WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2008年5月の課題図書 >望月香子の書評
評価:
都内にある大病院に入局した32歳の美しい産婦人科医、曽根崎理恵。代理母出産に関わっているという噂のある理恵の、冷徹な一面と、理論を越えて情の溢れる一面とが目の前で交差し、素晴らしく賢い理恵のその魅力はちょっとすごいです。
著者が現役勤務医だからこその、院内を巡る事情、医師と患者の溝などの臨場感ある描写は、もう何も言うことが見つかりません。DNAの塩基配列、染色体などの医学用語が飛び交う文章さえ、飲み干してしまうような勢いでぐびぐび読めます。
顕微鏡下人工授精のエキスパートである理恵が担当する5人の妊婦や、院長、医師など、それぞれが抱える事情、成長してゆく様子に目が離せません。それが物語をいっそう立体的にしています。
最終章に近づくと、濃厚な医療ミステリとなり、衝撃を受けます。素晴らしい。
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普通の登場人物と、普通のストーリーで、ここまで読ませる小説というのはすごいと思います。関西にある中華飯店を営む実家に暮らす兄弟。兄は、「小説家になりたい」と言い、専門学校へ通うという理由で上京し、ひとり暮らしをはじめるが…。要領がいいとされる兄と、ちょっぴり損な役回りの弟のそれぞれの物語が、これといった事件や出来事がそう起こらない中でも、ぐいぐい読ませます。兄弟の絆や、両親の愛、進路の悩み、恋が、思春期の兄弟を軸に描かれていて、その「普通さ」から、普通な人も普通な人生もないんだなあ、と感じる、ほのぼのしているけれど、ぴりっと締まっている1冊です。
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十返舎一九の名で「東海道中膝栗毛」を書いた重田与七郎の若い日々の物語。故郷の駿府から大阪へ行き、そして江戸へ…。旅をして、右往左往しながら、作家の道へ進むまでを描いています。
歴史上の人物としてなんとなく知っていただけの人が、松井さんの筆を通すと、生身の人間として浮かびあがってきます。嫉妬したり、挫折したりと、生々しい感情が描かれ、吐息までもが想像できるのです。愛しさまでわいてくる始末。
読み終えると、ちょっとした江戸通になれたような気もして、なんだかお得な気分です(勘違いですが)。
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42歳でこの世を去った著者の「遺稿集」。書きかけの小説、旅行、合コン、妻である漫画家の西原理恵子さんとの出会いなどについて書かれた、未刊行原稿集。
中でも、わたしのお気に入りは、「恋のバカっ騒ぎ」。土色の肌になったアルコール依存症の著者が、雑誌の企画で合コンを繰りかえし行う。人妻編、丸の内OL編などとカテゴライズした相手の女性の生態描写と、やりとりと距離感が、たまらなく面白い。絶妙。笑いとかなしみの狭間のような文章、もっと読みたかったです。
腎臓癌に冒された自身を、哀愁ただようユーモラスを交えて描いた著者の作家魂がすごい。
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「永遠の恋」がテーマの近未来恋愛小説。あるきっかけで、PC上での仮想社会で、自分の分身をつくった杏子。現実の自分と、仮想社会内での分身と「共鳴」するというSF的要素が満載のラブストーリー。込み入った設定が少し難解な印象を受けました。けれど、時空を超えた恋愛とは、という命題がまっすぐで、切なさが沁みます。
「共鳴」という展開が面白く、物語の核となっていて、ぐいぐい惹きこんでゆきます。
PCでの分身との「共鳴」を考えると、自分とは何か、という思考までいってしまいます。恋愛とSF物語に哲学的要素も含まれているようですが、この3つの相性は良いと思います。
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大学生のちょっと気弱なサトシが、気の強いしっかり者の恋人カレンとの結婚を報告しようと、実家で母を待つ。その間に、サトシのなかの「もうひとりのサトシ」が現れる。少年時代のサトシを「プラス」と「マイナス」に分けた「人格分割リスト」をサトシは探すが…。
サトシの父と母、恋人のカレン、友人オカベ、登場人物の印象が、物語が進むにつれ、どんどん変化してゆくのが、妙な爽快感です。多重人格者の物語なのに、悲壮感なんてなく、冒険物語として読めます。その冒険は、勇ましい限り。物語が進むにつれ、どんどんと真実が明らかになってゆく瞬間は、溜め息ものです。
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4月1日エイプリルフールに生まれたイヴァンは、チトー体制下の旧ユーゴスラヴィアで少年時代を過ごす。そしてユーゴ内戦とクロアチア独立を経験し、さまざまな事態に巻き込まれる…。
悲惨でシュールな場面が淡々とした筆致で描かれていて、でもそれがユーモアや皮肉にはわたしには感じられませんでした。悲惨さはそのまま悲惨として伝わってきます。
300ページほどの物語が、30章に分けられ構成されているので、それが読みやすさの助けになりました。
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