WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2008年9月の課題図書 >佐々木克雄の書評
評価:
歴史を考える角度が変わる本。出会えたことを素直に喜びたい。
「島原の乱」と聞いて思い浮かべるのは、あの美少年と、苛政に立ち向かうキリシタンであったが、この本では天草四郎は脇役であり、キリシタン弾圧は為政者側の口実とある。
著者の視点は一貫して「個」だ。しかも感情を排して綴られているから、ストーリーがグッと凝縮されて見える。前半では堪え忍んでいた庄屋の仁右衛門、彼が自重を促した若者衆の頭領・寿安、責任転嫁や手柄競争に余念がない討伐側の人々──それらが破滅していく流れのなかで、小さく輝いて、消えていく。だからこそ一瞬の流れ星のような「生」が愛おしくなってくる。
「個」の細やかな物語が繋がって「歴史」になっていく筆致は、現代の、どの歴史作家の追随も許さない気迫を感じるのだ。(いやホント、流行りの時代小説などは霞んでしまう……)
オリンピック作家?──いいじゃないですか。こんな傑作が読めるなら何年でも待ちます。
評価:
筆者の絲山さんとは年代も近く、たぶん同時期に同じ場所でセイシュンを過ごしていたこともあって、彼女の描く世界は「イッツ・オンリー・トーク」や『沖で待つ』など、共感できるものが多かった。ご本人がHPで紹介している日記も楽しいし。
表題作「ラジ&ピース」は、そんなご本人が実際に暮らすからっ風の町で、さらに隔週で出演しているFM局がモデル。この主人公である女性パーソナリティの野枝さんが……あ、はじめて相容れない感じのキャラだった。マイクの前以外では、頑なに他者を拒絶する態度をとる彼女。それでも飲み屋で知り合った女医と懇意になったり、リスナーと接触したりと矛盾を抱えているわけであり、「なんだかなあ」って気持ちになってくる。
でも思う。十人いれば十人の考えがあり、主人公が思う通り「みんながその人なりの受けとめかたをしてくれればいい」と。そうなんだよなぁ……って、また共感してるじゃん。
評価:
ふたつの事件があり、それぞれで苦しんでいる当事者が出会うことで真相が明らかになっていく──その構築がかなり高度な分、読み手は物語の中へグングンと引き込まれていく。ただし、話の導入部分は読むのがツライ。主人公の少女の家庭環境ってば、父親は家庭を捨て、母親はアルコールに溺れ、幼い弟は赤子の末弟を殺めたとの嫌疑があり……ひゃああ、救いのなさってば昼ドラを軽くこえております。ここへ行方不明となった娘を捜す元検事が現れるのだが、ふたつの事件に光は射すのだろうか? 出会ったふたりは救われるのだろうか? このあたりが読み所ではないかと思うわけです。
すこぶるエキセントリックな脇キャラが登場したり、謎解きが一筋縄でいかないあたり、横溝正史ミステリ大賞を獲った作家さんらしいなあと感じたのですが、タイトルが本筋とはあんまり関係ないと思ったのは、自分だけでしょうか。
評価:
お久しぶりです山本さん。でもってこの本、グーです!
一冊に数篇ある場合、どれか一篇を取り上げて語ることにしているけれど、収められた三篇とも素晴らしく、甲乙つけがたい。
三篇に共通するのは、家族の再生が様々な視点でゆる〜く、グダグダと綴られていく点。これがですねえ、ボディブローのようにジワジワと効いてくるんですよ。特に、それぞれに仕込まれた変な場面(どの作品にも、主人公を囲んでの話し合いや、鍋パーティなどが催されている)が秀逸で、映画のワンシーンを見ているよう。
けれど、この三つのお話は、どれも小説として味わうことが最も美味しいのであって、紡ぎ出される言葉のひとつひとつが、見事にすんなりと読み手の中へ染みこんでくるんです。久々に、「ああ、小説っていいなあ」と読了後に呟いてしまいました。
評価:
著者様、関係者様、ファンの皆様──ゴメンナサイ、生理的にダメみたいです。
星三つをつけてますが、正直なところ思考がショートして判断できず、ニュートラルの評価をしたまでで、「?」記号が許されるなら、そうしたいところであります。でもね、読後感がミョーに気持ちイイ。高温サウナから「はうッ!」と出てきたときみたい。
俺=探偵ウェンズデイが、パインハウスの事件を解決してるんだか、してないんだか。いや事件は起きてるんだか、起きてないんだか。犯人はいるんだか、いないんだか。もうグチャグチャです。時空は飛ぶ飛ぶ、思考も飛ぶ飛ぶ、活字に食らいついてる自分は吹き飛ばされる。
いいんじゃないでしょうか、こういう読書。また文壇を騒がす問題作になるとは思いますが、自分はその土俵には上がれそうもないです。枡席もムリです。たぶん二階席も。
強いて言えば、この上下巻のブ厚さ、パラパラ漫画の超大作が作れそうです。
評価:
紛れもなく傑作だと謳いたいのだけれど、自分の中で引っかかる部分がある。それはひとえに現代アメリカ史を捉え切れていない己の不勉強さがあるわけで、だからこそ同書のような壮大な物語は必要になっているのだと考える次第。これは再読の必要があるなあ。
亡命したユダヤ人の父と黒人の母、そして三人の子供──この家族が紡ぎ出すストーリーは、アイデンティティーに葛藤する個々を丹念に描きながら、アメリカが今なお抱える社会的問題をここかしこに滲ませている。答は見つかりそうにない、だが家族は「歌」を持っている。歌うことで家族は絆を保ち、あらゆる苦難に立ち向かおうとする。
手法として成功しているなと思えるのは、天才声楽家の兄でも革命家の妹でもなく、実のところニュートラルな次男の視点で描かれている点かと考える。であるからこそストーリーに抑制が効いて、グッと締まった感じがするのだ。流石です、リチャード・パワーズ。
評価:
これぞ「アメリカのミステリ」ってな本ですね。刑事の男が、相棒の女性(←これ、お約束)と難事件を解決していくって筋書き。お下劣ギリギリのトークも定番と言えば定番でしょう。有力者による集団不正って点ではサンディエゴ市も日本も変わりないけど、大きく違うのは主人公ロビーが特異な能力を持っているところでしょうか。
しかしながら、この「相手の声が形になって見える」てな能力が、殺人事件の解明に大きく役立っているようには思えないのが不思議。ロビーは足を使って汚職を解明、真犯人を突き止めようとするワケで、読み進める程に点と線が(やや恣意的な感じもあるが)繋がっていく。正直に言いますと、ちょっと腰砕けの印象あり。(読む人によって違うとは思いますが)
まあ、流れるストーリーを単純に楽しんでいければ、それはそれでいいのではないかと思った次第です。お盆の帰省時、新幹線車中で読むにはピッタリの本でした。
我が青春のバイブル『竜馬がゆく』に出会わなければ、これほど歴史に思いを寄せることはなかったと思っております。著者であられる司馬遼太郎先生が亡くなられてから、もう十年以上経つのだなあと、この本を読んでしみじみ。
それにしてもこのタイトル、思わずニヤリ。話はそれますが、はらたいら氏の奥様が書かれた本のタイトル『はらたいらに全部』に匹敵するインパクトがあります。
閑話休題。
司遼さんの側面を記した本はいくつかありますが、これはタイトル通り『街道をゆく』という名連載を担当した(しかも最後の)記者さんの回想録。独自の史観を語り、この国を憂う一方でジブリアニメが大好きだったなんて。そして何より、新聞記者の先輩として、著者に接してこられた司遼さんの厳しさ、優しさが滲み出ているのです。ほろり。
「何で、こんなに本を読んでるんだろ」と思うときがある。
振り返ると、小学校では本の虫だったが、それ以降は部活〜バンド〜バイトやらで遠ざかっていた。戻ってきたのは底辺サラリーマン時代、重松さんの『日曜日の夕刊』を書店で見つけタイトル買い。再び本にのめり込んだ。「本に逃げてるでしょ?」と先輩に図星を突かれたことも──確かにあの頃はそうだったなあと。
重松本に入れ込むのは、そこに等身大の自分が点在していて、「追憶」「郷愁」「やさしさ」の三拍子に活字がボウッと滲んで、流した涙の分だけココロが軽くなるから。
本作は『ツバメ記念日』に続く「季節風」シリーズの二作目。今さら重松節を説明する必要はないだろう。今回は「べっぴんさん」がツボだった。今、自分にとって読書はビタミン補給と感じている。だから今日も、これからも本を読んでいこうと思う。
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