題作のほかに2篇が収録されている。連作のつもりで書かれているのではないようだけど連作のような作品集だ。主人公が高校生・大学生(と思われる)・中学生の女であること、離婚した母と二人家族であることが必ず語られているため、同じ人物を描いているのかなと思わせられる。連作であるかどうかはさておき、10代の少女の心の内面を描いた作品が島本の得意とするところであれば、一連の作品は私にはどうにもこうにも訴えかけてこない。高校生が元恋人を思い続けながら新しい恋人と性交し、大学生は恋人と同棲し、中学生は古本屋で異性のクラスメートに会うというだけ。本を読んでこれだけはいうまいと固く封じている「それがどうしたの」という感想を口にしてしまいそう。恋人のくんづけ、ちゃんづけがそもそも嫌いだ。『文學界』か『オール讀物』、どちらかくれるといわれたら私は『文學界』を選ぶ。島本には期待していた分がっかり。芥川賞にノミネートされた「リトル・バイ・リトル」と「生まれる森」が残っているのは幸いだけれど、また同じような話だったら心底、失望しそう。


ゆっくりさよならをとなえる

ゆっくりさよならをとなえる
【新潮文庫】
川上弘美
定価 420円(税込)
2004/12
ISBN-4101292337

評価:B
 石油ストーブの上で薬缶の湯がシューシュー音をたてて沸いているような暖かい部屋で、一人過ごすときに読むと雰囲気が出るのではないかと思う(外は寒いほうがいい)。こういう、たまの穏やかな気分を壊さないでいてくれる読み物はありがたい。食べ物・本・電車にまつわる文章が中心の、作家の周辺雑記エッセイ集である。傍らに本を積み重ね、背表紙を撫でてみたりするという川上の本への愛着ぶりは、アプローチの方法は人それぞれだろうけど、読書人なら分かるはず。私はしょっちゅう本を並べています。ちょっとうれしくなったのは、20ページぐらい読んで「これはどこかで読んだことがある感じだ」「『暮らしの手帖』だ!」と思っていたところ、川上が『暮らしの手帖』を愛読していたという文章に出会ったとき。怠惰なくつろぎではなく、むしろ『暮らしの手帖』的に「さあ、お茶でも入れましょうか」とやや居ずまいを正しながら読みたい。もっとも、川上ファンは、惜しみなく公開された作家の嗜好や読む本のタイトルに興奮してリラックスどころじゃないかもしれない。

もう切るわ

もう切るわ
【光文社文庫】
井上荒野
定価 500円(税込)
2004/10
ISBN-4334737692

評価:A-
 「もう切るよ」でも「もう切るから」でもなく、『もう切るわ』。どんな女性がだれに対してこういったのか、その背景にある物語を想像させ、期待させる素敵なタイトル。〜するわ、といういい方は、大人の女にこそ似つかわしい。というより、大人でなければ使えない。例えば、30代の母が父に向かってやや苛立ちまじりに「先に出るわ」といっているような状況や、外国映画の女優のせりふの吹き替えなどが思い浮かぶ。女性を大いに感じさせながら必要以上にぬくもりを込めないで、男に何かを伝えるのにちょうどいい表現だと思う。
ひとりの男が限られた余命であることを知る。その男の妻と恋人による語りが、時系列を解体したひとりの女の過去と現在(つまり、男からの電話を指折り数えて待っていた過去と夫と別れようと思っている現在)であるかのように読者は錯覚する。この惑わしのストーリーテリングが本書の妙味であろう。印象的な「鍵穴」の章。筋書き、心象描写、夫婦の会話の質のすべてがいいのだが、「お寿司ができ上がったけど、食べられる?」という平凡なワンフレーズがまた素晴らしい。

コロラドの血戦

コロラドの血戦
【新潮文庫】
クリントン・マッキンジー
定価 900円(税込)
2004/11
ISBN-4102150412

評価:B
  アントニオが麻薬捜査官として奉職するワイオミングは、「男は男らしく、羊は怯える土地」という古いジョークにたとえられる。女がレイプ被害にあうということもあり、男=強者、女=弱者の設定が極端だと普通は反発を覚えるもの。しかし、この小説は違う。喧嘩の傷は当たり前、飼い犬に噛まれるわ、ロック・クライミングのロープでザーっと手のひらを擦りむくわ(熱そうで痛そう)でいつも傷だらけのアントニオを始め、ピンチのときには頼りになる兄ロベルト、父レオナルドらが、男らしさを履き違えていないから、女は守られるのが自然と思うわけである。バーンズ家の男たちのように強くて優しい男が多ければ、男は男らしく女は女らしくという理想も成り立つ。第2部では犬がパートナーだが、兄弟の冒険シーンが見られる第3部がじっとり手に汗握るところ。ワシのマークの製薬会社を連想してしまうけど。長男らしく複雑な性格が極端な行動に現れる兄と、熱いときは熱く、冷静なときは冷静な弟のファイト、一発! 意地が悪くて弱い男は退場するがいい。長い修飾語(節)がなににかかっているのか分かりにくいところが時々あるのが玉に傷。「薄いブロンドの髪」って頭髪が薄いのか、色が薄いのか? という程度なら問題ないのだが。


売り込み

売り込み
【新潮文庫】
ダグラス・ケネディ
定価 980円(税込)
2004/12
ISBN-4102138153

評価:C
 マドンナとも浮き名を流した元NBAプレーヤーのデニス・ロッドマンは手記の中で、NBAの50パーセントはセックス、残り50パーセントは金だといっている。スポーツビジネスに限らず、ネット長者やミュージシャンなど、急に大金を手にすると次はいい女、という価値観は幅を利かせているよう。セルジオ越後を度々怒らせていた元Jリーガーが海外のチームに移籍したとき、取材に訪れるテレビスタッフにJJだかCanCamだかを所望していたのは、すごーく気持ち悪かった。未だに忘れられない。さて、デヴィッドは脚本が売れると、しっくりいっていなかった妻と縁を切り、新しい女と結婚する。やり手の妻との新生活は、忙しくも物質的に満たされ、社会的に認められた満足で充実していたが、ある日災いが降ってかかる。浮かれ過ぎです。こんな発言を聞いたことがある。「プロ野球選手ってさー、奥さんブスだと、いい人に見えない?」。道徳的にちょっと問題ありだとしても、これ見よがしなトロフィー・ワイフを伴った男は底が浅い、と思われてしまうこともまた事実だと思うのです。

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた
【ハヤカワ文庫FT】
J・ティプトリー・ジュニア
定価 588円(税込)
2004/11
ISBN-4150203733

評価:AA
 語り手が異邦人であること、その土地への憧れと不安とが大前提にある物語が私は大好きだ。とりわけ、北アフリカとユカタン半島における異邦人ものは、ベルベル人の迷路のような街に誘い込まれるとか、暗い目のメキシコ人にマチェーテで襲われるとか、不安の要素を盛り込んだ優れた小説・紀行文が多いように思う。マヤ人の末裔の土地・キンタナ・ローに逗留するアメリカ人学者が語り手のこの連作短編集は、怖い話ではないが異邦人性は確かに感じられる。では、怖いでなくてどんな形容詞が当てはまるかというと、「不思議な」。不思議で、この上なく「美しい」話。視覚には、白いビロードのカウチに寝そべる虎や海底を歩くロブスターの長い行列、海・砂浜・空の様々な色の描写−磨きあげられた緑金とサーモン色、レモン色と煙ったブロンズ色、藤色、サフラン色、薔薇色、カリブ海のターコイズ色……−が、スペイン哀歌や複雑な抑揚の呪い言葉が聴覚に訴えかける。また、ファンタジーには魔法がつきものだという思い込みからも自由にしてくれた。奇譚の系統としてガルシア=マルケス的。翻訳書にありがちなカバーデザインの投げやりさもないし、挿し絵が入っているのも歓迎。