『イトウの恋』

イトウの恋
  1. イトウの恋
  2. ハイスクール1968
  3. 抱き桜
  4. 恋愛函数
  5. シャルビューク夫人の肖像
  6. 変わらぬ哀しみは
  7. ルインズ(上・下)
岩崎智子

評価:星4つ

 中学校教師・久保は、明治時代にある女性冒険家「I・B」の通訳として彼女の旅に同行した青年・伊藤亀吉が書いた手記を、屋根裏で見つける。だが手記は途中で終わっており、久保は亀吉の孫娘と思われる女性劇画作家シゲルに連絡を取る。興味がなかったシゲルが、熱心な久保やその教え子の赤堀に引きずられる形で、欠落部分探しに加わる「現在」と、彼女の祖先である亀吉の手記「=過去」で構成されている。序盤、全然話が噛み合わず、ぎくしゃくしていた三人が、手記をネタにして会う度に親しさを増してゆく。過去が現在に影響を与えていくというパターンは、よく小説でも使われる。だが、「過去を繰り返すかのようにシゲルと久保が恋に落ちる」なんて、ベタな展開は外してあり、安心した。「あのころ私は若く、人としてはまだ拙かった。(p150)」とあるが、手記の文章自体も昔の文章を一度現代文に翻訳しており、どこか拙い感じがした。その拙い言葉が、丁寧な言葉で遠回しに愛を語る、もどかしい二人−亀吉と「I・B」−のイメージと重なった。

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佐々木康彦

評価:星4つ

 明治時代、日本の奥地を旅したイギリス人女性I・Bの通訳を務めた伊藤亀吉。物語は伊藤亀吉の手記パートと、その「イトウの手記」を実家の屋根裏で発見した教師を中心に展開する現代パートと、交互に書かれています。
 手記には、亀吉が自分の母親と言っていいほど年の離れたI・Bに惹かれていく様子が書かれていて、この手記パートは非常に惹き込まれて読みました。亀吉自身は自分の能力を過信してしまっているところとかがあって、すごくイイ奴とは言えないのですが、それは若さゆえのこと。その不器用さというか、粗削りなところが、何故か気になる、応援したくなるのです。私の涙腺は基本的に子供を扱ったものにしか反応しないと思っていたのですが、切ない「イトウの恋」の物語にちょっと涙腺が弛みそうになりました。

 モデルとなったイギリス人旅行家イザベラ・バードとその著書「日本奥地紀行」も気になるところ。既読の方はより楽しめると思います。

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島村真理

評価:星3つ

 この3人の登場人物が実にいい味をだしている。新米中学教師の久保耕平、彼が受け持つ郷土部の部員赤堀、そして、劇画の原作者田中シゲルだ。彼らは、久保が見つけた古い手記でつながっていく。
 唐突なほど、この史料に入れ込む久保がまず滑稽だ。なにせ、著者“イトウ”の曾孫にあたるシゲルを探り当て、後半部分の行方を伺いに行くのだから。思い込んだら突っ走る彼とは対照的に、中1なのに久保よりもずっと常識的な赤堀といいコンビなのです。でも、空回りしながらも、やる気のないシゲルまで吸引する力があるのですからすごい。手記の残りを探し始める彼らはまさに凸凹トリオで、残りの手記がみつかるかどうか期待してしまいます。
 もう一つ注目したいのは、問題のイトウの手記の中身。明治初期、通訳者として活躍したイトウとI・Bとの関係だ。横浜から北海道へとの旅の記録なのだが、はじまりからして、恋の告白めいて、いったいどうなるのか。新旧の恋の行方を楽しんでもらいたい。

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福井雅子

評価:星5つ

 明治維新のころに日本各地を旅して『日本奥地紀行』を著したイギリス人女性研究者イザベラ・バードとその通訳を務めた伊藤亀吉を、史実を土台にストーリーを肉付けする形で描いた作品である。
歴史上実在した人物を、その背景となる時代の空気とともに人間味豊かに生き生きと描きあげた作品は、司馬遼太郎の著作などに秀作が多いが、この作品も引けを取らないくらい素晴らしい。人間味あふれる主人公のイトウとそのたくましい生き様が力強く生き生きと描かれ、明治維新という時代の活気もビリビリと伝わってくる。実在の人物であるだけに、何を思いながら生きたのかに思いを馳せる楽しみも味わえる。
 この物語は、現代に生きる中学教師とイトウの子孫である劇画原作者がイトウの手記を探すという話の中で、イトウの半生が手記として語られる構成になっていて、その分一般的にはとっつきやすい作品に仕上がってはいるが、イトウのストーリーだけでも十分に成立する作品だと思う。

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余湖明日香

評価:星5つ

昨年4月から横浜で働いている。みなとみらい線横浜駅の地下通路は、いつも人気がないのだが、明治・大正・昭和の横浜駅の移り変わりを記録した写真を横目に見ながら通勤している。幕末から明治にかけて急速に発展した町で、明治からの歴史的な建造物や文化と近代的なビル群が同居している町に暮らしながらこの小説を読むのは不思議な心地がした。元町、野毛、みなとみらい…と久保耕平とシゲルと赤堀がイトウの手記を読み進めていく中、私も一緒に横浜という場所でイトウとI・Bの足跡を追っていた。実際にイトウとI・Bが歩き、中島京子さんが小説を書くために歩き、小説の中でシゲルたちが歩いたかと思うと不思議な気持ちになる。北海道出身で歴史を感じることが少なかったせいもある。
イトウとI・B、シゲルと久保耕平、この小説と私……旅をしながら自分の本当の気持ちを探っていく。中島京子さんの書いた小説は、旅と同じ作用を持つ。
本書を読み終わってから決まったことだが、この4月で横浜を離れることになった。この本とは、とてもよいタイミングでの、幸せな出会いだったと思う。

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