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平野 敬三の<<書評>>


背く子

背く子
【講談社文庫】
大道珠貴
定価 650円(税込)
2004/11
ISBN-4062749270

評価:B+
 往々にして父親との思い出はあまり楽しいものではない。まあ父親などそういうものだし、いくら僕が深刻な顔で「うちの親父さあ」と愚痴ってみても、友人には笑い話としか聞こえないのである。本書もそういう類のエピソードにあふれているが、こ、これは笑っていいのか、と、(まあすでに笑ってはいるのだが)ためらってしまうほど悲惨な家庭だ。家庭というのだけでなく、幼稚園や親戚や友人関係やとにかくあらゆる環境が悲惨なのである。とにかくダディ(父親のことです)のキャラが最高だが、あまりに度が過ぎていて、読んでいて少し辛くさみしい。子どもの春日がかわいそう、というより、ダディという人間がかわいそう。辛い痛い。だから、最後に一家が幸せそうに見えた時、なんだかわからないがほっとした。変な言い方だが、これまで小説を読んでできた中で、一番「いい家族」だなと思った。楽しくないはずの思い出がいつまでもいつまでも胸に残ってしまう理由が分かって、ちょっと胸が苦しくなった。

シルエット

シルエット
【講談社文庫】
島本理生
定価 440円(税込)
2004/11
ISBN-4062749262

評価:B+
 主人公がふわふわしている。いまいち「そこにいる」感じがしない、というのが本書を読んでのまずはじめの感想だ。透明感、という言葉を使おうとも思ったが、ちょっと違うような気がしてやめた。ふわふわしている。そこにいる感じがしない。なんだか、現代の若者をステレオタイプ化したような形容だが、本書にそこまでの社会性を読み取ったわけではもちろんない。そして、そういう主人公の在り方に対して批判めいた何かを感じ取ったわけでもない。ただ、読後、かなりの時間を経るまで、僕の中で戸惑いが消えなかった。うまく作品を消化できないというか。すごく素直で繊細でみずみずしい作品に思うが、一方ですごく作為的でふてぶてしく老獪な印象を受ける瞬間もある。おそらく僕が困惑してしまったのは、島本さんが大人なのか子どもなのか境界線がはっきりしていないからで、自分はそういう境界線をはっきりさせないことには落ち着かない人間なのだという悲しい結論に至った。そんな僕でも、2・3日経ってようやく落ち着いてきて、なんだか妙に魅力的な話だったなあといまさらのように振り返っている。

ゆっくりさよならをとなえる

ゆっくりさよならをとなえる
【新潮文庫】
川上弘美
定価 420円(税込)
2004/12
ISBN-4101292337

評価:E
 川上弘美のエッセイが苦手である。彼女の小説は狂おしいまでに愛しているというのに、エッセイの類はどうも読んでいて「けっ」と思ってしまう。好きな作家だけに少し困る。ただ「けっ」と思うのだが、読んだすぐ後に家人に「カワカミヒロミがね・・・」と話し出すと止まらない。すごく嬉しそうに話してしまうので、実はけっこう良いエッセイなのではないかと思ったりもするが、私も頑固なので読んでいる途中の「けっ」の方を信じて評価を定めるのである。好きな作家との付き合いも、周囲が思うほどお気楽ではないのだ。それにしても本書で川上氏が絶賛する「おくらに大根おろしをまぜただけのもの」、家人に頼んで作ってもらったが、誠に絶品であった。

もう切るわ

もう切るわ
【光文社文庫】
井上荒野
定価 500円(税込)
2004/10
ISBN-4334737692

評価:A
 普通に考えれば、決して「幸せなお話」ではない。妻も愛人も、ふらふら彷徨ったままにラストを迎える本書は、解説で角田光代氏が書いているとおり、ハッピーエンドとは言い難い。でも、本書を読むことで人は、誰かを愛することの痛みを思い出すとともに、いまいちど誰かを愛すること喜びを感じてみようという心持ちになるはずだ。ふたりの女性は、「純」でも「まっすぐ」でもないが、だからこそ一途な恋では描けない心の揺れが読者の心を大いに乱すのだろう。そして最後まで彼女たちの想いを受け止めない(ように描かれる)木暮歳の存在がいい。川上弘美のニシノユキヒコもそうだが、こういう「浮世離れなキャラクター」は最後まで自分のキャラを通し抜くべきであるということを再確認させてくれる。変に女たちに歩み寄ってはいけないのである。どの場面、どの台詞を読み返してもぐぐっと胸を締めつけられる恋愛小説の傑作だ。


ちがうもん

ちがうもん
【文春文庫】
姫野カオルコ
定価 570円(税込)
2004/10

ISBN-4167679248

評価:B
 いい話、でまとめることもできたはずである。が、実際はどうもすっきりしない。もやもやした感じ。過去と現在を行き来する構成が、若干、物語を分かりにくくさせていることも一因だが、なによりも著者の「割り切れなさ」に対する自然な態度が、このような作風を生んだのだろう。ひとつの価値観で割り切っていかないから、読み手の感情はどうしても拡散していく。つまりストレートな人情物として読めないのである。そしてそれが本書の持ち味なんだろうと思う。著者は子供という複雑な存在を「無知で不純」と描くことで、「子供は無邪気で純粋」というありがちなイメージに揺さぶりをかける。ということで、「あのころ」を美化して懐かしむ小説ではないのだが、ときおり、妙に説教くさい昔話が挿入されているのが残念。そういう話ではないだけに、ちょっと白けてしまうのだった。

きょうもいい塩梅

きょうもいい塩梅
【文春文庫】
内館牧子
定価 550円(税込)
2004/11
ISBN-4167690012

評価:A
 もし僕が本書にPOPを付けるとしたら、「最初の3ページをじっと立ち読みして下さい。」といったような文句を間違いなく使うだろう。それくらい導入部が見事である。これは何も最初のエッセイに限らず、どの箇所を読んでも、とにかく一発で惹きつけられる。ダラダラ書いてダラダラ読ませる名人芸のようなエッセイもたまにあるが、やはり文章は書き出しが最も重要なのだという、極めてオーソドックスな作法を本書は鮮やかに見せつけてくれる。もちろん、書き出しだけが面白い、というわけはなく、最後のオチまでいちいち見事だ。後半のエッセイにややしんみり系が多くなり、少し前半のお転婆ぶりが懐かしくなる他は、文句の付けようのないほどの名エッセイが並ぶ。語り口は穏やかでも、色々なものがほとばしっている。笑って泣いて、そうして僕は内舘さんのファンになった。ついでに(失礼)、藤原正彦氏の解説も白眉。

売り込み

売り込み
【新潮文庫】
ダグラス・ケネディ
定価 980円(税込)
2004/12
ISBN-4102138153

評価:A
 すべての危機を乗りこえた主人公の、なかば冷め切ったような穏和な態度が印象的だ。そして、物語の最後で自問される彼のつぶやきは、読み手を強く揺さぶるに違いない。「我々には危機が必要なのだ」「だが結局、我々の危機の黒幕は誰なのだろうか?」。それはつまり、最大の黒幕だと信じた男の口から最後に出た言葉が、かなりの真実を含んでいることを示唆している。これは単純な転落と再生の物語ではない。転落が不幸で、再生が幸福とは言い切らないところに、強く好感をおぼえた。読み出したら止まらない、抜群のストーリー展開に加え、いたるところにハッとさせられる心理描写や人間模様がちりばめられている。そしてそれが決して「教訓話」にならないところが、本書の美点である。

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた

すべてのまぼろしはキンタナ・ローの海に消えた
【ハヤカワ文庫FT】
J・ティプトリー・ジュニア
定価 588円(税込)
2004/11
ISBN-4150203733

評価:C
 本書を「幻についての物語」と読むか、「幽霊についての物語」と読むかで、印象は違ってくると思うが、個人的にはこれは美しい幻の話と受け取った。とにかく三編とも摩訶不思議な話で、全体的にはぼんやりしたつかみ所のない物語でありながら、ラストはどれも妙に印象的だ。まるでそれまでの展開が、この鮮烈なラストに向けての煩雑な手続きに思えてくるくらい、ガラッと景色が変わるのである。残念なのは、その「手続き」のほとんどが退屈に感じられてしまう点で、ちょっと淡々とし過ぎかなという気もする。そこが味なのだとする向きもあろうし、別にドラマティックな盛り上げが似合う作品とも思えない。そういうひとつの完成された作品だからこそ、自分との距離を余計に感じてしまうのかもしれない。