WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2007年11月の課題図書>『犬身』 松浦 理英子(著)
評価:
お久しぶりの松浦作品は、とてつもなく深く、読み応えのある傑作!
犬化願望のある女性が、オス犬として生まれ変わり、愛するご主人様(女性)に飼われることになる──と、ここまでは世にあまたあるファンタジーと何ら変わりはないだろう。だが、ここからが松浦本の底力というか真骨頂というか、とにかく凄い。
「ねじれてる」のだ。ご主人様はホテルオーナーの娘として家族からの呪縛(特に兄との相姦)から逃げられない。犬として、その苦悶の一部始終を見ていた主人公は、犬と主人との関係、人間としての彼女への慕情、家族愛と性的快楽など、ねじ曲がった関係に思いを巡らせ、ご主人様に寄り添いながら、破滅のストーリーへと流されていく。
助走が長かった分だけ、怒濤のラストはググイと読み手を引き込んでいく。こんな小説らしい小説、年に何冊も出会えないから、読めた自分はシアワセ。
評価:
足の親指が男性器になってしまうというぶっとんだ設定で男女のセクシャリティについて疑問を提示した『親指Pの修業時代』に匹敵する小説です。こちらも是非読んでください。性に関する考え方がひっくり返ります。
今回は犬になります。いやいや、下僕って意味ではないですよ。文字通り動物の犬になるのです。人間の女性から変身したオス犬フサが兄との近親相姦や母親との確執に悩む女性梓を愛情をもって支え、時には身を挺して守っていきます。その交流の中で生まれる愛情やその果ての終末はただの動物好き好き小説とは一線を画しているし、人間や動物の種を超えようという試みをこうして小説として描ききるというのは本当にすごいことだと思います。
でも、私は人間は人間に、人間の発する言葉でしか救われないと思っているので結局梓が救われたのかは疑問なのです。
評価:
これは文句なく五つ星! 面白かった!
内容に関する前情報が、できるだけ少ない状態で読んでいただきたいので、粗筋を細かく説明はしません。一言だけ引用するなら「あの人の犬になりたい」。比喩ではなく、本当に犬になって仕えたい、という意味です。
私は犬(というかペット全般)を一度も飼ったことがないし、無類の犬好きというわけでもないのでわからないのですが、主人を慕う犬と、犬を大事にする飼い主って、こんな感じなんですかね? この関係性に着目した時点で、『犬身』が傑作になることは決まっていたのかもしれません。
文体も素敵。トンガらず、意味が詰まっていて、重くない。文章の「お手本」という感じ。書き写せば文章書きの練習になるような。
実はこの著者の本を読んだのは初めて(読書量が少なくてすいません)。うーむ。これは他の本も読まねばなるまい。
評価:
「親指Pの修業時代」を会社の同期が貸してくれたのに挫折し読んだふりをしてそのまま返してしまったのはもう10年以上前のことか。若き日の己の愚かさを恥じる。というわけで本書が初の松浦理恵子体験となった。すご過ぎる、この人!
私の犬好き指数は、例えば5点満点で★3つ(=標準レベル)である。一方主人公房恵については★の数で言ったら5億くらいか。常人のレベルではない。なにせ、自らを“ドッグセクシュアル(=好きな人間に犬を可愛がるように可愛がってもらえれば、天国にいるような心地)”と称し、ほんとうに犬になってしまうのだ。
私はこの小説で最も感情移入ができたのは房恵の昔の恋人久喜だったし、ラスト近くの筒井康隆的ドタバタにもやや違和感を覚えるというどうにも一般人な感想を持ってしまったのだが、人間の愚かしさを怖いくらい鮮明に浮き上がらせた問題作だということはわかった。といっても厭世的なばかりの話ではなく、とりわけ松浦さんのユーモアのセンスには完全に魅了された感じです。
評価:
待ってました! &待っていてよかったぁ。
犬を好きなあまりに自らも犬になりたいと願う自称「種同一障害」の30歳すぎの女性。その主人公が犬になる! というのが物語のピークかと思っていたら大間違いでした。かなり複雑な家庭事情をもつ30歳すぎの女性の飼い犬となった主人公が、犬だからこそ見える飼い主の生活…。
人間が生きると同時に発する生臭さが描かれていて、それは背筋に快感と不快感の混じった奇妙な感情を這わせます。そのぞわぞわとしたものが、物語の土台に敷かれていて、登場人物や事件に向かってのバネとなっています。
主人公とバーの店主のやりとりが、かなりのスパイスです。
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