『一九七二年のレイニー・ラウ』

一九七二年のレイニー・ラウ
  1. ラブファイト 聖母少女
  2. 子午線を求めて
  3. 誰よりもつよく抱きしめて
  4. 一九七二年のレイニー・ラウ
  5. 声をなくして
  6. 凍
  7. 社交ダンスが終わった夜に
岩崎智子

評価:星4つ

 この短編集に収録された作品では、登場人物が恋愛を語っている箇所が多い。タイトルを見てもわかるだろうが、表題作も、過去の恋愛がテーマで、50を過ぎて、若い頃に出逢った外国人女性との恋愛を娘に語る男の話だ。読んだ時点で、その恋愛が過去のものになっており、主人公自身が距離を置いて語っている恋愛を、読んでいる私達がまた客観的に眺めるかたちだ。当の恋愛から遠く離れてしまった気がして、どんどん引き込まれるという感じではない。「どんな恋人も、すでに用意されている恋物語を生きることしかできないのよ」「あなたは、彼をどう愛していいか、わからなかったのよ」良くいえばお利口な、悪くいえば随分と人ごとのような台詞が続くので、恋愛真っ最中の人には物足りず、恋愛を終えた人には、どこか懐かしさを感じさせるかもしれない。

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佐々木康彦

評価:星5つ

 当たり前のことですが、恋愛というものはどちらかが一歩踏み出さなければ起こりえないものです。そういう意味で言うと恋愛経験の少ない私でも自分の人生を振り返えった時、あの時こうしていればどうなっていただろうと思えることは数多く存在していています。「花におう日曜日」をのぞいてほとんどの作品の冒頭部までの経験は誰でもありそうなことなんですが、五十歳を過ぎ妻と別れた男が二十五年前に香港で別れた女性と再会を果たす表題作「1972年のレイニー・ラウ」や、フォットネス・クラブで出会った女性と関係を深めていく「ここから遠く離れて」を筆頭に、その後の展開というのが誰にでも起こることではありません。著者があとがきで書いている〈出逢えなかった人〉について書けばそれが恋愛小説になるということや、〈起こらなかったこと〉について書くのが小説であるのなら、誰の人生の延長線上にもこのような物語がつながっているということなんですね。また本作にはそう感じさせるような作品が多かったように思います。

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島村真理

評価:星3つ

 大人の男性目線の恋愛小説。乾いていて淡々としていて、立ち上ってくる欲望が匂うような文章だ。男が悪ぶって渋い自分を想像しているような。女からみると、かっこつけちゃっていて、でもそこがかわいいと思うような。抑制されていて目立つ印象はないが、なかなかいい男の魅力があった。遠い昔の、旅先で偶然出会った、仕事先にいた女たちとの関係をえがいた短編集。
 反対に、登場する女性は色とりどりだ。表題の「1972年のレイニー・ラウ」では、年齢に不似合いな大人ぶりをみせる娘。彼女はまるで、過去からやってきた父親の昔の女みたいに正しい道に導く。「路環島にて」では、男の思うままに誘われ乱れミステリアスに去っていく女性が、「ここから遠く離れて」では、作家のインスピレーションを刺激し、望ましい共感を持ってくれる理想の女性が登場する。巻頭の「初恋ついて」からの印象で、彼女たちは作者になんらかのかかわりのあった人たちではないかと推測されるし、「あとがき」では、やはりそれはこちらの勝手な思い込みなのかなとはぐらかされる。ほろ苦い味のする恋が楽しめるだろう。

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福井雅子

評価:星3つ

 「恋愛小説を書いてみたいと思うなら、あなたが〈出逢えなかった人〉について書けばいい。……厄介な生々しい現実から遠く離れた地点に、恋愛小説はかろうじて成立するのだと思う」と著者があとがきで述べている通り、この短編集に描かれる恋愛はどれも美しく、決してドロドロしていない。読み終えて改めてカバーが夜景の写真であることに気づき、なるほどと思った。そこには悩みや苦しみも抱えながら一生懸命生きている人々の生活があるはずなのに、夜景はただただ美しく人々を魅了する。この作品で描かれる恋愛もまた、ドロドロした面は描かれず、静かに美しく読者を誘う。
 恋愛小説はこうあるべきだとまでは言わないが、こういう恋愛小説があってもいい。すべてを忘れて美しい夜景に酔いたいときがあるように、こんな恋愛小説に酔いしれたいと思うときだってあるのだから。

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余湖明日香

評価:星3つ

 恋愛が動き出す一歩前の、相手の気持ちが気になりもっと一緒にいて話していたいけれど言い出せないという雰囲気が静かに伝わってくる、恋愛短編集。
『ビフォア・サンライズ』というイーサン・ホーク、ジュリー・デルピー主演の映画が好きだ。電車の中で出会った男女が意気投合し、ウィーンで途中下車。町を歩きながら、翌日の電車の時間まで、お互いの話をする…。そんな旅先で出会った男女の雰囲気を小説にしたらこんな感じだろうなあ、というのが収録作「路環島にて」。町を歩き風景を見ながら交わされる会話。感情の描写を排して、テンポよく交わされる連想ゲームのような会話は、親密になっていく関係と、旅先であるという高揚と焦燥感をよく表している。
もうひとつ、「満月の惨めで、かわいそうな」は、好きだった人が死んだかもしれないというのに無関心なように見える高校生の母親が主人公。この母親が、娘の元想い人のことを調べつつ、自分のテコンドーの先生だった女性との関係を深めていくという一風変わった短編。「さあ、ごろごろしようよ」といって個人的に会うのは三回目という先生を前に、自宅で寝そべる主人公が淫靡でどきどきしてしまった。
「恋愛小説を書いてみたいと思うなら、あなたが〈出逢えなかった人〉について書けばいい。」と述べているあとがきが印象的だ。旅先で、普段演じなければならない自分の役割から逃れて、演じたい役を演ずる自分。母親という役割から逃れた自分。そういったところで生まれる恋愛を描いた極上の恋愛小説を、日常の中で読む幸せ。

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