WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年5月 >福井雅子の書評
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明治維新のころに日本各地を旅して『日本奥地紀行』を著したイギリス人女性研究者イザベラ・バードとその通訳を務めた伊藤亀吉を、史実を土台にストーリーを肉付けする形で描いた作品である。
歴史上実在した人物を、その背景となる時代の空気とともに人間味豊かに生き生きと描きあげた作品は、司馬遼太郎の著作などに秀作が多いが、この作品も引けを取らないくらい素晴らしい。人間味あふれる主人公のイトウとそのたくましい生き様が力強く生き生きと描かれ、明治維新という時代の活気もビリビリと伝わってくる。実在の人物であるだけに、何を思いながら生きたのかに思いを馳せる楽しみも味わえる。
この物語は、現代に生きる中学教師とイトウの子孫である劇画原作者がイトウの手記を探すという話の中で、イトウの半生が手記として語られる構成になっていて、その分一般的にはとっつきやすい作品に仕上がってはいるが、イトウのストーリーだけでも十分に成立する作品だと思う。
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大学闘争に揺れる60年代後半の若者文化を、当時高校生だった著者の目を通して詳細に描いている。音楽、小説、詩、漫画、雑誌……サブカルチャーを含めた当時の文化的な状況を、多岐にわたって細かく記録している。高校生のやわらかい感性が新しいカルチャーと出会ったときの大きな衝撃が伝わってくるような本である。
当時の文化的な状況が幅広くこまかく語られていることから、資料的な意味での価値もあると思うが、その時代に高校生・大学生だった人には懐かしさでいっぱいの感動の書かもしれない。60年代終わりに同じカルチャーの「波」をかぶった人にはぜひおすすめしたい。話にはきいているけれど感覚的にピンとこない世代の私には、興味深くはあるけれど、「感動を共有できない疎外感」が拭い去れない本だった。
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戦争の影がまだ残る昭和30年の和歌山を舞台に、二人の少年のひと夏を通して、二つの家族の物語を描いた作品。戦後を強く生き抜こうとする大人たちと、その周囲で翻弄されつつ自分の目で見て、体で感じて大人になっていくたくましい子供たちの姿。今よりも死が身近で、生きるためには努力が必要だった時代。けれども子供たちの毎日はきらきらと輝き、哀しみを知っている分だけ人々の愛情は深い──。
伊集院静の『海峡』に通じる哀しくも暖かい世界が、この作品には広がっている。哀しみ、貧困、過ち、罪人、そのすべてを包み込むような暖かい視点が、この作品に柔らかな空気を吹き込み、深みのある落ち着いた小説となっている。文章が、もう少しひたひたと心に染み入るような味わいのあるものだったらな……というのが正直な感想である。
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カップルの相性を数値ではじき出す「GP理論」なるものと殺人事件との間で、たくさんの人物が登場し、たくさんの仮説が立てられ、次々に新たな疑念が湧き上がる。パズルのような込み入ったストーリーと、スピード感あふれる展開が特徴の長編ミステリー。
いろいろな人物が登場してそれぞれに仮説を立て、真相究明のために行動を起こす──そのたびに振り回される読者は、それを何度も繰り返すうちに何が何だかわからなくなってくる。とにかく忙しい小説なのである。そのスピード感とパズルのような複雑さがこの作品のウリなのだが、あまりに込み入りすぎて、何が単なる仮説(登場人物の誰かが言ったこと)で何が事実(事実として書かれていること)なのかがわからなくなってしまい、ちょっとやりすぎの感もある。ともあれ、これだけ目まぐるしい展開を支えるアイデアと構成力はもちろん、六百ページを超える長編を飽きさせずに引っ張っていく力はすばらしい!
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主人公の肖像画家が「姿を見ずに肖像画を描いてほしい」という法外な報酬の依頼を受け……最初から怪しげな雰囲気をめいっぱい漂わせてはじまるストーリーは、予想を裏切ることなく奇怪な方向にずんずん進み、奇病や霊薬などの小道具から依頼人が語るエピソードまで存分に怪しげな世界を堪能させてくれる。この奇怪な世界が好きな人にはやめられない本だと思うが、そうでない人にも「怖いけど覗いてみたい」と思わせる不思議な魅力がある。ちなみに私は後者なのだが、「あやし〜い」とか「こわ〜い」と思いながらもページをめくる手は止められなかった。
ストーリー云々よりも、ジェフリー・フォードがプロデュースした奇怪な世界を楽しむための本かもしれない。
評価:
憂いも悲哀も憤りも、すべては行間に表現されている! 淡々と書き連ねた文章はいたってシンプルだけれど、行間からは登場人物たちの深い思いや、1960年代のアメリカの空気が伝わってくる。それも、街の匂いまでが伝わってきそうな臨場感を伴って。ストーリーよりも何よりも、その文章の上手さを味わうだけでも一読の価値はある。
読んでいる間は、ストーリーも表現も淡白すぎる印象を受けたのだが、読み終わってみればそれがかえって効果的に「行間の表現」を演出していることに気づく。カバーで作者のペレケーノスを「ハードボイルドの詩人」と評しているが、実に的を射た表現だと思う。ハードボイルドが好きな方には絶対におすすめ!
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衝撃のデビュー作『シンプル・プラン』で一世を風靡したスコット・スミスが11年の沈黙を破って発表した第二作!とくれば、どうしたって期待が高まる。わくわくしながら本を手に取ったのだが……。
『シンプル・プラン』がドキドキのストーリー展開と、普通の人間が少しずつ壊れてゆく怖さを描いたサスペンス小説だったのに対して、『ルインズ』はただもうひたすらに「人間の精神が壊れてゆくさま」を見つめる、正真正銘のホラー小説である。上下巻あわせてかなりのページ数なのだが、プロットもストーリー展開も極めてシンプル。恐怖と絶望の中におかれた人間たちの心が、徐々に壊れてゆく様子がただただ克明に描かれ、読者は「早くなんとかしてくれ!」的な息苦しさと恐怖感のみを延々と味わうことになる。
徐々に壊れてゆく人間を描き出す力量はやはりさすがだと思ったのだが、前作での見事なアイデアやストーリーテリングを見てしまっただけに、その部分を捨ててしまったかのような『ルインズ』にはやはり物足りなさを感じてしまった。
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