|
六〇〇〇度の愛
【新潮社】
鹿島田真希
定価 1,470円(税込)
2005/6
ISBN-4104695025 |
|
評価:B
六〇〇〇度とは、あの日の長崎の温度。この小説が抱える渇きは、あの日には不在だった、現代を生きる女のものだ。固有名詞を持たず、「女は」で語られる。団地住まいの主婦が非常ベルの音をきっかけに、家庭や子供を置いて逃避行する数日間の物語だ。間に挿入されるのは「自分にそっくりな女の私小説を一冊書いて終わりの物書きになるだろう」という「私」の一人称語り。聖書に出てくる、サマリアの女。アトピー性皮膚炎を抱える、混血の青年。アルコール依存症で亡くなった、兄。暗示的なキーワード、女の倦怠と懺悔が連綿と綴られて圧倒される。ただ、題材にされた内面の物語は、長編でなく、最小の言葉を選んだ詩や短歌で読めたら、と思わないでもない。インパクトがあり魅力的だったのは、冒頭の日常の場面だ。我が子を抱え、カレー鍋をおたまでかき混ぜさせ、テレビ番組のむこうでは、着ぐるみと踊る体操のお兄さんが「しつけ糸のような細い」腋毛を見せている。精神性や情緒的な描写より、淡々とした目線の先がおもしろい。
|
|
ポーの話
【新潮社】
いしいしんじ
定価 1,890円(税込)
2005/5
ISBN-4104363014 |
|
評価:A
ずっしりきます。本の重さもそうですが、何より物語世界そのものに、思わず沼地で手足をとられたような感じ。ポーの誕生の瞬間から行く末は、川から海へと行き着く旅、あるいは転生の物語。名前を持たず、メリーゴーランドとか、ひまし油、天気売り、などの通称で呼ばれる登場人物たちが魅力です。岸辺で暮す「うなぎ女」たちを母とするポー(プリミティブな母性そのものから誕生するシーンは感動的だ)。純真無垢なポーが、事情を抱えた他者に出会うことで「たいせつなもの」「つぐない」について学び取っていく。第一部は、ポーの友人の話。すけこましの兄と、兄の悪態をついてばかりの妹。「くされちんぽ、くず野郎」と妹が罵るのを真に受けていたポーは、瀕死の兄を案じた妹が泣きじゃくるのを見てポカンとする。救いを求める彼女のため、水の中に入るポー。『スタンド・バイ・ミー』の秘密基地が浮かんでしまう、出会った人たちとの日々は印象的だ。恋人や家族の喪失の物語が多い中、私という「個」ではなく、「世界」を見ようとする姿勢はすごいなあと思う。
|
|
くうねるところすむところ
【文藝春秋】
平安寿子
定価 1,750円(税込)
2005/5
ISBN-4163239901 |
|
評価:B
偶然出会った鳶の親方(ちょいイケメン?)に、ほわーんとなってしまった30女が、職場の上司で愛人でもある男に三行半を叩きつけ、ほわーんの勢いのまま転職してしまう。どこへ? そこはガテンな建築現場。リストラに失敗し、人手難であたふたしている小さな工務店が舞台。素人ながら現場監督までまかされてしまい右往左往しつつも張り切るヒロイン。でも、肝心のイケメン親方は彼女に何の反応も示さない。ヒロインの目線で追っていくなら仕事を通じた今風の成長小説です。家が建つまでの様子はよく描けているし、脇役も豊富。でもなぁ、なんかなぁ……。仕事に熱中するものの頭ん中は彼のことでいっぱい。9時台のガテン系ラブコメのテレビ向きっていうか。内面描写のノリの軽さに、なんか違和感を抱いてしまう。すいすい読めるが、いまいち腹に物足りない。一点気になったのは、人と関わるのが不得手な現場監督の山本くん。ダメ男くんです。が、一方的に切り捨てるのではなく、山本くんの別の一面をすくいあげているのが小説としてよかった。 |
|
賢者はベンチで思索する
【文藝春秋】
近藤史恵
定価 1,785円(税込)
2005/5
ISBN-416323960X |
|
評価:B
話の舞台はファミレスと公園。現代からちょっとおいてけぼりを食らったような設定のミステリー。主人公の久里子は、服飾の専門学校を出たものの、コスプレ系の制服に身を包みファミレスでバイトの日々。ひきこもりの弟の部屋からは、残虐なゲームの音が聞こえるだけだし、母親からは口うるさく言われるし。実家暮らしの宙ぶらりん、居心地の悪さがよく出ている。ある日母が保健所から犬をもらってきたことで、久里子の生活圏が変わる。犬の散歩中に出会ったのは、バイト先の常連の老人だ。公園で二人は少しずつ会話を交わし、周囲に起こる事件を解明していく。公園で頻発する雑種犬の変死。異物混入騒動。児童誘拐事件。三つ目の事件では、老人の秘密が関係してくる。恋人もなく「大人」と「少女」の中間にいる主人公の目線が、ラストでは救いになっている。活躍するのが少年と少女のちがいはあるけれど、初期の宮部みゆき作品を彷彿とさせもする。
|
|
恋するたなだ君
【小学館】
藤谷治
定価 1,470円(税込)
2005/6
ISBN-4093875774
|
|
評価:B
人生最後の瞬間に、こういう夢を見たいもんだ。走っても走っても空回りするバカバカしさではあるんだけれど。帯に「不思議の国のアリスみたい」と書いてあるし、著者の映画学科卒という経歴が関係しているのか、独特のテンポと台詞回しが戯曲っぽい。一日か二日かのお話は、不条理なジェットコースターストーリーというか、スローなラブストーリーというか。愛車で出かけた「たなだ君」は、ある女性の後姿にひとめぼれし、彼女を追ううちに、ある街に迷い込んでいく。すべてが奇妙にずれまくっているヘンな街では、難題をふっかける存在や不思議な料理などアリス的な要素がいっぱい。最初はへなちょこだった主人公が、来訪者の目線で街の真実を語ってみせるシーンはちょっとした見せ場。色恋や筋で読ませる作品ではなく、ささいなシーン。街のサンダル屋さんに「いくらか」となだ君が問うと、しばらく考え「アー一万円」と店主。「一万円!」「アー、じゃあ百円です」。言いなおし、泣きそうな顔になる店主。こういうの、ワタシは好きだ。 |
|
てるてるあした
【幻冬舎】
加納朋子
定価 1,785円(税込)
2005/5
ISBN-4344007840 |
|
評価:A
なんだろう、この爽快感。サウナから出て飲む生ビール、というか、肉体労働の後の麦茶、という感じかな。表紙や目次のメルヘンなイラストに反して中味は結構シビア。志望校への入学を控えた照代はある日、愕然とする。親が入学金を振り込み忘れ、締め切りを過ぎていた。「お金なかったの」しれっと言う母。浪費家でルーズな父母の陰で、彼女は昔から給食費にさえ困っていた。高校進学断念どころか一家は夜逃げするハメに。一人、遠い親戚の家に厄介になることになった照代は見知らぬ街で、ふてくされたり心の中で毒づいたりしながら金を稼いで街の人々と関っていく。ファンタジー風な謎の携帯メールや幽霊がどうしたよりも、厳しいおばあさんとの食事風景が読ませる(テレビのついていない食卓だ)。ハリネズミのように尖がっていた少女の心が解けるのは、最後の最後。少女の母が思いがけない素顔を見せたその瞬間、ぷはーっと、気持ちいいゲップを出した感じかな。
|
|
バ−スト・ゾ−ン
【早川書房】
吉村萬壱
定価 1,785円(税込)
2005/5
ISBN-4152086378 |
|
評価:C
大昔に見た「マタンゴ」という映画が浮かんだ。何回も。嵐で座礁したヨットの遊び人たちが、腹ペコで色鮮やかなキノコを口にし、次々と化け物キノコに姿を変えてしまう。なにが恐ろしいって、まだハンパに人間部分が残った連中が、これを食べたら楽園よと誘惑する、声。手招き。いっそ早くに食っちまってお仲間になったら、なんて臆病にかられながら見たものだ。前置きはともかく、これは正体知れずの「テロリン」に怯え、がきから大人まで国民は自分がやつらの仲間でないことを立証するため、あるいは憂さ晴らしで、怪しいのを目にするとリンチにして殺してしまう。そんなことがまかり通っている時代。国は、国民操作をはかりテロリンの拠点がある「大陸」への志願兵を送り込んでいく。つまり、彼の地ではマタンゴな事態が起っていたわけだ。人が大量に何の意味もなく死んでいく壮絶な近未来設定のB級ゲテモノ感は、読者を選り分けるだろう。短編なら快作だったと思う。しかし、延々と読んだ末に残る残像が、女の陰毛齧りが趣味の野郎や、屍累々ゲロゲロの悪臭というのはどういうものか。 |
|
黄金の声の少女
【新潮社】
ジャン=ジャック・シュル
定価 2,310円(税込)
2005/5
ISBN-4105900471 |
|
評価:C
自分の女房について、前衛作家の夫が描いたもの。書かずにはいられない、いい女なんでしょう。ウォーホル、サンローランらが登場する華やかさ。各界の男たちに愛された女神を射止めた、男の自慢話に見えなくもないけど。顔の皮膚の疾病のため、一家で病院を探して回ったという彼女の少女時代。女優として脚光を浴びる今も病に怯えている様子を、静かに見ている眼差しは光っている。しかし、それよりもっといいのは、客席から妻の舞台を眺める場面。好みの髪型の女性客が気になって、顔を見ようと躍起になる。浮き出ている彼の人間味。映画監督の前夫が、彼女を想って遺した散文を見た彼が、女房の小説を書こうと思い立つ劇的な展開よりも、「あなたはモデルが好きなくせに」と妻が詰れば「君のようには同性愛者らに馴染めないさ」と言い返す痴話喧嘩や、ふたりがタクシーの中で無言でいるシーンのほうが、夫婦という退屈さを生きる普遍を覗かせて魅力だった。だけど、だからどうってわけじゃないですが、手にしている最中、似たような二人の顔が浮かんでしょうがなかったのはワタシだけか。 |
|