WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年5月 >余湖明日香の書評
評価:
昨年4月から横浜で働いている。みなとみらい線横浜駅の地下通路は、いつも人気がないのだが、明治・大正・昭和の横浜駅の移り変わりを記録した写真を横目に見ながら通勤している。幕末から明治にかけて急速に発展した町で、明治からの歴史的な建造物や文化と近代的なビル群が同居している町に暮らしながらこの小説を読むのは不思議な心地がした。元町、野毛、みなとみらい…と久保耕平とシゲルと赤堀がイトウの手記を読み進めていく中、私も一緒に横浜という場所でイトウとI・Bの足跡を追っていた。実際にイトウとI・Bが歩き、中島京子さんが小説を書くために歩き、小説の中でシゲルたちが歩いたかと思うと不思議な気持ちになる。北海道出身で歴史を感じることが少なかったせいもある。
イトウとI・B、シゲルと久保耕平、この小説と私……旅をしながら自分の本当の気持ちを探っていく。中島京子さんの書いた小説は、旅と同じ作用を持つ。
本書を読み終わってから決まったことだが、この4月で横浜を離れることになった。この本とは、とてもよいタイミングでの、幸せな出会いだったと思う。
評価:
独特の四方田節は、自伝になっても面白い。60年代の若者について興味があるのだが、不勉強でまだまだわからないことが多い。自分の高校時代と比較しながら読むと、あまりにも違いすぎるところがなんだか羨ましくもある。
特に16歳の四方田氏が、人生の転機となったバリケード封鎖の経験を書いた章は一気にページをめくった。バリケード封鎖をしたメンバー達のために一旦家に帰って食料を調達し、夜に戻ってくると教室は全く元通りになっていたことを知った時の、四方田氏の孤独・挫折感はとても印象的。
1960年代後半の学園闘争を記録したものは多くあるが、その時代の高校生の記録はほとんど残っていないらしい。村上龍さん原作の映画『69』のDVDを今回初めて見たが、作品のトーンこそまるっきり違うものの、バリ封をノリでやってしまうところやランボーに心酔している姿など、合わせて楽しめた。私の高校生時代といえば、小説やマンガや新しく知る音楽に夢中だったことは同じだが、挫折や孤独を深く感じることはなかったように思う。それだけ大きなチャレンジも足りなかったから?と少しさびしく思った。
評価:
そういえば昔って今よりも確実に貧乏だったなあとこの本を読んで思い出した。昭和58年生まれで何を言っているんだと人生の先輩方からは怒られそうだけれど。
川で魚をとって売りに行ったり、道に落ちている胴を集めたり、たくましく生きている少年達の描写が生き生きとしている。夏休みのわくわく感とそれが終わってしまう寂しさが懐かしい。時代小説のものとも違う独特の文体と、関西弁がとてもよい味を出している。
ところで私が手にした本がたまたまそうだったのかはわからないのだけれど、文字組が随分とページの下に寄っていて、ページ数とタイトルより上の部分は空白が多い。読んでいる最中は気にならないのだけれど、一旦止めてまた読み直す際にどうにも気になってしょうがない。そこのところよろしくお願いします、小学館さん。
評価:
北川歩実さんは『透明な一日』という作品が好きだったのだが、この作品は少し読むのがつらかった。
主人公は二人いる。作家の貴井は結婚相談所「グロリフ」の取材をしている最中、「グロリフ」で見合いをしていたカップルの殺人事件に関わることになる。もう一人の主人公・沙耶は、「グロリフ」に相性診断の理論を提供している会社で働いている。
本編は貴井と沙耶とその周りの人物の会話で埋まり、その会話のほとんどは事件の推理をひたすら話し合っているという印象だ。
どんどん新しい事件が起きたり事実が発覚していくのだけれど、主人公がそれをまとめる隙さえ与えず話は展開していき、読んでいる私も新しい事実や推理の面白さに追いつけずアッと驚く暇さえなかった。
ここまでどんでん返しや事件の変化を盛り込まなくていいので、人物の描写や一つ一つの推理や説明にもう少しページを割いて欲しいと思った。
評価:
屏風の奥にいるシャルビューク夫人の肖像画を、その姿を見ずに書き上げるというなんとも奇妙な依頼。その依頼を高額な謝礼に惹かれ引き受けた画家ピアンボは、夫人の身辺を探ったり、自身の技術を駆使してなんとか彼女を一枚の絵に収めようとするのだが……。タイトルがついた短い章から成り立っているこの作品は、一章読み進めるごとにシャルビューク夫人の実態に迫ったと思っては曖昧になり、私たちはピアンボと同じようにシャルビューク夫人に翻弄される。その不気味さが心地よい読書の快感を生み出す。暗闇の中使い慣れている階段を上っていて、大きく足を踏み出したら実は最上段まで来ていたので、足元が不安定になった時のような、心許ない感覚が常に付きまとっている。隠喩・直喩を多用した文章も雰囲気を盛り上げる。童話のような、ミステリーのような、官能的でもあり歴史の重厚さも味会うことも出来る、非情にお得な小説だ。
評価:
公民権運動、キング牧師の活動……時代が大きく変わっていっているワシントンDCを舞台に、様々な環境にいる人物を、公平に丁寧に、極力感情を排して描いている。最初はなんだかつかみ所がなく、一体いつ物語が始まるのだろうともどかしく思うのだが、物語の終盤に彼らの運命が大きく分かれる時、それまで描かれてきた環境やタイミングや人間関係といったものから生まれた運命の皮肉さを実感するのだ。一九五九年と一九六八年という二つの年で、主要な登場人物のデレク・ストレンジとドミニク・マルティーニの子供時代と青年時代が描かれることで、よりその効果は高まっている。
恥ずかしいことに私は音楽に対する知識がほとんどないので、全編通して出てくる様々な音楽がもつ雰囲気や、音楽の嗜好による人物の描写を味わうことが出来なかったのが残念だ。
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