年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫本班】2007年9月の課題図書 文庫本班

雪沼とその周辺
雪沼とその周辺
堀江敏幸 (著)
【新潮社文庫】
税込380円
2007年7月
ISBN-9784101294728
商品を購入する
 >> Amazon.co.jp
 >> 本やタウン

  荒又 望
 
評価:★★★★★
 最後の営業日を迎えたボウリング場の経営者や、こだわりの音を届けるレコード屋の店主など、山あいの静かな町で暮らす人々を主人公とする連作短編集。
 なんと語彙が豊かで綺麗な日本語なのだろう、とため息が出る。かなりの長さをもちながら、すらすらと淀みなく流れる品の良い文章。とても上質な布に触れたときのような幸福な気持ちで読んだ。
 『送り火』に登場する陽平さんは、針金でも入っているかのようにいつでも姿勢の良い人物として描かれている。それだけでもう心のありようが透けて見えるのだが、陽平さん以外の登場人物も皆、つねに背筋をすっと伸ばして日々を過ごしているような印象を受けた。誠実で控え目で、自分の流儀を守りながら、しっかりと地に足をつけて毎日を暮らす人たち。便利でもなければ刺激が多いわけでもない雪沼という架空の場所での生活が、とても羨ましく思える。
 どの物語も、すこし緊張をはらみながらも決して過剰にならず、淡い余韻を残して終わる。贅沢、とはこういう作品を指すのではないかと思う。すこしずつ、じっくりと味わいたい。

▲TOPへ戻る


  鈴木 直枝
 
評価:★★★★☆
 人生の縮図を見るかのような7つの短編集。おそらく、新聞に名前が載ることは、生まれた時と死んだ時くらいかもしれない。そんな登場人物たちだ。
 「100まで生きられそう」と言った妻に先に逝かれてしまった店じまい直前のボウリング場店主の孤独、会社を離れ独立して仕事をするとき、頼りになるのは「信用」。そのために何があっても納期を守る裁断機職人の男の愚直、「万がいち」とか少しの過ちの回避のために念を押してばかりいる自分を自虐していた女の喜びと悲しみ。特別でない日常と日々些細な変化にも目を凝らして生きている、彼らの言葉に何度も息を呑んだ。派手でなく、卑下するわけでもなく自分の人生の大きさを知っている。人が心を揺れ動かすのは結局、早くないこと、急がないこと、時間をかけてコツコツと積み重ねるしかないことなのだろう。当たり前に生きることが難しくて、一生懸命にすることが軽んじられかねない今だからこそ読みたい大人による大人のための作品だ。日本語が美しい。平易で滑らか。ラジオドラマ化されたらさぞ心地よく響くだろう。

▲TOPへ戻る


  藤田 佐緒里
 
評価:★★★★★
 雪沼という山間の町。暗くて静かでちょっと淋しい、人のすくない町。その町に生きる人々のちょっとした出来事を順番に描いた7篇からなる連作短篇集です。
 私が一番好きだなぁと思ったのは一篇目「スタンス・ドット」。今日で営業終了のボウリング場。運営してきた主人公は、古いピンにボールと、昔ながらののんびりしたボウリング場を閉めてしまうことに一抹の淋しさを感じている。そこへ訪れた一組のカップル。トイレを借りに来た彼らに、最後のゲームをしてもらえないか、と主人公は二人にお願いをする。その二人との交流、そして思いがけないボウリング場の最後の思い出とは――。
 さびれた町というのはそれだけで淋しいのだけれど、でもそこに住んでいるものにとっては、小さな喫茶店も古びた写真館も、壊れかけたゲームセンターも、すごく親しみを感じるものです。そこにあればちょっとかっこわるい、なんて思ったりもするのだけれど、なくなってしまうとなると、すごく淋しい。そういうものが存在する、という事実が大切なのだ、と私は思います。だから東京は、そういうかっこ悪いものがどんどんなくなってしまって、とても無機質な、淋しい場所になってしまっているのでは、とも思うのです。
 こういう静かで誠実な小説を読むと、心がしんとして、とても救われるような気持ちになります。

▲TOPへ戻る


  藤田 万弓
 
評価:★★★☆☆
 尾名川という川の流れる山あいの静かな町、雪沼で、ボウリング場、フランス料理屋、レコード店、などを営みながら、仕事と誠実に向き合いじっくりと毎日を暮らす人々の物語。旧式の世界がそこに広がるが、失われてしまった懐かしさも同時に含んでいる。寂れた町の中から浮き上がるそれぞれの人生のほろ苦さがなんとも言えない味わいだった。
 登場人物がみな、少しずつハンディを抱えているが、不幸と感じさせない。難聴であったり、不器用であったり、それでも自分の居場所を作り出し、それをささやかながらに守って生きている姿は人の本来の姿のように思えた。特にそれを感じたのが「レンガを積む」に登場する蓮根さんの人生だ。彼は本当に必要なものだけしか手元に残さなかったのだ。レコードが淘汰されるのに合わせて、昇給の話も断り、病床の母を見舞うために結婚も諦めている。傍から見ればその真面目な性格のせいで割りを食っているように見えるが、そぎ落とされたシンプルさが、この作品の空気を形づくっている気がして好意を抱いた。

▲TOPへ戻る


  松岡 恒太郎
 
評価:★★★☆☆
 独特の世界観がある短篇集だ。
どこか現代からは置いてきぼりを食ってしまったような田舎町、雪沼とその周辺に生きる人々の姿を、この作品は少しずつだけ切り取って読者に覗き見させてくれる。
しかし覗き見させてくれる物語はあまりに少しずつだから、あっけないほどすぐに終わってしまう。人んちの記録映画を映写機で見せられているように急にプツリと終わってしまう。 
 当たり前の毎日を送り、明日へと続く日々を生きる雪沼の人々。彼らはなぜか旧式の機械類を好んで使う。アナログ人間の僕としてはそこがまた居心地が良い部分でもあって、訪問者ではなく只の傍観者なのに、ついつい雪沼へ移住したくなる衝動に駆られた。
 お気に入りは一話目、廃業が決まった五レーンだけのボーリング場の最後の夜の訪問者。読み終わった僕の耳には、間違いなくピンの弾ける音が響いてきた。
まったくもって、背景どころか音にまで及ぶ丁寧な描写に恐れ入り、思わず唸ってしまった。

▲TOPへ戻る


  三浦 英崇
 
評価:★★★★☆
 「高原の小さな街にひきこもり、昼は読書、夜は星見三昧の隠退生活」って願望をずっと抱いてまして。子供の頃から、自分はたぶん結婚できない、と諦めていたので、それなら、なるべく生き易い場所で、楽に生きたいなあ、と。

 そういう願望を前提にした時、この連作小説の舞台である「雪沼」は「その周辺」の環境込みで、候補地としてかなり有力かもしれません。何より、住んでいる人たちがみんな、温厚で篤実で、俺の心をささくれ立たせるようなところが全然ないし。

 小さな町営のスキー場に、こじんまりとしたレコード屋(実際売ってるのはCDだけど「レコード屋」の方がしっくりくる)。おなかがすけば、肩肘張らずに通える中華料理屋もあるし。

 過剰な情報の奔流に溺れ、膨大な物量の圧迫で押しつぶされそうになった時、「雪沼」を思って心和ませることで、俺はこの都会で、仕事に追われたり、人間関係に一喜一憂しながら、まだまだ生きていけそうです。

▲TOPへ戻る


  横山 直子
 
評価:★★★★★
一息で読むのがちょっと大変なくらい一つの文が長い。
それが決していやではない。
むしろ心地よく、読むほどにどんどん雪沼にすっかり惚れ込んでしまった。

雪沼という山あいにある町に住む人たち、その暮らしぶりが淡々と綴られる連作小説。
自分が十分納得いくように、人生をまっとうに生きている、そのささやかながらも、読んでいて心がしみじみ洗われるような雪沼の人たちの生きる姿勢がいいなぁと思った。

「やっぱりおかしい」と職業意識で思ったり、ふと聞いたクラシックにひどく心を打たれたり、一冊の本をきっかけに再就職が決まり「人生なにが起こるかわからない」と感じたり…。
あまりにあたりまえの光景が見る視線によって違うことに素直に驚いた。
文句なくお勧めの一冊。本を読む幸せをしみじみ感じる。

▲TOPへ戻る


WEB本の雑誌今月の新刊採点【文庫本班】2007年9月の課題図書 文庫本班

| 当サイトについて | プライバシーポリシー | 著作権 | お問い合せ |

Copyright(C) 本の雑誌/博報堂 All Rights Reserved