WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2007年10月のランキング>荒又望の書評
評価:
一面のぬかるみと化したこの世界で、人々を救うために妻は自らの身体の一部を亡者に差し出す。(表題作)
妻がとかげになったり、夜中に猿が居間でお茶を飲んでいたり、滑稽というのか面妖というのか、とにかく現実離れした事象を描いた13編。しかしどの作品も、あたかもそれがあたりまえのことのように、ぽん、とそこに置かれている。何がどうしてこうなったという説明は一切なし。すみずみまでつくりあげられた空間があるだけ。だから読者も、ぽん、とそこに飛び込むしかない。
かっちりとしているのに、そこはかとなくユーモアが漂う飄々とした文章は、癖になりそう。いやいやいくらなんでもそれは、と首を振り振り読み進めるうちに、ひょっとして自分が知らないだけで、すぐ近くにこういう空間があるのか? という気がしてくる。慣れ親しんだこの道も、いつもと違う角を曲がれば思いもよらない場所に通じている、のかもしれない。そんな、ちょっと知らない世界に酔える。
評価:
ライターの明日香は恋人と大喧嘩の末、向精神薬の過剰摂取で精神病院に送り込まれた。ベッドの上で目を覚まし、自分の足で外へと出て行くまでの14日間。
読みながら映像が浮かんでくるあたりは、さすが演出家。明日香と同年代の娘さんが書いたといっても違和感のない文章にも驚く。これだけどぎつい要素と砕けた言葉を散りばめながらも、ほのかに清潔感が漂うあたり、タダモノではない。
ここには自分をまともだと言い切れる物差しが何もない、と明日香は言う。なるほど。そう頷きかけて、はたと気づく。まともとは、普通とは、正常とは? いったい誰が、どうやって決めたことなのだろう。その境界線は絶対なのか、永遠なのか?
食事中には絶対に読まないほうが良い幕開けには一抹の不安を覚えたが、あっという間に読み終えてしまい、その短さを物足りなくも淋しくも感じた。映画化されるとのことだが、まさかまさか、あの場面で始まるわけじゃあないでしょうね…?
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福岡生まれ福岡育ちの「あたし」と名古屋生まれ名古屋育ちの「なごやん」が精神病院を脱走し、おんぼろ車で逃亡の旅を続ける。ただひたすら、南を目指して―。
時に投げつけるような、時にぼそりと漏らすような、時に心の奥から絞り出すような。全編を貫く「あたし」の博多弁があってこその作品だ。このうえなく率直な「あたし」の土着性と、東京かぶれで頑なに標準語を話す「なごやん」の歪んだ郷土愛との対比も読みどころ。
逃亡者というと北へ向かうイメージがあるが、もし福岡を発った2人が関門海峡を越えて本州に入り、東へ北へと歩を進めていたら、ここまでからりと乾いた雰囲気の物語にはならなかったのでは。別府から阿蘇、そして宮崎、鹿児島へ。親しんだ土地からどんどん離れて、やがて行き止まりの場所へとたどり着くことが、この2人が求めていたことのような気がする。
評価:
雪の朝、受験を控えた高校生8人が誰もいない校舎に閉じ込められた。時計の針は、数カ月前にクラスメイトが自殺した時刻で止まったまま。
上下2巻で合計約1200ページ、渾身のデビュー作。頼もしいですなと表紙を開いたとたん、「初めまして、辻村深月です」という著者の挨拶が目に飛び込んできた。面食らいつつページをめくると、著者と同姓同名のヒロインが登場。なんといいましょうか、私を見て! と言わんばかりのあまりに強いアピール光線に、すっかりたじたじになってしまいました。5年後10年後くらいに「ああなんという若気の至り」と過去を消したくならないかしら、と余計な心配までする始末。ここまで著者自身が前面に押し出された作品、なかなかない。
内容はというと、謎解きあり怪奇現象あり涙のエピソードありで、ぎっしり盛り込まれている。かなりの長編だが、腕力のある文章が有無を言わせず引っ張っていく。しかし読了後にいちばん心に残ったのは、やはり冒頭2連発のインパクト。気にならない人はまったく気にならないのだろう。しかし、気になる、どうしようもなく。ちっとも書評になっていなくて誠に恐縮だが、こんな読者もいるということで、どうかご勘弁を。
評価:
渉が暮らすマンションの一室に、3年前の雨の日にこの世を去った千波が現れる。自殺とされている自分の最期の真相を解き明かしたいという千波の願いに、渉は協力を申し出る。
雨の日だけ現れる幽霊。はじめは声が聞こえるだけだが、真相が明らかになるにつれて、次第に姿かたちが見えるようになっていく。とんでもなく非現実的な設定ではあるけれど、淡々と書かれていて、すっと違和感なく入り込める。物語の大半が雨模様ということもあり、落ち 着いた、しっとりとした雰囲気に仕上がっている。
タイトルからわかるとおりラブストーリー。千波に会いたくて、渉は雨を待つ。「あまごい」に違う漢字を当てはめると、その気持ちが切々と伝わってくる。しかしこの世のものではない相手との恋には想像どおりのラストが訪れる。読後感は、ああ良い夢だったと目覚めた朝のように、すこし淋しくて、すこしすがすがしい。静かな雨の日に読むのがおすすめ。
評価:
中学時代、いじられキャラだった典孝が高校に進学した。もう二度と、同じ目には遭いたくない。そして首尾良くバスケ部のチームメイトをいじられ役に仕立て上げることに成功する。
若い! そして青い! この勢い、この言葉遣い。とてつもないジェネレーションギャップを感じる。しかも本作の原稿は、手書きでもなくパソコンでもなく携帯電話で書かれたという。信じがたい速さで携帯メールを打つ若人の姿をよく目にするが、あのノリでつるつるっと(ではないのかもしれないが)小説を書いてしまうなんて、時代は変わったものだ。もう、ついていけません。
クラスや部活のなかで美味しいポジションをとれるかどうかが、高校生活の成否を決める。そのためには他の誰かが犠牲になることも厭わない。もちろん全員がこうではないだろうし、多少は誇張して書いているのだろうけれど、イマドキの高校生は大変だなあと同情してしまう。
ところで本作に描かれている「いじり」の数々、それはもう「いじめ」の域に達しているのでは、としか思えないものも多いのだが、どうなのでしょう。
評価:
ちょっとした冒険に出かけたジョヴァンニーノとセレニッラがこっそり忍び込んだのは、夢に出てくるような素敵な庭。(表題作)
主に第2次大戦前後のイタリアの、おそらくは片田舎を舞台とする異国感たっぷりの短編集。行ったことのない場所に行けたり、会ったことのない人に会えたり、味わったことのない気持ちを味わえたりするのが読書の素晴らしいところだが、その醍醐味を充分に味わわせてくれる。
甘い香りがほわーんと漂ってきそうな『菓子泥棒』は、魅惑の世界。何年も戦争が続いて甘いものなど夢のまた夢となっていた泥棒や警官までもが、仕事そっちのけで菓子をむさぼる。ケーキ、ドーナツ、メレンゲ、ヌガー、タルト、ビスケット…もう読むだけで虫歯になりそう。お菓子の家への憧れは、年齢も性別も関係ないようだ。
描かれているのは知らない場所ばかりだけど、どこか懐かしさも感じる。料理や映画、ファッションやスポーツではおなじみのイタリアの、また違う一面が楽しめる1冊。
評価:
一家毒殺事件の生き残りであるメリキャットは、姉のコンスタンスとジュリアン伯父さんの3人で静かに暮らしている。屋敷のなかにいさえすれば、いつまでも幸せのはずだった。
「大好きよ、メリキャット」
「大好きよ、コンスタンス」
優しく声をかけ合う、うら若き姉妹。それはそれは美しい光景のはずなのに、得体の知れない怖ろしさがからみついてくる。3人が互いを思いやりながら穏やかに暮らしているだけなのに、ひたひたと押し寄せてくる何ものかの気配と、ぼんやり透けて見える狂気に肌が粟立つ。凄惨な事件や人々の悪意などよりも、おとぎ話のように調和のとれた3人の暮らしぶりのほうが、よほどぞっとする。正体のわからないものに背筋をぞわぞわと撫で上げられているような、なんともいやーな心持ち。あえて説明を省くことで読者の想像をかき立てる筆致も、また不気味。
読みながら、ふと背後が気になる。でも振り向けない…。わかりにくい恐怖こそ、いちばん怖ろしいのかもしれない。
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