WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【単行本班】2008年9月の課題図書 >下久保玉美の書評
評価:
今年、偶然にも長崎に旅行に行きまして、長崎市内〜小浜〜天草五橋と車で巡ってきました。本書に描かれる情景と旅行先で見た風景とがオーバーラップし、物語世界がそこにあるかのような感覚を覚えます。
本書は島原の乱前夜を描いたもの。島原の乱というとどうしても美形のクリスチャン天草四郎時貞、そして彼が行ったとする奇跡なんかが思い浮かびますし、彼を主人公にした小説が多いのではと思いがちです。しかし、本書での彼の扱いはとても小さく、どちらかといえば無能ぶり、よく言えば生身の人間として存在しています。そう、本書は天草四郎ではなく村の庄屋や若者たち、そしてキリスト教迫害と重税に苦しむ農民たちを主人公とすることで、天草四郎の島原の乱ではなく民衆たちの島原の乱という一味違う物語を描くことに成功しています。農民たちの苦しみがどこから生まれどこに向かうのか、最後まで目の離せない一冊です。
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今、ラジオの電波がうまく入らないので聞く機会が減ってしまいましたが、学生の頃から20代半ばまではテレビを見るよりもラジオを聞く時間の方が長かったのです。ラジオ局によって洋楽中心の番組構成であったり、最新Jポップ中心であったり。地方のラジオ局では地元の話題が多く、私の実家のAMなんかは方言丸出しです。ラジオのDJたちは顔は見えないけれど、テレビよりもなぜか親近感を感じてしまいます。マスメディアでありながら、1対1のような感覚はどこからくるものでしょうか。声の持つ魅力なのでしょう。
本書の主人公である女性DJは自分を醜いと思っている女性であり、都市部のラジオ局よりも地方のラジオ局を好み、そこで働いています。彼女にもまた私と同じように彼女に親近感を抱くリスナーが多く存在し、最初そうしたリスナーに疎ましさすら覚えていた彼女はリスナーたちによって変化します。著者はその変化を丁寧に描いています。
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本書はそれぞれに心に傷を抱えた少女と元検事が出会い、元検事の死後に少女が傷を抱える原因となった事件を解明していくことで心を癒していく話。サスペンス色が濃厚で、人間や家族の暗部に深く沈着していく過程をじわ〜と描いています。少女の事件や最後の展開には驚く点があったけど、元検事の事件や物語の他の箇所でもそこいいの?とちょっと消化できない点があったのが残念。
タイトルを見たとき恋愛小説か?と思ったのは、韓国映画の「八月のクリスマスカード」の影響です。あの映画はいいね、ってこの小説には全然関係のない話です、すみません。その次に思ったのは横溝正史ミステリ大賞くささ。ああ、なんかこんな感じこんな感じみたいな。江戸川乱歩賞にも同じことを感じるんですけどね。
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著者にとって久々となる中編3篇所収の作品集。『恋愛中毒』『プラナリア』以来だから私にとってもかなり久しぶりです。表題作「アカペラ」は伴奏なしで歌うアカペラのように自分の力で世界を切り開こうとする少女を、「ソリチュード」は高校卒業間際で家出してからずっと女性に頼って生きてきたが父親の死をきっかけに実家に戻る男を、「ネロリ」は体の弱い弟を守りながら生きてきた姉を描いています。
他の作品をあまり読んでないから断定はできないけど、こう肌にまとわりつくような粘着質なもの、描かれる人間心理が読者の心に残すベトベトしたものが減ったなと感じました。これを軽やかになったととるべきなのかどうなのかわかりませんが著者のまた違う一面が見えたように思います。
評価:
著者の特徴である話し言葉がダラダラ続く文章スタイルが苦手です。同じように思う方はこの小説、少々辛いかも。でも、少し頑張ってください。目が慣れるとまあこれはこれで…という気持ちになるはず。
内容はミステリなんだか、SFなんだか、奇想なんだか。事象が複層的に配置され、めくってもめくっても終着点がはっきりしないカオスな世界を構築しています。このカオスの世界で迷子探し専門探偵ディスコ・ウェンズデイが右往左往、東奔西走しながら世界の秘密と時空の謎を解明するのがこの小説の醍醐味っちゃあ、醍醐味。その過程をペダンティックに知をふんだんに散りばめて描いています。散りばめすぎて本書自体がミラーボール。このミラーボールのまばゆい光に踊らされているのはディスコなのか、それとも読者なのか?
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その昔、神々の作りたもうた世界の調和を知るための学問として、天文学・幾何・数論、そして音楽があったと言われています。本書の主人公の父親はユダヤ人であり物理学者として宇宙論を研究し、黒人である母親は音楽家を志した過去から子どもたちや近所の人々に音楽を教えています。宇宙論と音楽という繋がりのなさそうな組み合わせですが両者が世界を、世界の調和を知るための学問であるというのがなんとも興味深いのと同時に著者の意図が見えるような気がします。
本書ではこの父母の出会いから結婚出産、そして成長した子どもたちの歩みが交互に描かれ、全体として一家の物語を構築しています。しかし家族小説と簡単には言えない重みが本書にはあります。本書の時代背景として第二次世界大戦時行われたナチスによるユダヤ人迫害、終戦時の混乱、そしてアメリカ内部での白人による黒人への差別と迫害、黒人による人権獲得運動が展開されていく時代が描かれます。この全く調和のない世界の中で、最初調和の取れていた一家もまた不協和音の中バラバラになっていきます。世界は、そして家族は調和を取り戻すことができるのか、それを音楽を通して描きたいのではないでしょうか。
評価:
ある事件でホテルの6階から落ちたことで人の感情が視覚的に見えるようになった刑事が直面する1人の捜査官の殺人事件。
人の心の中がわかると楽なのになあと思うことはあります。『家族八景』の七瀬みたいなテレパシー能力とか。でも、きっと人の心が見えたら見えたらで嫌なことも多くなって、いつかこんな能力いらないと思うんだろうなあ、とも思うのです。七瀬もいろいろ悩んだり苦労したりしてたし。本書の主人公である刑事は人がウソをついたり、怒っていたり、悲しんでいたりと言葉の上では出てこない感情が図形となって視覚的に見えるという稀有な能力な持ち主であり、その能力を武器に捜査では多くの情報を得ることができます。しかし、本書のよいところはその能力だけで必ずしも全てが解決するわけではないところ。能力の方がどうしても目立ちますがやはり描かれるのはそこから得た情報からどうやって次のステップに進むかというところ。その過程が一番楽しめると思いますよ。
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