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水野 裕明

水野 裕明の<<書評>>



冬の標

冬の標
【文春文庫】
乙川優三郎
定価650円(税込)
2005/12
ISBN-4167141655

評価:★★★
  日本画を通した「或る女の一生」と思いきや、絵に一生をかけた女性の溢れる情熱を感動的に描いた時代小説の秀作であった。幕末の世情や時代の動きと、主人公明世の生活が縦糸横糸に織り込まれて、山本周五郎の哀歓と司馬遼太郎の骨太さを足したような面白さがあった。主人公である明世と彼女に関わる、修理や平吉などの画仲間、息子、義母たちの生きた道筋が表情豊かに描かれている。そこに、子が親になり、その子にまた子ができ、年老い、そして当時の親の心根を感じ取る。そうやって人は繰り返しを生きているという時の流れを俯瞰する面白さは、現代小説では描ききれないものではないだろうか。最後に明世が息子に家をまかせ、江戸へ、新たな絵の勉強のために旅立つ場面は、将来の不安と希望がないまぜになり、さらにはこれまで彼女と関わった人たちの思いやりや暖かさが情感豊かに描かれて、本当に感動であった。

トワイライト

トワイライト
【文春文庫】
重松清
定価660円(税込)
2005/12
ISBN-416766903X

評価:★
 40歳を前に、小学校の卒業記念に埋めたタイムカプセルを開けるというので集まった同窓生たちの、タイムカプセルオープンからの1週間を描いた長編。リストラに合いそうなソフトウェア会社の課長補佐や、同窓生同士で結婚しながら家庭崩壊・離婚に面している夫婦、人気が落ち目の予備校の有名講師などが集まる。さて、タイムカプセルが開けられて、隠されていたそれぞれのトワイライトがあからさまになっていくのだが……。確かに“ある、ある”とは思うエピソードなんだが、40歳前でたそがれるのは、あまりに早すぎないか?と思えて、読んでいて共感できなかった。描かれているそれぞれの事情──リストラや家庭内暴力による家庭崩壊、離婚──はあるにしろ、大なり小なり“自業自得”という気もして、なおさら引いて読んでしまった。作中、杉本という結婚もせず重い肝臓病の同窓生が、家庭崩壊・離婚の危機にある友人に「家族のため、子どものため、奥さんのせいといいながら、実は自分のためにがんばって、自分のせいで失敗した。自業自得っていうか……」と語らせる場面がある。当を得た一言という感じで、この一言のためにこの長い物語が書かれたのではないだろうか。

いつもの道、ちがう角

いつもの道、ちがう角
【光文社文庫 】
松尾由美
定価480円(税込)
2005/12
ISBN-4334739881

評価:★★
 外国の短編「猿の手」に代表されるミステリーともSFともホラーともちょっと違う、江戸川乱歩が「奇妙な味」と呼んだグループに入る7短編集。ミステリー風の味付けで「琥珀のなかの虫」「厄介なティー・パーティ」「裏庭には」「恐ろしい絵」、ホラーっぽい「麻疹」「窪地公園で」。どれも読後感がなんともいえない奇妙な味わいを残す。オチの付け方が微妙に違っていて、「琥珀」「厄介」「恐ろしい」「窪地」はある意味オチが読み始めから想像できるオーソドックスな構成だが、「麻疹」と、最後の「いつもの道、ちがう角」はオチがないというか、はっきり言って肩スカシというべき終わり方。解説には「整合性、予定調和がない小説もあり」みたいなことが書かれているが、不合理・不条理を描くこと、解決が実はないということを描くことはあるし、解説のように整合性のない作品もあるだろうけど、これはどうだったのだろうか?なんとなく、オチがつけられなくなってしまっただけ、のような気もするが……。

侵入社員(上)

侵入社員(上・下)
【新潮文庫 】
ジョゼフ・フィンダー
定価各700円(税込)
2005/11
ISBN-4102164138
ISBN-4102164146

評価:★★★★
 どうなるんだろう、どうなるんだろうとページを繰る手を止められないエンタテインメント企業小説。働く気のないダメ社員が、会社の金で同僚の退職パーティをしたために社長から、告発されるかスパイとなってライバル企業の新商品情報を盗むかの選択を迫られる。そしてライバル企業に首尾よくヘッドハンティングされ、あれよあれよという間に社長に認められ側近社員となって、もくろみ通り情報をスパイするのだが……。途中で何となく、ラストのどんでん返し、というかオチは分かってしまった。おそらくほとんどの人が分かるだろうと思う。普通に考えて、こんなに調子よく社長に認められて出世できるわけないし、スパイする新商品というのがこれまでにないちょっと実現しそうにない高性能なものなので……。でも、アメリカの企業の有り様とか、CFOやCEOなどと呼ばれる人たちの思考法とかが垣間見えて、最後まで興味は尽きない、楽しい一冊だった。これを書いているとき、ライブドア社長逮捕のニュースが流れた。「なぜ、アメリカが経済大国になった知っているかね。1811年、北部の男が英国の最も重要な秘密を盗み、これがアメリカに産業革命をもたらした。すべては産業スパイ行為から始まった。」と最後に話す社長の言葉と重なって、そんなビジネスモデルを移植した日本の会社はどうなるのだろうと、と思ってしまった。

神無き月十番目の夜

神無き月十番目の夜
【小学館文庫】
飯嶋和一
定価670円(税込)
2005/12
ISBN-4094033149

評価:★★
 戦国時代も終わった慶長七年(一六〇二)陰暦十月。常陸国(現代の茨城県)小生瀬の村で起こった全村民の惨殺の顛末と、その事件がおこるまでの村の歴史をゆっくりと説き起こしていく。戦国時代の勇壮な時代小説を予想していると肩透かしを食うが、しっかりとした文体で、詳細に解き明かされていて、かなり読みごたえがある。序章での嘉衛門が村へ入り村民虐殺を発見するところから話は13年前に戻り、なぜ村人虐殺が起こったか、その因を解き明かしていく。その様は、解説に「歴史的な古文書の蒼古さを漂わす」とあったが、まさにその通りで、古文書を現代語訳したような緻密な描写は、じつに実証的で、詳細。刀などの武具の描写や騎馬術、騎馬による戦い方など余り一般的で無いことまで、よく調べられていて、しかもその描写のリアルさに驚いた(もちろん、書かれている時代の衣装や習俗、食べ物などについて逐一文献に当たって調べたわけでないし、実際に見たわけではないからリアルという評価は正しいとは言えないが……)。重厚で骨太な歴史小説が好きな人にはこたえられない1冊かも。

貴婦人Aの蘇生

貴婦人Aの蘇生
【朝日文庫 】
小川洋子
定価525円(税込)
2005/12
ISBN-4022643552

評価:★★★
 いかにもこの作者らしい世界が広がる1冊。
帯にあった『博士の愛した数式』よりも『沈黙博物館』の世界により近い物語世界が広がると感じたのだが(ま、『博士の……』の方が映画になって名が売れているので仕方ないかと思うが)。どこにでもありそうでいて、実はどこにもない幻想的な世界なのに、いかにも幻想小説という体裁を取っていないところがスゴイ。けれど、これは一種の幻想小説だと思う。登場人物もリアリティーがありそうで、読んでいくほどに、はかなく、かそけく、でも愛しく……。話は剥製マニアの伯父が亡くなって、残された義理の伯母と同居することになった「私」の日々が綴られていくのだが……。実はこの伯母が、最後のロシア皇帝ニコライの娘、アナスタシア?というところからストーリーはどんどんと幻想味を帯びてくる。ドアの前で回転してドアの四隅を押さないと入れないという強迫神経症を持った「私」の恋人のニコや、あやしげな雑誌の編集者オハラなどいかにもフリークな人々が登場するのだが、変に安らぎと静謐さが溢れる、小川ワールドが広がっている。

水の繭

水の繭
【角川文庫】
大島真寿美 
定価460円(税込)
2005/12
ISBN-4043808011

評価:★★★
 男女の双子が主人公で、離婚した両親それぞれに引き取られて分かれて暮らしている。やがて、一方の親が亡くなってしまう。そしてわかれていた双子が再会し、新しい生活の一歩を踏み出すまでの物語ということは……。山田詠美の「PAY DAY!!!」とほとんど同じ登場人物の設定である。テーマも大切な人を無くした喪失感とそこからの再生、成長とほとんど同じなのに、こんなにも味わいが異なる作品になるのは、ほんとうに作者の個性・思想の違いなんだろう。主人公“とうこ”は父の死を現実のものととらえきれず、泣くこともなくただ、ただ拒否するかのように生きている。いとこや双子の兄、祖母、ご近所のあやしげな喫茶店の夫婦などいろいろな人に見守られ、言葉ではなく思いやりによって、新しい一歩を踏み出そうとする。一方「PAY DAY!!!」では家族一人ひとりの努力というか、個人の考え方で乗り越えていこうとしているように感じた。簡単に日本的、アメリカ的と決めつけはできないが、ぜひ、多くの人が読み比べて欲しいと感じた。

夜明けのフロスト

夜明けのフロスト
【光文社文庫】
R.D.ウィングフィ−ルド 他 
定価600円(税込)
2005/12
ISBN-4334761623

評価:★★★
 寡聞にして『ジャーロ』というミステリー専門誌が季刊で出版されていることを知らなかった。ネットで調べると錚々たる本格派の作家が並んでいて、驚いてしまった。その『ジャーロ』に掲載された短編のアンソロジーがこの1冊。“クリスマスにハートウォーミングなミステリーを”がテーマらしく(でも、ミステリーなので殺人事件が起こるので、ハートウォーミングと言うのは辛いのもありますが……)クリスマスにちなんだ作品が8編。それもよく知られた探偵や警部が主人公の作品が多いので、この時期ではちょっと季節外れかもしれないが、けっこう楽しく読めた。読後感で抜群なのは「あの子は誰なの?」。“実は本当の父親は違うの”、と言い残して亡くなった母の言葉から本当の父親探しをする青年と、その父親候補となった主人公の警官の、イブからクリスマスまでのどたばたを描いたストーリー。殺人は起こるが、青年の無実は晴らされ、本当の父親もわかるクリスマスにはちょうどいい読み物であった。タイトルの「夜明けのフロスト」は長編でも活躍するフロスト警部の短編。イブの夜に次々と事件が起こって、徹夜で走り回るフロストの様子が描かれた、これもクリスマスにぴったりのストーリー。これで何の罪もない警備員が殺されなければ、ハートウォーミングで良かったのだけれど……。

クリスマス・プレゼント

クリスマス・プレゼント
【文春文庫】
ジェフリー・ディーヴァー
定価950円(税込)
2005/12
ISBN-416766187X

評価:★★★★
 ディーヴァーの諸作は長編と言いながら、各章毎がそれぞれ質のいい短編で、それらを組み合わせて出来上がっているように感じていた。この短編集を読んでその感じがより強くなった。「ジョナサンがいない」をはじめとして多くの作品は、彼の長編の1章を読むような感じで、その前後に関連する多彩な章がつながっているように思わせる。ディーヴァーの長編は最後のどんでん返しへ向かって、どうなるのだろう、どうなるのだろうと期待をふくらませられ、早く早くとページを繰って読んでしまう。長編は情報や蘊蓄が多く、意外と密度が濃いので早く読み進めにくく、ついつい飛ばして読んだりしてしまうのだが、短編だとすぐにどんでん返しまで読み切れるので、その点愉しかった。意外に早くネタが割れてしまうものあり、シェイクスピアも登場するイギリスを舞台にした作品もあり、もちろんリンカーン・ライムの短編もありと、変化に富んでいて、読み続けて飽きないお得な1冊。ちなみに、「ノクターン」は「クリスマス・プレゼント」のタイトルにふさわしいハートウォーミングな結末でおすすめ。でも、面白さではリンカーン・ライムものが断トツだった。

狼の帝国

狼の帝国
【創元推理文庫 】
ジャン・クリストフ・グランジェ
定価1050円(税込)
2005/12
ISBN-448821407X

評価:★★★★
 実はフランスのミステリーを読んだのは、ほとんど初めてだったが、アメリカの同様のミステリーとはまた違った味わいがあるように感じる。アメリカのものが“チェイスチェイス”追跡して追いつめてゆく面白さ、スリリングさに主眼があるとすると、この作は物語としての奥深さ、構成の緻密さ素晴らしさにあると言えるのではないだろうか。高級官僚夫人アンナの記憶障害とトルコ人女性の連続殺人事件に端を発した物語は、あれよあれよという間に話が展開し、トルコの麻薬組織やイスラム、トルコ帝国の歴史へとつながっていき、それが最後にはひとつの因に行き着く手際は本当に見事。話の広げ方まとめ方は京極夏彦の「塗仏の宴」に優るとも劣らない出来栄え。さらに、移民社会となってしまったヨーロッパの闇の部分から、記憶操作や心理的条件付けなどの最新の科学知識も満載。本当に話が縦横無尽、なんとも大掛かりな物語構成で、かなりページ数が多いが、最後まで一気に読ませられてしまった。