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松井 ゆかり

松井 ゆかりの<<書評>>



イッツ・オンリー・トーク

イッツ・オンリー・トーク
絲山秋子 (著)
【文春文庫】
定価410円(税込)
2006年5月
ISBN-4167714019

評価:★★★★★

 絲山秋子という作家はすごいということになっている。作家や評論家たちもそう考えているだろうし、一般読者の間でもそういった評判が定着していることだろう。だからもしかしたら「絲山秋子?なんかうまいらしいね」という印象が先行してそのまま読まずにきてしまった方もおられるのではないかと思うが、そのような先入観をかなぐり捨ててぜひお読みいただきたい。
 この本には表題作と「第七障害」の2編が収められているが、どちらも人物造形が魅力的だ。強いけれども弱い、まっとうでありながら破綻している、しっかりしているようで危ういといった二面性に自らも翻弄されているようにみえる主人公たち。そして彼女たちを取り巻く登場人物たちもそれぞれ不器用に生きている。個性際立つ彼らの中にちょっとずつ自分の片鱗をみる思いだ。
 つらいことがあっても、いいことなんて何も起こらないように思えても、人生は続いていく。心が疲れたときに効く一冊。

龍時03-04

龍時03-04
野沢尚 (著)
【文春文庫】
定価600円(税込)
2006年5月
ISBN-4167687038

評価:★★★

 必要以上に作家を意識して作品を読むのはもしかしたら正しい読み方ではないのかもしれないが、それでもこの小説が野沢尚の遺作であることが、しかも自ら選んでの死による結果だということがどうしても頭を離れなかった。
 ひとつひとつのプレーについて丹念過ぎるくらいに描写されているのに、少しも過剰さを感じさせないことに驚く。スピード感も損なわれてはいない。ほんとうにいいものを書きたかったんだなと作者の情熱が感じられる。これほど打ち込んで書かれているということが、ほとんど予備知識なく読んだ私にも強く伝わってくるほどなのに、野沢さんはこのシリーズを真に完成させることなく逝かれた。もし続編が生まれていたら、リュウジはこのワールドカップをどう戦ったのだろうか。

対ブラジル戦敗戦の夜に


さよなら、スナフキン

さよなら、スナフキン
山崎マキコ (著)
【新潮文庫】
定価620円(税込)
2006年5月
ISBN-4101179425

評価:★★★★

 シンデレラ・ストーリーでもない、成長小説ともちょっと違う、いわゆるハッピーエンドのめでたしめでたしでカタルシスが得られるわけでもない。ではいったいこの小説のどこに心ひかれるかといえば、主人公大瀬崎亜紀の愚直なまでに不器用な生き方にあると思う。
 “何をやってもうまくいかない感”とでもいったものを抱えた彼女が、バイトの面接に行ったことから物語が動き出す。そのプロダクションの社長に見込まれる、本を出版させてもらうことになる、大手新聞社や出版社から声がかかる…と次々に幸運が舞い込んでくるのに、大瀬崎はことごとくチャンスを自らの手で棒にふってしまう。「どうしてだ、大瀬崎〜!」と歯がみする読者のことなどおかまいなしに、彼女は我が道をゆくのだ。その姿にあなたは歯がゆさと爽快感の入り交じった複雑な思いを抱くことだろう。
 いよいよラスト近く、最大の転機に大瀬崎が選択するのは…?どうぞ読んで確かめてみてください。

ブレイブ・ストーリー

ブレイブ・ストーリー (上・中・下)
宮部みゆき (著)
【角川文庫】
上巻定価700円(税込)
中巻定価700円(税込)
下巻定価740円(税込)
2006年5月
ISBN-4043611110
ISBN-4043611129
ISBN-4043611137

評価:★★★★★

 あんこと生クリーム、ヤッくんと岡江さん、アボカドとわさびじょうゆ…。ナイスな組み合わせと思うものを思いつくままに挙げてみた。そんな中でも最高のカップリングと言っていいもののひとつが宮部みゆきと主人公の少年だろう。おもしろくないはずがない。
 フツーの男の子だった亘が、バラバラになった家族の絆を取り戻そうと幻界と呼ばれる異世界に旅立つ。ファンタジーであり、成長小説であり、家族小説である。戦いによって負う傷よりも、言葉によって抉られる心の痛みが、つらそうでひるんでしまう場面が何度かあった。生きるということはきれいごとではすまされないのだという事実を突きつけられているようでもあった。亘も自分の心にある弱さや臆病さと向き合い、それらを受け入れることで成長していく。ゲームっぽいという批判もあろうが(作者もそのつもりで書かれているようだし)、やっぱり“宮部みゆきと主人公の少年”は素晴らしい。

非・バランス

非・バランス
魚住直子 (著)
【講談社文庫】
定価470円(税込)
2006年5月
ISBN-406275391X

評価:★★★★

 自分が親というものになってから読む児童文学は、時にけっこう胸を刺す。「大人はわかってくれない」「親なんて頼りにならない」「親に話しても無駄」という諦めを読み取ってしまうからだ。
 この小説の主人公も小学校でいじめを受け、中学校ではクールに友だちを作らず生きていこうと決めた。傷ついた彼女の心に親は気づかないままだ。そんな主人公が「願いをかなえてくれるミドリノオバサン」と見間違えたことで知り合うことになったサラさんや実はひとりぼっちだった同じクラスのみずえと出会って強くなっていく。
 いじめを受けている子のほとんどは、サラさんやみずえのような存在と出会うことができないからつらいのだ。でもサラさんを見てわかるように大人にも苦しいことはある。つらいとどうしても打ち明けられないならせめて、苦しいのは自分だけじゃないということが少しでも支えになればいいがと思う。

匣の中

匣の中
乾くるみ (著)
【講談社文庫】
定価920(税込)
2006年5月
ISBN-4062753898

評価:★★★★

 ああ、こういうの大好きだなあ!いえ、不謹慎に思われたら申し訳ない。もちろん殺人という行為を肯定しているわけではまったくない。こんな風に全編密室やら暗号やら見立てやらに彩られた小説、それ以上にそれらを苦しみながら生み出しているであろう作者、もしくはいわゆる本格と呼ばれる(この作品のような)推理小説に耽溺する読者を、私はたまらなく愛しているのだ。
 素晴らしいではないか!冷静に考えたら突飛としか言いようのない謎解き(しかもそれは往々にして真実とされる)を披露する探偵役、その推理に心底感銘を受ける他の登場人物、そもそもの謎を作り出した犯人、誰ひとりとっても「そんな暇があったらバイトのひとつもして、親孝行したまえよ!」と突っ込みたくなる。本家である「匣の中の失楽」もこんな感じなのだろうか。ああ、気になってたまらない。

ジゴロ

ジゴロ
中山可穂 (著)
【集英社文庫】
定価460円(税込)
2006年5月
ISBN-408746041X

評価:★★★

 中山可穂さんの小説を読むのはこれが初めて。彼女について「自身がレズビアンであることをカミングアウトした作家」という以外の知識はほとんど持っておらず、時折書店で見かける本の装丁などから、とてつもなくスタイリッシュな作品を書く人だろうと思っていた。
 そして今回「ジゴロ」を読んだわけだが…こんなベタな感じなの!?まあ、あとがきで中山さんご本人が自分の作品の中ではちょっと系統が違うという趣旨のことを語っておられるし、別にそれが悪いと言っているわけでもないが、不意打ちだったので驚かされた。ラテン歌手(という設定がそもそもすごいが)の芸名が「恋路すすむ」って…。
 連作の中心人物であるカイをはじめ登場人物たちの心情が残念ながらあまり理解できなかったが(女性同士の恋愛物語だからということではなく)、最後の短編に出てくる順子さんはなかなか清々しくてよかった。

ジョン・ランプリエールの辞書

ジョン・ランプリエールの辞書 (上・下)
ローレンス・ノーフォーク (著)
【創元推理文庫】
定価1155円(税込)
2006年5月
ISBN-4488202039
ISBN-4488202047

評価:★★★

 「驚異の大バロック小説」「ギリシア神話をなぞる奇怪な連続殺人」といった謳い文句と、いつもの創元推理文庫にも増してぎっしり詰まった文字量に圧倒され、「もしや、清涼院流水『コズミック』的作品!?」という予感が胸をよぎったのだが、読み終わってみれば割と直球のミステリーだった。印象としては、シャーロック・ホームズの長編に近い。
 それにしても、よもやジョン・ランプリエールが実在の人物だとは思わなかった。表立って名誉毀損になるような表現はなかったような気がするものの、このように怪しげな小説の主人公に祭り上げられてはランプリエール家の末裔が抗議の手紙を送りつけたというのも致し方ないか。そういったセンセーショナルな部分も含めて、様々な要素が混在する興味深い小説であった。よくオチつけられたよなあ、この話。

隠し部屋を査察して

隠し部屋を査察して
エリック・マコーマック (著)
【創元推理文庫】
定価924円(税込)
2006年5月
ISBN-448850403

評価:★★★

 帯に「奇想きらめく20の物語」とあるが、そしてその謳い文句に誤りがあるわけではないが、この作家のすごさは単に「奇想」を描けるだけでなく、バラエティに富んだ20もの「奇想」を生み出せるところにあるのではないかと思った。悪い冗談のような、周到に練られたほら話のような、理不尽な夢のような物語がこの本には紡がれている。
 例えば表題作は村上春樹を彷彿とさせる純文学テイストだし、「刈り跡」はSF風味、「窓辺のエックハート」はミステリー調と自在なものだ。不穏でグロテスクですらあるのに奇妙な透明感をたたえた作品群は、万人受けはしないかもしれないがある種の人々の心を確実に捉え、彼らの記憶に残ることだろう。

フェルマーの最終定理

フェルマーの最終定理
サイモン・シン(著)
【新潮文庫】
定価820円(税込)
2006年6月
ISBN-4102159711

評価:★★★★★

 「博士の愛した数式」に涙し、「世にも美しい数学入門」に深い感銘をうけたが、それでもこの本にこれほど心を動かされるとは思っていなかった。数学者たちについて書く、すなわち人間を描くということに重きが置かれているとはいえ、私のような門外漢からみれば紛うかたなき数学書である。それなのに読み始めて数ページ、序文から涙していた。
 正直言って、数学的な部分の記述に関してはおそらくほとんど理解できていないと思う。しかし著者サイモン・シン氏がその部分をとてもわかりやすく噛み砕いて説明していることは感じられるのだ(それでもその内容自体は理解できないわけだが、それはまた別の話)。何よりも数学の美しさに魅入られ生涯をかけた幾人もの数学者たちの姿が胸を打つ。「フェルマーの最終定理」を証明したアンドリュー・ワイルズがこの難問を解決しようと心に決めたのは、なんと10歳のときだったという。いったいどれほどの大人が10歳の頃の夢を追いかけ続けているだろうか。どんなに苦労や挫折を味わっても、それは確かに幸せのひとつの形であるように思われる。