『ぬかるんでから』

  • ぬかるんでから
  • 佐藤哲也 (著)
  • 文春文庫
  • 税込550円
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評価:星3つ

 小学生の頃、眉村卓や筒井康隆、光瀬龍の本を貪り読んだ時の興奮を思い出した。折りしもNHK少年ドラマシリーズ全盛期。一見、自分と何ら変わらぬ日常を送る彼(女)等に、突如訪れる非日常、異空間、異次元、奇物…。本書にも同様の高揚感を抱いた。妻帯者だったり小学生だったり独り身の30男だったり、男であること以外は13の短編の中で「わたし」に共通項はない。けれど、ある日突然、深夜放送のラジオから赤外音楽が聞こえてきたように、「わたし」は奇想天外なあれこれに遭遇する。それは時に、シャーマンの如く身を挺して洪水に立ち向かう妻、夏休みの帰省中、花火とともに夜空に消えた10年ぶりの父の生還、社長交代の大騒動の後、帰宅してみると妻がとかげになっていたという酔狂。井伏鱒二の「山椒魚」やカフカの「変身」を匂わせる想定もあるが、どれもこれもが一気読みだった。1篇がわずか10ページとあって、ややグロテスクな表記も瞬く間に通り過ぎる。気味悪さばかりを強調してしまったが、「春の訪れ」「記念樹」「おしとんぼ」といった小川洋子を思い起こすような柔らかなタイトルも並ぶ。珍事奇獣とされる遭遇物に「人の心」を垣間見た、と言ったら出来すぎだろうか。特に「やもりのかば」には、しんみりさせられた。解説で伊坂幸太郎も述べているが、言葉の選択の美しさにも要注目である。「掠め取る」「年嵩さ」「均して」「逸る」そんなふうに言葉を操ることができたら、と随所に思った。

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『クワイエットルームにようこそ』

  • クワイエットルームにようこそ
  • 松尾スズキ (著)
  • 文春文庫
  • 税込470円
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評価:星4つ

 そんなつもりじゃなかったのに、泣いてしまった。
 「間違ってここにいる」フリーライター佐倉は28歳、バツイチ女性。離婚した前夫の自殺を機に軽い鬱になり、心療内科で処方を受けている。そしてそんなつもりじゃなかったのに、今の彼氏との喧嘩の勢いで死ぬ以上の薬を飲んで「間違ってここに運ばれた」@8階建ての精神病院。人生、思い描いたようになんて全然進んでいないことの典型だ。
 間違って搬送されたせいなのか職業病なのか、佐倉の入院患者への観察眼はつぶさで愉快だ。閉鎖病棟に5年半もいるセレブなピアニストの摂食障害、廊下を通る人に点数をつけるオバサン患者、頭を焦がす女、そんな彼女らに冷徹に対処する看護士の、そうでもしなければやってらんない日常…こんなにお互い喋くりあって賑やかだとは思いもしなかった。佐倉も同様だが、自覚症状はないらしい。「自分はまともだ」と思っている。が、時に何らかの精神的圧力によって、拒食や自傷や薬物などの常軌を逸した行動にでる。自分から望んで精神病院に入院する人がどれだけいるのだろう。ミキサーにかけたドロドロ飯じゃなく「好きな時にポテチ食べたい!」本当だ。頭をちりちりに焦がした女も言う「あたし誰にも悪いことしてないじゃん!」そうなんだよね。でもだから余計に、間違ってここにいると思い込もうとしている姿がせつない。
 佐倉の彼氏で、冗談ばかり言っているというキャラの売れっ子放送作家の存在が私の涙の原因。ダメな奴なんていないじゃん。と最後の最後に思う。著者本人が脚本監督を務める映画化も楽しみだ。

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『逃亡くそたわけ』

  • 逃亡くそたわけ
  • 絲山秋子 (著)
  • 講談社文庫
  • 税込420円
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評価:星4つ

 ロードムービー系の小説を書かせたら天才だね、絲山秋子。真っ直ぐにカーブに道が曲がるように、そこを辿る人間の気持ちの揺れも丁寧なハンドルさばきで描いてしまう。
 頑張れないなあ。そんな夜に読みきれる長さも、作品として自分の居場所をわきまえている感がある。
 舞台は九州。精神病院の脱走を企てた「あたし」21歳自殺未遂者が、逃亡相手に選んだのは退院間近のサラリーマン。名古屋出身のくせに東京者であることに拘るエリート君24歳だ。目的地はない。主たる理由もない。相手は誰でもよかった、のだと思う。逃走手段の車の中での「帰ろうよ」の諍い、薬がなくなって飛び込んだ診療所での医師の佇まいとわかってるのかわかっていないのかの会話術、道に迷い、食べるもの探しに奔走する中で、繰り返されるふたりの会話と寄り道だらけの時間がが何よりの治療となっていく。
 読み始めた時は、頑張れなさを引きずっていたはずなのに、いつのまにやらの絲山ワールド。目の前の道を見据えている自分に気付く。「くそたわけ」そう言って昨日までの自分を蹴り上げてぽんと明日を踏み出したい。

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『冷たい校舎の時は止まる(上・下)』

  • 冷たい校舎の時は止まる(上・下)
  • 辻村深月 (著)
  • 講談社文庫
  • 税込各860円
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評価:星5つ

 上下巻で1.100ページを超える長編なのに、読み終えた今直ぐに、もう一度読み返したくなる傑作だ。
 センター入試試験1ヶ月前、休校を思わせる大雪、県下一の進学校、高校3年の男女クラスメート8名と26歳の男性担任教師…もう何が起こっても大歓迎な好条件のもと、物語は予想外に静かにスタートする。8人だけの世界、8人だけの今日の始まりだ。
 事の発端は、2ヶ月前の学祭最終日の生徒による自殺。可笑しな話だがあれほど震撼したはずなのに、それが「誰」であったかの記憶が「無い」。何故、私達だけが学校に?先生は?時間は?誰が?いくつもの何故?との格闘が読み進む楽しみを与えた。こんなに長いのに飽きない。その要因に8人の優れたキャラクターがある。「時が止まる」その非常時と閉鎖された空間がなければお互い話せないままで終わってしまったことが、ひとつひとつ明らかになる。恋愛、いじめ、家族、それぞれの過去に肩入れしてしまう。そしてひとつの点や個にすぎなかったことが、つながった瞬間の衝撃は悶絶ものだ。
 穏やかな終末が返って気持ちを引きずって、物語から抜け出せずにいる。受験という大義名分で疎かにしてはいけないものは、「仲間」と言ったらかっこつけ過ぎだろうか。嗚呼、共学行けば良かった、と今更思う作品です。受験生の息抜きに最適。もっと勉強したくなるかも。

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『雨恋』

  • 雨恋
  • 松尾由美(著)
  • 新潮文庫
  • 税込540円
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評価:星4つ

 それがいいとか悪いとかの価値判断ではなく、「そういう人だから」と割り切ることで相容れない「個性」とも都合よく付き合える。大人になって身につけた処世術の一つだ。本との相性も同様だ。
 装丁や帯の思わせぶりからばりばりの恋愛小説かと思いきや、30歳のメーカー勤務の相手方として登場したのはなんと幽霊。自分自身納得がいかなかったとはいえ、彼女(幽霊)の死亡時の状況を探るなんてするだろうか?おまけに好きになっちゃったりする?彼女=幽霊を。っと、そこが松尾由美の「個性」なのだ。ハヤカワSFコンテスト入選者なのだ。現実と非現実のシンクロが、実は全然不自然ではない。雨の日にしか現れないという彼女、重ねた会話の数と見えかけてきた真実と比例するように幽霊である彼女に訪れる容姿の変化、事実は思った以上に関わった人の背景の重さを露呈し、ラストは(本の帯によれば)「涙が止まらない」らしい。
 人物のディテールの描き方が巧く、それぞれの人間に感情を抱いてしまう。なぜ彼女が死にきれなかったのか、なんとなく現状に不満がある人には身につまされるかもしれない。近著「九月の恋と出会うまで」は、より松尾色が色濃く出ている佳作だと思う。

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『りはめより100倍恐ろしい』

  • りはめより100倍恐ろしい
  • 木堂椎(著)
  • 角川文庫
  • 税込460円
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評価:星4つ

 何やら愉快そうなタイトル、児童書を思わせる鮮やかなブルーが印象の装丁。しかし、注視して欲しい。タイトルの「め」はいじめの「め」。表紙でバルーンにぶら下がっている子どもを標的にしている少年。その現場のそばにいるのに他人の振りをする別の子ども。…当時高校生だった著者だからこそ描けた「いじられ」のリアル小説。これは小説の世界の出来事、ではない。すぐそこの貴方の子どもの物語だ。
 主人公は、中学時代いじられていた。執拗に陰湿に。「今度こそ」と再起を図ってお勉強もうんと頑張って偏差値の高い高校へ入学したものの、場所やメンバーが変わっても同じだった。少し尖がった奴は、己の権力を誇示したいがため、自分がいじられの立場にならないため、標的探しに暇がない。昨日の友は今日の敵。部活である男バスを舞台に、男による男のためのいじられ合戦の展開だ。
 軽くハイタッチでもしそうなはじけた会話、どうでもいいことに時間を潰す放課後、大人になると「バカだった」と思うようなことにド真面目に悩むあたり、今の高校男子のそのまんまが、キツイ内容を軽く読ませている。途中、切れたと思っていた友情にほろりとしたり、いじられに戦々恐々していることを小さく思う科白があったり、エンディングの「えっ!そんなのあり?」も、高校生の作品とは思えないほど「落としどころ」が巧い。金城一紀の「FLY,DADDY,FLY」が好きな人は、より楽しめる作品だ。

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『ウニバーサル・スタジオ』

  • ウニバーサル・スタジオ
  • 北野勇作(著)
  • ハヤカワ文庫
  • 税込651円
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評価:星2つ

 大阪大好き光線雨あられ本である。その自信におじ気つきながら実は羨ましかったりする、私は東北人。
 たぶん…想像できないのだ。その喧騒、その熱気。グリコがあって蟹もいて、それなのに新世界というエリアもある。大阪ってどんだけ大きいかと思ったら、私の住む県より面積は1桁小さかった。
 おそらく…自信がないのだ。早口でまくし立てられることに。カエルの着ぐるみに入るアルバイトの話をこんなに言葉数多く語れるなんてその語彙力に敬服する。何しろこちら東北人。「どさ」「ゆさ」で会話が成立する。
 きっと…引け目を感じているんだ。自分が東北人であることに。「言うねん」「やらなアカン」「ええんとちゃうか」。同じ方言でありながら東北人は訛りを隠そうとする。だがしかし、NHKドラマ「どんど晴れ」の言葉は誇張しすぎである。
 自慢じゃないが、私は大阪を知らない。行ったこともなければ友人もいない。だからイメージだけが膨らむ。食い倒れ、関西弁、吉本興業、たこ焼き、道頓堀川、阪神タイガース…凄いんだろうな。忙しそうだな。迷子になりそう。この本はそんな思いを一層加速させた。駄目、付いて行けないかも。 好きな人はより好きに、そうでない方にはより距離を感じさせてしまう、大阪ラブな本だ。

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『魔法の庭』

  • 魔法の庭
  • イタロ・カルヴィーノ(著)
  • ちくま文庫
  • 税込756円
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評価:星2つ

 意識することで人は変わる。背中の贅肉、テスト範囲中の授業態度、好きな異性の前での立ち振る舞い。のっけから解説の文を引用するのもどうかと思うが、本書を読み始める時は「書くことは当然まなじりを決して厳に節約を旨とする」時代に生まれた短編集であるということを意識してほしい。ドイツ兵、銃声、機雷、狙撃隊…戦争の衝撃を思わせる単語が随所に並ぶ。けれど、戦いの盾として沈められた船からは子どもたちの海びらきの嬌声が響き、続く短編には「うまくやれよ」「動物たちの森」と楽しさを想像させるタイトルが並ぶ。中でも「猫と警官」は小品ながら好みの秀作だ。警官になり立ての元失業者と家宅捜査に押し入った先にいた少女との物語。くくっとこみ上げる笑いとよかったねえで終わるなんてこれ以上のHAPPY ENDはないでしょう!キューバ生まれのイタリア人という著者の写真に先ず、見入ってしまった。内容がそれに違わないことが妙に嬉しく、またくくっと笑いがこみ上げてしまった。

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『ずっとお城で暮らしてる』

  • ずっとお城で暮らしてる
  • シャーリイ・ジャクスン(著)
  • 創元推理文庫
  • 税込693円
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評価:星3つ

 突然の不幸な事件から、病弱な叔父さんと村いちばんのお屋敷に住むことになった姉妹の物語。どこか叶姉妹の妖艶さを感じたのは私だけだろうか。
 彼女らの生活は規則的に閉塞している。村への買出しは週2回、舌なめずりしそうな毎日の食卓、農産物は庭で収穫し、訪問客は極力少ない。「変」だ。解説で桜庭一樹が語る「本の形をした怪物」の怪を知るのにそう時間はかからなかった。こういう恐怖がいちばん怖い。流血や銃撃戦や生首ゾロリより、相手が何を考えているかわからない不安、懐疑心のほうが怖い。「この人たち、一体何者?」。けれど、本当に怖いのは誰なんだろう、人そのものなのだろうか、群れることで強くなる人の心なのだろうか、ラストシーンで幸せを感じるのは?
 見えない、わからない、だからこそ募る村人たちの興味関心好奇心。「放っておいてよ」そう言えたら楽なのに。「あの事件、本当はどうだったの?」と真実追求が出来たら気持ちも晴れていたのに。そうじゃないから、空想がひとり歩きをする。困ったほうに、怪しいほうに、邪悪なほうに。だって人は自分より不幸な人間を見て安心したいから…怖っ!

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『血と暴力の国』

  • 血と暴力の国
  • コーマック・マッカーシー(著)
  • 扶桑社ミステリー
  • 税込900円
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評価:星4つ

 2008年に映画の公開が決まっていることもあり、活字を追うその先に映像が浮かんだ。乱暴な表題作と残虐な銃撃死とそれに伴う出血の多さに注目が集まるのだろうか。だがしかし、原著の直訳は「老人の住む国にあらず」。本題は、「そうすることでしか生きられなかった」ヴェトナム帰還兵の心理の奥を突いてくる。何故自分は生きているのか。何故、何のために生きてしまったか。保安官、帰還兵、殺人者、対立する3者の「何故」。そこに共通する思いを最後に解明した時の寂しさと哀しさが、やるせない。せつない。
 小説読みの楽しみの一つに話の本筋には関係のない、けれど心に残る場面との出会いがある。殺伐とした事件が続く中で、保安官夫婦が交わした穏やかな会話の時間がそれだ。身の危険を感じる女性を思い遣る言葉に背景のように静かに降る雪。理由や容赦の入る余地なく命が奪われ続ける物語で、異質であり必要な時間だった。おっといかん、また映像が浮かんでしまった。
 「今までのことはぜんぶ予行演習かもしれんぞ」そう言える人生だったら、どれだけいいだろう。流れた血は逆流することはない。もちろん、流れた時間も元に戻すことは出来ない。

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鈴木直枝

鈴木直枝(すずき なおえ)

 1964年生まれ 岩手県盛岡市在住歴42年 職業は「お母さん」です。
実を言いますと「本が好き」「本が読みたい」と切に思うようになったのはここ最近です。
10代は、部活部活部活。
20代は、お仕事大好きモードで突っ走り。
30代は、子育て街道まっしぐら。
そうして今。本たちとの一期一会が、楽しくて楽しくて仕方ありません。
空間としての本屋さんが好きです。
さわや書店盛岡本店・上盛岡店。ジュンク堂盛岡店はお気に入り。
「自分」を取り戻したい時に、「自分」をゼロに戻したいとき、買う気がなくても駐車料金を払っても、足を運んでしまいます。
 好きな本の大切にしている言葉
 ・「おっちょこちょ医」 なだいなだ著 
      〜ためらうなよ。人を救って罪になるなら罪を犯せよ。
 ・「100Mのスナップ」 くらもちふさこ 著
      〜ランナーは100のうち99はどろまみれだものな。

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