WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2007年11月の課題図書>佐々木克雄の書評
評価:
デビュー作『太陽の塔』から注目している森見ワールドなのだが、本作ではさらに妄想ぶりがエスカレート。チュートリアル徳井氏といい、この森見氏といい、京都という場所は妄想をかき立てる何かがあるのだろうか? (あるんだろーな、きっと)
主人公は狸の三男、矢三郎。それだけでも十二分におかしな設定なのに、天狗の「赤玉先生」、ライバルの狸兄弟「金閣銀閣」、峰不二子みたいな謎の美女「弁天」など、よくもまあヘンテコなキャラが次から次へと登場するもんだと感心。それらが狸界の頭領争いを巡ってドタバタを繰り広げ、修学旅行の思い出の場所、京都をグンニャリと異次元にねじ曲げていくのだから、面白いったらありゃしない。
小説は書き言葉による芸術であり娯楽であると定義すれば、本作はそれに当てはまるはず。格調高い文章で爆笑するなんて、昨今の小説にはまずないのだから。
評価:
感覚を共有する小説って、あると思う。本書がそうなのかなと。
十二歳の少女が語る一人称の文体は、大人でも子供でもないファジーな感覚をそこかしこに醸しだす。読み手はいつの間にか彼女によりそって、そのガラス細工のように脆い心の揺れを、呼吸を合わせて見守っているのだ。
ああ、こんな感覚なのかなと思う。特異な家庭環境、大人の世界を眺める視線、学校での孤独感に友人たちとの距離……どれをとっても瑞々しく、痛々しい彼女の言葉。そして(筋書きは予想できてしまったのだが)彼女が負ってしまった「傷」について、どう答を出すのかと固唾をのんでページをめくっていくと、そこに小さな、堅い決意を見ることになり、改めて少女の「感覚」に溜息をついてしまうのだ。
話が閉じきっていない分、彼女のその後──続編があることを期待したい。
評価:
うわあぁぁ……救いがねえぇぇ……、しかもすべての短編において。
本を閉じた読み手が、上記のように呻いたとすれば、作り手は「しめしめ」とほくそ笑んでいるのだな。悔しいけれど、読み進めるほどに凹んでいくぜ、ギャランドゥ。
どこにでもありそうな物語の設定ながら、途方もなく破滅的なストーリーが散りばめられており、そうなるとミステリーにありがちな非現実感も吹っ飛んでしまう。個人的にはストーカーに対峙する「殺人休暇」、ホームレスが主人公の「尊厳、死」の二編が「わぁ、やられた……」って感じ。オチが途中で見えちゃう作品や、章ごとに視点がコロコロ変わって読みにくい作品もあったりしたが、総じてメインタイトルに象徴される非ハッピーエンドは完成されているので○かなと。
それにしてもスゴイのは装丁。側面まで真っ黒なんて、松崎しげるもビックリ。
評価:
?……不思議な読後感だった。
普段は読み進めているうちに「○×の評価」や「個人的に好きか嫌いか」の輪郭がだんだんと現れてくるのだが、同著は最後まで(いや、評を書いている今ですら)そういった判断ができないまま読み終えてしまった。いやはや、困った。
ストーリーはいたってシンプルだ。複雑な家庭環境にある少女が(←この設定、多いよなぁ……)、不良少年と不思議系少年との間で乙女ゴコロをゆらゆらさせる。その過程で児童虐待やアダルトチルドレンなど現代の問題を垣間見せる。
魅力的なキャラたちが素敵な言葉を発してはくれるのだが、個人的には作品の「核」になるものが見いだせないままフワリと着地してしまった感があって、それで冒頭の「?」になってしまったのかなと。
評価:
お久しぶりの松浦作品は、とてつもなく深く、読み応えのある傑作!
犬化願望のある女性が、オス犬として生まれ変わり、愛するご主人様(女性)に飼われることになる──と、ここまでは世にあまたあるファンタジーと何ら変わりはないだろう。だが、ここからが松浦本の底力というか真骨頂というか、とにかく凄い。
「ねじれてる」のだ。ご主人様はホテルオーナーの娘として家族からの呪縛(特に兄との相姦)から逃げられない。犬として、その苦悶の一部始終を見ていた主人公は、犬と主人との関係、人間としての彼女への慕情、家族愛と性的快楽など、ねじ曲がった関係に思いを巡らせ、ご主人様に寄り添いながら、破滅のストーリーへと流されていく。
助走が長かった分だけ、怒濤のラストはググイと読み手を引き込んでいく。こんな小説らしい小説、年に何冊も出会えないから、読めた自分はシアワセ。
評価:
現代アメリカの短編小説って、面白いんだなあ。
かの国の、一見平凡そうな若者が語るストーリーは実はズレていて(異形の犬とか、犬を孕ますとか)、そのズレまくった世界にノペーっと浸ってしまった。結構ハマりそう。
中でも「ビル・マクウィル」と「ドッグズ」の二作が個人的には印象的だった。寓話性の高い作品でありながら何を意味するわけでもなく、乾いた雰囲気が妙に気になった。
各作品を読みながら、何故か懐かしい気持ちになったのだが、思い出した。これって、村上春樹を読みあさっていた学生時代の感覚に近いかも、と。
とまあ偉そうなコトを言ったものの、若者の語り口調による活字を追いかけて、浮かび上がった映像は「ディラン」に扮した「なだぎ武」だったりするワケで……。
本読みとしては、まだまだ修行が足りないなあ。
評価:
前作『10ドルだって大金だ』が「今月の新刊採点」で紹介されていて、面白そうだなと思って読んだら、面白かった──これが一年くらい前のこと。そして本作、面白い。
短編ミステリーの名手による珠玉の15作品は、どれもテンポ良く、あっさりとした仕上がりでお腹にもたれない読後感。ウラを返せば薄味だし腹にたまらないって文句もあるのだろうが、まあいいじゃない、小説なんだし、楽しめればってことですね。
後半にお馴染みの探偵カーデュラやターンバックル刑事が登場。予想していた謎解きとはまったく異なる肩すかし的な結末など、いい意味で読み手を裏切る手法は相変わらず。
それと、前作の時も思ったのだが、作者は二十年以上前に亡くなっているのに、こうして作品たちは色あせることなく今の時代の、海を越えた読者を楽しませているのだから、その普遍性は賞賛に値すると思うわけですよ。
交渉人という言葉に、テレビで活躍中の彼を連想してしまうけれど、遠野麻衣子の登場は2003年の前作『交渉人』(現在は幻冬舎文庫)、つまり「真下君」より先だったワケ。
その前作を引きずる形で本作は幕を開ける。『交渉人』事件の公判中、彼女に犯人から連絡が入る──それが端緒となり、大都市TOKYOを人質にした無差別テロとの戦いが繰り広げられるのだ。迫り来るタイムリミット、爆弾を探す警察……ドッキドキのハラハラ。
主人公はもちろん彼女だが、メールだけの神経戦は閉ざされた空間でしかない。むしろこのストーリーの主役たちは、情報パニックに陥った大都市の姿であり、キャリア対ノンキャリといった警察組織の軋轢であり、過去を背負った犯人だと言えよう。
実際起こった事件をモチーフにしたフィクションだが、濃密な描写にリアルを感じ、時間を忘れて読み耽ってしまった。これ、かなり良質なエンタテインメントです。
今年は澁澤の没後20年で、各地で美術展や文学展が開催されたそうで。
マルキ・ド・サド、ジャン・コクトーを日本に紹介した人物、または奇想の小説家として知られる彼は、生涯4度のヨーロッパ旅行では、イタリアが富みにお気に入りだったとのこと。本書は旅を共にした妻と友人の回想による澁澤的イタリア案内。
彼の目線によるイタリア観光の偏り方が半端じゃない。普通の観光客なら必ず訪れる場所にはさして興味を示さず、小さな美術館にいくつも訪れてはエログロな彫像や絵画に見入っていたという。彼が見た芸術の数々が写真で掲載されているが、嗚呼これが澁澤の世界観なのだなと、ファンなら頷いてしまうことだろう。
その他、丹念に綴られた直筆のメモ、旅先で集めた大量の絵葉書なども紹介されており、彼の感動や興奮が真っ直ぐに伝わってくる。こんなイタリア案内もアリですな。
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