WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫班】2007年7月のランキング 文庫本班

藤田 万弓

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森のなかのママ 空を見上げる古い歌を口ずさむ 水の迷宮 痙攣的 雲雀 伝説のプラモ屋 親孝行プレイ 天使の牙から 夜愁(上・下) 充たされざる者

森のなかのママ
森のなかのママ
井上荒野 (著)
【集英社文庫】
税込580円
2007年5月
ISBN-9784087461602

 
評価:★★★☆☆
少女小説かもしれない、という思いが浮かんだ。浮き世離れしたママと生前に画家であったパパの間に生まれた、いたって普通の大学生いずみ。全体の雰囲気は、よしもとばななの「キッチン」に似た「普通の家族とは少し違う」家族の形、という空気が漂う。ママの美貌にひれ伏す(?)いずみの片思い相手でもある伏見さんや、妻も愛人も居るのに森園家に頻繁に足を運ぶトリさんたち。彼らを家族のように描く人間関係の開放感が、この小説を支えている明るさなのだと思う。
パパの愛人がTVを通じてパパとの思い出を語るシーンが登場しても、文中には一切「嫉妬」や「恨み」のような生々しい感情は登場しない。ネガティブな感情に対してライトに書き上げている点も、本書を「少女小説」のように感じさせる理由の一つだろう。そして、主人公のいずみが少しずつママを女として理解していく過程は、物語上では特に何も問題は解決していないのに希望を感じる。
雰囲気は好きだが、照次郎に対してもう少しずるさを見せるようにいずみを描いていたら、面白かったのになあと少々残念な気持ちになった。

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空を見上げる古い歌を口ずさむ
空を見上げる古い歌を口ずさむ
小路幸也 (著)
【講談社文庫】
税込600円
2007年5月
ISBN-9784062757362

 
評価:★★☆☆☆
本書に対し、のっぺりした印象を持った。全てのエピソードを大切に描こうとする作者の優しさや、繊細な感性は伝わってきた。ただ、そのせいで凹凸がなく、語り続ける主人公の兄の昔話に腰を据えていいのか、現在、彰が陥っている問題を解決するためのツールとして読めばいいのか、迷ってしまう。
温和な街で次々と起こる謎の死と、今から数十年前の兄が小学生だった頃のパルプ工場付近での、決して裕福ではない時代感の描写は、素晴らしいと思う。死体となったバンバの親父の顔に湧いたウジ虫の様子など、目に浮かぶほど気味の悪さを再現した。
この文章のよさがのっぺりしたストーリーとあまり相性がよくなかったせいか、私個人の意見で言えば記憶に残りにくい小説だった。
〈違い者〉、〈解す者〉など作者の独特な世界観の構築を後半部分で唐突に出してくるのではなく、初めからタネあかししていた方が読者も入り込みやすかったのではないかと思うと、もったいない。ミステリーとファンタジーを融合させることの難しさを実感する小説だった。

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水の迷宮
水の迷宮
石持浅海 (著)
【光文社文庫】
税込660円
2007年5月
ISBN-9784334742423


 
評価:★★☆☆☆
爽やかな読後感だ。表紙の透き通るような水色の反射する水同様この話もまた澄んだ水を感じさせる。
もっとも途中、いや終盤まではその水が透き通るのかどうかはもちろんわからないしむしろ濁っているかのように思わせる展開がつづく。謎解きの会話が冗長な節があり、そこはページをはやく繰って話を追おうとするけれどそうして読みとばしたところにこそ鍵が隠されているのがミステリーの常套手段だ。つまり手法としては使い古された古典的手法を使っているといえよう。ただしこの本の特徴はともかくも最後の読後感にある。それは謎解き後のエピローグにつながるのだが架空の話だと重々承知でいながらももしかしたら本当の話かもしれないと思わせる。そしてそこにいる人間とともに現実社会の中でまた気持ち新たにやっていこうと感じてしまうのである。このような人間を描く作家に頑張ってほしい。

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痙攣的
痙攣的
鳥飼否宇 (著)
【光文社文庫 】
税込620円
2007年5月
ISBN-9784334742447

 
評価:★★☆☆☆
高度である。読者を選ぶ作品だ。まずミステリーを普段から精読していて既存の枠からはみ出ていないと満足できない人。
それに加えて現代アート、ロック、サイエンスなどの今日的話題についていける人。
そもそもこのタイトルから人を選んでいるような態度であるから、手に取るような読者はこの条件を満たしているのだろう。
作者が読者を試しているのと同様に読みながらこちらも作者がどこまで行くのかを見届けるような具合である。
ただしその見届け先にカタルシスは予感してはならない。裏切りとギリギリのパフォーマンスも含めて芸といわなければならないだろう。上記に挙げた条件以外でも単純に現代アートの雰囲気を味わいたい人でも楽しめるかと思う。
ただしこれらのジャンルに精通している人にとってはむしろそれらが単に装置として書かれているだけなのが不満に残るのではないかと思う。

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雲雀
雲雀
佐藤亜紀 (著)
【文春文庫 】
税込600円
2007年5月
ISBN-9784167647049


 
評価:★★☆☆☆
とんでもない知識量だ。知識と構成、その緻密さは目を見張る。
短編集とも呼べようがいくつかの章からなる長編と考えて良いのだろう。
四つの話が微妙に重なり合い、ひとつの成長を描く。
それは史実に照らし合わせてもまた重なるものであり、かつSF的な超常現象が入り込んで世界に彩りを増している。
言葉の洗練され具合が素晴らしい。はじめの戦場シーンから、その静謐で硬度の高い文章は読者をひきつける。
会話ひとつにしても通俗的なものは排除され、そのあたりは純文学と呼びうる。
ただしこれを純文学足りえさせないのはこの世界の異質性だ。エンターテインメントとしてなら一級である。
歴史ものにしてSFものだ。ただこの世界を現代日本の小説界に提示する根拠は薄いのではないか。
技術が洗練されているだけに読者に強く訴えるものが見えにくい。しかしそんなジャンルわけはどうでもよかろう。
硬質な文体と確固と屹然する世界はこの著者にしか描けまい。

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天使の牙から
天使の牙から
ジョナサン・キャロル (著)
【創元推理文庫】
税込882円
2007年5月
ISBN-9784488547110

 
評価:★★☆☆☆
ファンタジスティックなタイトルと表紙から連想される柔らかな話を期待すると見事に裏切られる。
しかも、裏切られたことに気がつくのはおよそ終盤。語り手が章毎に入れ替わり、その都度語り手に共感してしまう単純な自分にも気がつく。
軽いタッチの会話も多いがその裏に著者のたしかな小説観が伺えた。
寡作にして死をテーマとしていることからも垣間見られるがここで死は単なる物語装置ではなく、それを通じて読者に思考をも訴えるために真摯に扱われている。ひとつ不満に感じるのはキャラクター。
ワイアットとアーレンの死にかけのTVタレントと元女優という設定は凡庸だった。
しかしそれにも関わらず読者に共感を誘う心理描写の巧みさは素晴らしく、いやおうなく巻き込まれていってしまった。

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夜愁(上・下)
夜愁(上・下)
サラ・ウォーターズ (著)
【創元推理文庫】
税込924円
2007年5月
ISBN-9784488254056


 
評価:★★★☆☆
戦時下のロンドン。戦時下、さらに群像劇であるということからにぎやかで激しい調子を予想すると、そこに広がる静謐さに驚く。
日本語タイトルはこの本全体の雰囲気をよくあらわしていると思う。特徴としては時間軸が逆に進んでいくこと。
だんだん過去に遡っていく。戦時下の物語は日本のものでもたくさんあるものの、この静けさはどうしても英国の香り漂うように感じる。それにしても同性愛の描写がじつに正面からなされている。本書はミステリーではない。時間が遡ることで発掘感はあるけれど謎解きというものではない。この静けさの中読み留まらなかったのはこの同性愛のシーンに惹きつけられたからかもしれない。裏を返せばそれがなければ途中で放棄しかねないほど慎重に書かれているということだ。しかし最後までついつい読み進めてみれば最後に至った後、また始めに戻ってみたくなる。さすがはブッカー賞最終候補。

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充たされざる者
充たされざる者
カズオ・イシグロ (著)
【ハヤカワ文庫epi】
税込1470円
2007年5月
ISBN-9784151200410

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評価:★★★★★
カズオ・イシグロは上品な作家だ。英国上流社会、そして日英関係を流麗な文体で描く。それは読むものをうならせ、感嘆の声をあげさせる。しかし彼は同時に無謀な実験を重ねる作家でもある。本作からは彼の上品な面など構わないほど実験性にかける野心が伺える。「カフカ」の字が帯になかったとしても両者を読んでいればすぐにこの世界はカフカをモチーフにしていることがわかる。その悪夢的で論理の通じない、延々と繰り広げられる会話から次々に矛盾をはらみながら展開する世界。イシグロはカフカの描けなかったことが描けている。人々の過去と喪失感だ。カフカが徹底して不条理を書いたのに対しイシグロはこれまでの作品でも扱われていたテーマをここにも見せている。延々と続く途方もない話。要約すらできないその世界に私は得も言われぬ興奮を覚えた。文庫にして939ページを、もう一度読み返したいと思うのだから相当の不条理感だといえよう。

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