横山 直子の<<書評>>
雪沼という山あいにある町に住む人たち、その暮らしぶりが淡々と綴られる連作小説。 自分が十分納得いくように、人生をまっとうに生きている、そのささやかながらも、読んでいて心がしみじみ洗われるような雪沼の人たちの生きる姿勢がいいなぁと思った。
「やっぱりおかしい」と職業意識で思ったり、ふと聞いたクラシックにひどく心を打たれたり、一冊の本をきっかけに再就職が決まり「人生なにが起こるかわからない」と感じたり…。 あまりにあたりまえの光景が見る視線によって違うことに素直に驚いた。 文句なくお勧めの一冊。本を読む幸せをしみじみ感じる。
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淡雪豆腐、水雑炊、心太、卵のふわふわなど、なんだかしみじみ美味しさが伝わってくるような目次が並ぶ。 中でも一番私の心に残ったのは水雑炊だ。 のぶちゃんとお舅さんが夜半に二人で作って食べた。 それは味噌と青菜しか入っていないものだった。 実はこの時、のぶちゃんは夫とのあまりの気持ちのすれ違いに婚家を出ようと決めていたのだ。 想いを寄せていた人の妻になれたと喜んでいたのもつかの間の辛い現実だった。 だからこそ、この水雑炊からお舅さんがかわいい嫁をいたわる心が伝わってくる。
しかし、のぶちゃんが婚家を出るところで話は終わるはずはなく、大団円が待っています。 笑いあり、涙あり、江戸のお勝手風景を存分に楽しみながら、最後までどうぞ楽しんでください!
14歳の少女、夕子ちゃんが主人公。 彼女のはつ恋の相手は絵の先生。年齢は20代後半で、みんなからはキュウくんと呼ばれている。 「ひとりの人のいろいろなことを、こんなに好きになってしまって大丈夫なのだろうか」と夕子ちゃんはドギマギして、切ない気持ちでいっぱいになる。 二人でドライブに出かけたときのこと、サービスエリアでおにぎりを食べた。 「キュウくんの四角くて小さな爪のところにのりがちょっとくっついていて、きゅんとなった。」 はつ恋の心のありようがしみじみ伝わり、こちらもなんだかきゅんとなる。 キュウくんが「今、僕はほとんど幸せといってもいいような気持ちだ」というその瞬間。 それを聞いた夕子ちゃんの幸せ、その瞬間の尊さを一緒にかみしめる。
「おうまの あかちゃん だれがすき」 表題作の「玉手箱」に登場する美希ちゃんの初めての言葉はある絵本の中の一節。 なかなか話さないなぁと心配していた矢先だった。 読みすすめながら、この事実が分かった瞬間、とめどもない感動が沸き起こった。 代理出産を決意して得て、大切に大切に育ててきた娘の言葉だから、なおさら嬉しい。 その一言で、これからの生きていく道を頑張ろうと思う瞬間があるとすれば、まさにこんな時だろう。
東北のある都市、鉄塔の周辺に暮らし合わせた人々の日々を丹念に綴った長編小説だ。 小説家の夫と草木染作家の妻、この二人を中心に物語は進んでいく。 「これだ」「間違いない」 この二人、妻が拾ってきた鳥の羽を一緒に図鑑のページをめくりながら捜す夫婦なのだ。 住まい周辺をさえずっている鳥の声にも敏感だ。 傍目には幸せを絵に描いたようなこの夫婦にも、読み進めていくうちに、取り巻く環境や過去の出来事について霧が晴れるように判りはじめ、時に胸が締め付けられた。 それは自身の病気のことだったり、別れて暮らす家族の心配ごとだったり、消えない過去の辛い出来事だったり…。 だからこそ目に映る自然の美しさ、馴染みの喫茶店で過ごす時間、出入りの洗濯屋さんのまじめな仕事ぶりに救われる。
映画のタイトルのようだが、「喜びもあり、哀しみもあり」そして鉄塔家族の日々は続く。 しかし、上下二巻が私には少し長すぎた。
その内容が面白いのなんの! 今、まさに私が生きている日本社会って、こういう見方があるのだな、こんな事実があったのだなとビックリするやら、感心するやら。 少子化問題や凶悪少年犯罪の件もデータから導き出す真実の姿に目からうろこが何枚も剥がれ落ちました。 フランスには正社員しかいない、江戸時代には町人の約4割はフリーターだったと書かれてあって、「へぇ」と思ったり、まぁ、パオロ先生はなかなか辛辣に日本の現状を斬り、発言をし続けますが、「と、エラそうな顔でいう。」とか「いじわるなんですね、私は。」なんて言葉が挟まれると、読みながらにんまりしてしまう。 いずれにせよ本文中にもあった『真実はひとつ、解釈は無数』だなぁ、と読後に思う。 そうそう、単行本誕生から三年経っているので、その間の補講が各章ごとにあり、文庫本ならではのお得感あり!です。
舞台はシェトランド島。 人がめったに寄り付かない老人の家に、数年ぶりに女子高生二人が訪れた。 思いがけない客人に、喜んだその老人は用意してあったお茶やお菓子で二人をもてなす。 しかし、数日後、その二人のうちの一人が、老人宅からさほど離れていない雪原で死体で見つかる。 実は八年前にも少女失踪事件があり、まだ未解決のままであった。 小さい島の中の大事件、島中の人を巻き込んで、いろんな推理が行われる。
アップ・ヘリー・アーといわれるシェトランドのお祭りのシーンが印象的。 そのお祭りの最中に、またさらなる誘拐事件が…。 最後はちょっとだけほっとして、ジ・エンド!
しかしである。この物語は酷すぎる。ほかにはとても共感できるところなどなかった。 彼の人生の転落のきっかけは、軽い気持ちから教え子と関係を持ってしまったことから始まる。 大して抗うことなく辞任を受け入れた彼は、一人娘の住むケープタウンにひとまず身を寄せた。 娘は農園経営者として足場を固めるべく努力している最中なのだが、彼女に次々に降りかかる不幸な出来事は読み進められなくなるほど衝撃的だ。 ラウリーはひたすら娘を心配し、この地から離れるようにと説得するのだが、「わたしの人生で決断するのはわたしよ」と娘に言い切られる。
これでもかと親子して転落していく中、ラウリーがふと垣間見た畑仕事をする娘のシーンが、私には忘れらない。 まるで風景画に溶け込んだように、おだやかで美しく、そして力強い感動的なシーンだった。 これは一体なんだろう。 「女には順応性がありますから」と作中のどこかのセリフを思い出しはしたが、それにしても…。
その問題の本というのが、量も半端ではなし、どうやらすべて貴重なサイン本ばかりらしい。 クリフは本の鑑定をすべく、殺人現場に赴くが…。 彼はエリンに頼まれた以上のことを、つまり大胆不敵で向う見ずな行動を立て続けに起こすので、ハラハラ、ドキドキしっぱなし。 面白かったのは彼が古書フェアに出かけるシーンで、そこで並べられた本の描写やサイン本を手に入れるくだりなどわくわくしながら読んだ。 途中で「エリンには申し訳ないと思っている。本のことになると、私の目の色が変わると理解してもらうまでだ。」 なんて言われると、恋人でもない私が「ユルス、ユルス」なんて言ってしまいそうで困った。^^; それにしても、である。二転三転して、真犯人が分かった時にはゾッとした。 最後の数10ページはジェット機並みの速さで読み飛ばし、最後の一行に大いにうなる。 まさに、その通り。
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