WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年12月 >岩崎智子の書評
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あだち充さんの漫画では、ヒロインの方が主人公よりも断然頭もスタイルもよく人気があるパターンが多かった。大人気漫画『タッチ』でも、ヒロインは優等生で新体操のエースなのに、彼女に好かれる主人公は、最初のうち弟の引き立て役。でも、結局は主人公も甲子園を目指して野球を始め、ヒロインともども、それぞれ好きな道を選ぶ。ところが、本作ではヒロイン・亜紀が主人公・稔と同じ道、ボクシングを選ぶのだ。映画でも『ガールファイト』『ミリオンダラー・ベイビー』など、闘うヒロインが登場している。時代は変わったなぁ。ヒロイン、亜紀の不器用っぷりを見ていて、「ああ、こんなに、女の子は女の子であることに苦しんでいたっけ」と思い出していた。試合でキワもの扱いされたり、幼なじみの態度の変化に苛立つ亜紀を見ていると、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの『第二の性』からの言葉『人は女に生まれるのではない、女になるのだ。』という台詞も何だかふに落ちた。大人も子供も、不器用でいとおしい人たちばかりが登場する話。
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海外に行くと、路面電車や地下鉄に乗ってみたくなったあなたは、本書を読んでぎょっとするかもしれない。パリの地下鉄について、「汗でぐっしょり濡れた背広も皺くちゃのドレスも?コールタールと石炭酸がぷんぷんにおう階段を雪崩をうって転がり落ち、まっ暗闇に吸い込まれていく(p101)」なんて書かれているのだから。花の都といったって、日本のラッシュ時とあまり変わらない。第一章は、そんなパリの街角にこっそり置かれている円盤を探す過程を描いている。今でこそ子午線はイギリスのグリニッジと決まっているが、以前はパリを通過する経線が子午線とされていた。円盤はその頃の名残で、天文学者アラゴーの名と南北を表すNSを刻んであるそうだ。第二章?第四章は文学の紹介で、時折映画の話題も混じる。書評家志望の人達にとっては、文章の構成や内容紹介の仕方など、参考になる所が多いかもしれない。うまいな、と思ったのは「美しい母の発見」。ただ、文学や映画に全く関心のない人にとっては、文章が堅くてとっつきにくいかもしれない。
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「愛という感情は、複雑であり、多様だ」と何かの雑誌で読んだことがある。いろいろな感情をひとつにまとめるのは難しく、とりあえず便利だから、「愛」という名前をつけてしまっているのだ、とも。なるほど、だから、愛に正解などないと感じるわけだ。さて、本作の主人公は、「愛って何だろう」と悩み苦しむ一組の夫婦である。結婚して何年にもなるし、それぞれに仕事も持っている。お互いの存在が心地よい。けれど二人は夫の極端なまでの潔癖性が原因でセックスレス。そのために、二人の夫婦関係が揺らいでいく。体のふれあいがないのに、愛していると言えるのか?ここにもまた、自分達にとっての愛を求めてさまよう人達がいる。たぶん、いつかどこかであなたが迷ったように。優しい人たちばかり登場するので、韓国ドラマ『冬ソナ』に胸をときめかせた女性達にもウケそうだ。
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この短編集に収録された作品では、登場人物が恋愛を語っている箇所が多い。タイトルを見てもわかるだろうが、表題作も、過去の恋愛がテーマで、50を過ぎて、若い頃に出逢った外国人女性との恋愛を娘に語る男の話だ。読んだ時点で、その恋愛が過去のものになっており、主人公自身が距離を置いて語っている恋愛を、読んでいる私達がまた客観的に眺めるかたちだ。当の恋愛から遠く離れてしまった気がして、どんどん引き込まれるという感じではない。「どんな恋人も、すでに用意されている恋物語を生きることしかできないのよ」「あなたは、彼をどう愛していいか、わからなかったのよ」良くいえばお利口な、悪くいえば随分と人ごとのような台詞が続くので、恋愛真っ最中の人には物足りず、恋愛を終えた人には、どこか懐かしさを感じさせるかもしれない。
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意図したわけではないだろうが、課題本『凍』の著者・沢木耕太郎氏について、述べられた件がある。「自分のことは役者としての沢木耕太郎として作品に登場させ、決して自分のことは一字たりとも書かないナルシストの沢木耕太郎(p84)」とは、『凍』における沢木氏のスタンスをうまく言い当てている。本書では、「取材相手を通して自分を書くということは、すなわち、その時こそ初めて取材相手を表現することなのに。(p84)」と、彼に憧れつつも、自分のスタンスは違うと思い悩む著者の姿も描かれる。主観的に描くか、客観的に徹するか。どちらの立場を取るかは、人それぞれだが、個人的には、自分をそれほど出さなくても「何に注目しているか」などから、ちゃんと個性は浮かび上がってくると思う。さて、本書は著者自身の下咽頭ガン闘病記である。だから闘病者の主観が前面に出ていて当たり前だが、客観的な部分もちゃんとある。自分の思うようにならない体に苛立ち、酒を煽る夫を、「しょうがないなぁ」と思いつつも優しく見守り、支え続けた妻の姿が浮かび上がってくる。「病気との向き合い方を学ぶための闘病記」という硬いイメージでなく、「こんな生き方でもいいんだ」と思わせてくれるある人生の記録として読んだ。
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「登れるかどうかはまったくわからないが、そのわからないという部分に強く惹かれるところがある。わからなさは、危険と隣り合わせだということでもある。しかし、同時に、自分の未知の力を引き出してくれる可能性もあるのだ。困難な壁にぶつかっていったとき、初めて自分の力を感じることができる。(p21)」などという所を読むと、「ああ、仕事と同じだな」と思う。本当に一生懸命になれば、「たとえ道端に美しい花が咲いていても美しいとは思えなくなっている(p54)」くらい仕事に集中することもある。ただ、普通の会社勤めでは、命と引き換えに働くことはないが。評伝や記録の場合、ライターの感想が混じると、それだけ対象と読者との距離が空いてしまうが、本書は違う。山野井夫妻の登頂記を第三者の沢木耕太郎が三人称で書いているが、あたかも夫妻の登頂の場に自分がいるかのような気分になる。ライターの存在を殺しながらも、なおかつその個性が浮かび上がってくる。本書でのライターの稟とした姿勢は、書評家やライターにとってお手本となるだろう。
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ジャック・ブラック主演の『僕らのミライへ逆回転』という映画がある。レンタルビデオ店の店員と幼なじみが、二人でハリウッド映画をビデオで勝手につくりかえてしまう。ところが文句を言われるどころか大好評!というコメディだ。それとよく似た内容の短編が、「ドラゴン真夜中に踊る」。起死回生を狙った映画が、酔っぱらった映写技師によって順番がバラバラのまま上映される。ところがその内容が、「ジャンプカットは大胆、(中略)多重遡行ストーリーラインはいままでに見たことがない!(p116)」と大絶賛。マスメディア風刺と取れないこともないこの物語は、愛すべき懲りない人々の奮闘を暖かく描いた好篇だ。「はじまりの日」「心移し」「墓碑銘」「頭をよせて」「秋日の午後」「残りかす」「ディアーヌ・ド・フォレ」など、過去との訣別がテーマになっている作品が多い。けじめをつけられない人間の弱さと、その弱さを包み込む人間の暖かさが、ほのぼのとした読後感を残す。
「悲劇の戦国三姉妹」と言われる信長の妹・お市の方の娘達、「茶々・初・お督」。
本書はそのうち、最も幸福な晩年を送ったと思われているお督(小督)を主人公に据えた歴史小説である。お茶々-後の淀どのに比べると地味だが、ここでは女弾正と呼ばれる激しい女性として描かれる。自分の情熱に一途で、嵐の中助けを呼びに城を脱出し、別れた夫と忍び合う。立場が立場なら平凡な人生を送れたはずの女性が、権力者のお膝元にいたために、愛する夫と離別させられ、3度夫を持つ。小督だけではなく、淀君、北政所、秀吉の愛妾達女性達が、男達とはまた別のかたちで、いくさを繰り広げる様が描かれる、淀君は勿論、権力者秀吉、家康、悲劇の関白秀次も、男性側の物語とはまた異なる顔を見せる。三代将軍家光を巡って、春日局と争ったエピソードくらいしか印象にない貴方、是非ご一読を。
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