『ぬかるんでから』

ぬかるんでから
  • 佐藤哲也 (著)
  • 文春文庫
  • 税込550円
  • 2007年8月
  • ISBN-9784167739010
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  1. ぬかるんでから
  2. クワイエットルームにようこそ
  3. 逃亡くそたわけ
  4. 冷たい校舎の時は止まる(上・下)
  5. 雨恋
  6. りはめより100倍恐ろしい
  7. ウニバーサル・スタジオ
  8. 魔法の庭
  9. ずっとお城で暮らしてる
  10. 血と暴力の国
荒又望

評価:星4つ

 一面のぬかるみと化したこの世界で、人々を救うために妻は自らの身体の一部を亡者に差し出す。(表題作)
 妻がとかげになったり、夜中に猿が居間でお茶を飲んでいたり、滑稽というのか面妖というのか、とにかく現実離れした事象を描いた13編。しかしどの作品も、あたかもそれがあたりまえのことのように、ぽん、とそこに置かれている。何がどうしてこうなったという説明は一切なし。すみずみまでつくりあげられた空間があるだけ。だから読者も、ぽん、とそこに飛び込むしかない。
 かっちりとしているのに、そこはかとなくユーモアが漂う飄々とした文章は、癖になりそう。いやいやいくらなんでもそれは、と首を振り振り読み進めるうちに、ひょっとして自分が知らないだけで、すぐ近くにこういう空間があるのか? という気がしてくる。慣れ親しんだこの道も、いつもと違う角を曲がれば思いもよらない場所に通じている、のかもしれない。そんな、ちょっと知らない世界に酔える。

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鈴木直枝

評価:星3つ

 小学生の頃、眉村卓や筒井康隆、光瀬龍の本を貪り読んだ時の興奮を思い出した。折りしもNHK少年ドラマシリーズ全盛期。一見、自分と何ら変わらぬ日常を送る彼(女)等に、突如訪れる非日常、異空間、異次元、奇物…。本書にも同様の高揚感を抱いた。妻帯者だったり小学生だったり独り身の30男だったり、男であること以外は13の短編の中で「わたし」に共通項はない。けれど、ある日突然、深夜放送のラジオから赤外音楽が聞こえてきたように、「わたし」は奇想天外なあれこれに遭遇する。それは時に、シャーマンの如く身を挺して洪水に立ち向かう妻、夏休みの帰省中、花火とともに夜空に消えた10年ぶりの父の生還、社長交代の大騒動の後、帰宅してみると妻がとかげになっていたという酔狂。井伏鱒二の「山椒魚」やカフカの「変身」を匂わせる想定もあるが、どれもこれもが一気読みだった。1篇がわずか10ページとあって、ややグロテスクな表記も瞬く間に通り過ぎる。気味悪さばかりを強調してしまったが、「春の訪れ」「記念樹」「おしとんぼ」といった小川洋子を思い起こすような柔らかなタイトルも並ぶ。珍事奇獣とされる遭遇物に「人の心」を垣間見た、と言ったら出来すぎだろうか。特に「やもりのかば」には、しんみりさせられた。解説で伊坂幸太郎も述べているが、言葉の選択の美しさにも要注目である。「掠め取る」「年嵩さ」「均して」「逸る」そんなふうに言葉を操ることができたら、と随所に思った。

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藤田真弓

評価:星5つ

「これは奇跡に関する物語だ」
これは書き出しの一文ですが、非常にインパクトがありました。「奇跡」と言う言葉を真正面から書いてしまう潔さに驚きました。「奇跡」とはなんだ?と考えてしまいます。自然の法則を超えて起きる現象は、それを信じる人にとっては希望でもあります。
表題作の「ぬかるんでから」では、主人公とその妻たちの住む土地一帯が突如ぬかるみに変わります。食物を作ることもできず、飲み水もない。飢えに苦しみ争いは絶えず、「持つもの」と「持たざるもの」は共存派と私有派にわかれます。そこへ、亡者が現れ望みをかなえてくれるという。「食べ物が欲しいのであれば、お前の美しい歯を」よこせと要求されれば与え、妻は人々に代わり取引を交わします。共存を支持した人々は、二人のやり取りを見守ります。「持たざるもの」たちの要求はエスカレートし、妻の美しい片目や指も亡者に献上される。ついに彼らは妻を踏み台に「持てるもの」へと立場を変え、旅立っていく。不条理の世界独特の徒労感がここにはあります。「奇跡」という言葉に含まれる明るい希望のようなものが、煮詰まって鈍く光っている。読んだあとに不意に襲ってくるじわじわとした恐怖と苦い後味にハマってしまいました。

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松岡恒太郎

評価:星3つ

 表紙の中からこちらを覗くカバにまず怯んでしまった。やけに悲しげにコチラを見つめていやがるのだ。その理由は後ほど解明される。
 ファンタジーと呼ぶにはいささか難解で、やや重ための空気を身にまとったショートストーリーが十三篇。
不条理な世界が展開されてゆく。不条理ここに極まれりという感じの独特の世界が進められてゆく。そしてどの話もが比較的狭い半径の世界で展開されてゆく。
不条理な物語はそれぞれに結末を迎える。主人公達は納得しているようなのだが、イマイチ僕は納得しきれなかった。
途中、表紙のカバが登場する短篇があった。彼は、実に興味深い生い立ちのカバだった。できることならこのカバにだけは会ってみたいとさえ思った。
 簡単明瞭が好きな僕には、やや難解に思えた十三篇、はまってしまえばコレはコレで楽しそうなのだが。
 読み終わって本を閉じると、やはりあのカバは悲しげな視線を投げかけていた。

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三浦英崇

評価:星3つ

 神話というのは、現代の人間の目から見ると、たいがい無茶苦茶で支離滅裂で突拍子もないエピソードが連発しがちです。その一方で、つじつまを合わせて理屈でまとめようとしないその豪気さが、人間の心の奥底に潜む何かに働きかけてくるんだろうな、という気もします。この短編集を読んでいて感じたのは、そんな原初の言葉の持つ破壊力。

 表題作からして、何ら合理的な説明もなく、いきなり世界中がぬかるみに飲み込まれた後に、主人公の妻に生じた奇跡と、それに伴う数々の、残酷で醜悪で不条理な出来事だし。他の諸編も、こんな世界には絶対いたくないなー、と思わせる、知性を逆撫でするような不快感を読後にもたらします。

 で、ありながら、何か無性に気にかかって、ついもう一度読み直してしまうんです。神の事跡を示す叙事詩だけが持つ、集合的無意識に訴えかける何かが、俺を惹きつけるのでしょうか。理知で割り切れないものは大嫌いなのになあ、俺。

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横山直子

評価:星3つ

 あまりに不可解な、そして不気味なこと、底なしの恐怖、そんな気持ちをぞわぞわと感じさせる出来事がこぞってわが身に降りかかる。
「たまったもんじゃないなぁ」とこの短編集のそれぞれの主人公は、心の奥底できっとこう思っているに違いない。
おっかなびっくり、時には腰が抜けそうになりながらも、受け入れるしかない。
 例えば、住んでいるところが底なし沼のようにぬかるんできたり、白い翼の生えた猿がいきなり飛び込んできたり、
はたまた、かばが天井に張り付いていた、親戚のおじさんにこっぴどく付きまとわれたり…。

どうしようもない状況を前に、それなのに、読んでいてなぜかふわりとおかしくなるから不思議だ。
それが魅力だ。
実はしばらく前から隣の部屋で、猿がうまそうにお茶を飲んでいるのがちらりと見える。
そんな出来事もありでしょう?なんて思える読後感がある。
さて、さて、私もこれからお茶を一杯いただきましょうか。^^

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