WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年12月 >佐々木康彦の書評
評価:
幼なじみの男女が主人公のボクシングラブコメ。気弱な男の子、立花稔がボクシングを通じて成長していくというあまりにもベタな設定の中で、この幼なじみの男女の関係が、好き同士なのに不器用な二人、というさらにベタな感じ。しかし、ど真ん中の展開ではない。そこは良い意味で期待を裏切られました。稔の幼なじみの女の子、西村亜紀は超のつく美人で勉強も出来る、しかも喧嘩もボクシングもめちゃくちゃ強い。強いのに女ということで直面させられる壁。タイトルに〈聖母少女〉とあるように、この西村亜紀の成長も物語のもうひとつの軸になっていて、恋愛は大きな要素にはなっているけどそれだけじゃないというか、通読してみると実はベタじゃなかったです。ただ、ボクシング部分もちゃんと描かれているとは思うのですが、最後の方の展開がスゴ過ぎるというか、やり過ぎな感じがしました。
評価:
パリ子午線上に埋められた円盤をたどる表題作は、パリ子午線というものを知らなかったこともあり興味深く読みました。フランスの詩人ジャック・レダと著者とのやりとりも師匠と弟子のようで微笑ましく読みました。
本作の後半ではフランスの芸術について書かれていて、映画『ザ・マシーン 私のなかの殺人者』の原作『機械』の原作者ルネ・ベレットについて書かれた「カメレオンになろうとしているのに、世界はたえず私から色を奪っていく」や作家クリストフ・ドネールをサッカーの名審判である伯父とからめて描いた「ぼくの叔父さん」など、興味深い作品は多くあるものの、ほとんどの作品は私の知識不足が原因で、ついていけないところが多かったです。とりあげている作品について知らないのは良いとして、その作品を説明するための例えに出てくる作品もわからない。これはちょっと辛いところですが、読んだ後に調べたりすることで知識の幅も広がりますし、何だか豊かな気持ちにはなります。
評価:
人肌恋しい、というのはいつも思うわけではありませんが、誰しもふと思う時があると思います。特に、愛する人と触れ合いたいという欲求は万人共通のものです。しかし、本作の主人公月菜は愛する人が不完全潔癖症という心の病で、直に触れることも触れられることも出来ない状況です。性的な肉体関係だけではなくて、相手が悲しい時に直接肩も抱けない、手を握ってあげることも出来ない。それはどちらにとっても辛いことです。相手も辛いことがわかるから、相手の幸せを一番に考え相手のためになると思って行動することが二人の溝を深めていく結果になったりするのは読んでいてせつなくなりました。設定が凝っている昼ドラっぽい感じで、グイグイ引き込まれて読め、読了後は読みながら感じていたドロドロした気分もなくなり、非常に気分良く読み終えました。
評価:
当たり前のことですが、恋愛というものはどちらかが一歩踏み出さなければ起こりえないものです。そういう意味で言うと恋愛経験の少ない私でも自分の人生を振り返えった時、あの時こうしていればどうなっていただろうと思えることは数多く存在していています。「花におう日曜日」をのぞいてほとんどの作品の冒頭部までの経験は誰でもありそうなことなんですが、五十歳を過ぎ妻と別れた男が二十五年前に香港で別れた女性と再会を果たす表題作「1972年のレイニー・ラウ」や、フォットネス・クラブで出会った女性と関係を深めていく「ここから遠く離れて」を筆頭に、その後の展開というのが誰にでも起こることではありません。著者があとがきで書いている〈出逢えなかった人〉について書けばそれが恋愛小説になるということや、〈起こらなかったこと〉について書くのが小説であるのなら、誰の人生の延長線上にもこのような物語がつながっているということなんですね。また本作にはそう感じさせるような作品が多かったように思います。
評価:
咽頭癌で声帯を切除し声を失った著者が綴った、一年間の日記。闘病記というよりは、薬を酒で流し込むような無茶苦茶な著者の生活の面白さと、人と人との繋がりの大切さみたいなものが心に染み入ってくる読み物でした。
一番印象に残ったのが、巻末の著者の奥さんが書いたあとがき。著者への愛が溢れていて、思わず涙してしまうような内容なのですが、何故か本文の日記を読んでみると奥さんは結構冷めた感じに描かれています。著者の外出や通院につきあったり、自殺しそうな著者を身を挺して止めたり、客観的に読むと愛情がなければ出来ないことばかりなのですが、どこか冷めた感じにうつる。照れ隠しにあえてそういう風に書いているのかもしれませんが、著者の目に映っていた奥さんが日記の通りなら、人の気持ちってわからないものだなと思いました。そして、愛する人には自分の気持ちをいつも正直に伝えておきたいな、なんてことを思いました。
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死んでしまうかもしれない危険な登山を行ってしまう人たちの心理は、私たちのような凡人には計り知れないのですが、危険だからこそ彼ら、特に山野井氏には意味があるのだなと本書を読んで気づきました。それは山野井泰史氏が子供のころに、線路を走る貨物車の車輪と車輪の間をくぐり抜けれれるタイミングを発見し無謀とわかりつつも、もし自分がそれを成功させれば満足感を得られるだろうと考えた場面。これが全て物語っているような気がします。脳科学的に言えば、危険を回避した後に脳内麻薬が出るとかいう話になるかも知れませんが、そういう事ではなくて、死を感じることでより生を感じる、生きていることを感じたい欲求なのではないでしょうか。だから、無謀なように見えて死の匂いに対しては非常に敏感なように感じました。それは、慎重過ぎると周りから言われる山野井氏の登山技術からもわかります。
ただ、こんなに大変な目にあってまだ危険な挑戦を続けているというのは驚き。やはり、この心理はわかりません。
評価:
五十年前に交わした再会の約束の結末を描いた「はじまりの日」、天才作家だった老人がタイムマシンで過去に戻る「埋め合わせ」など、失ってしまった時間を描いた作品を読むと高齢である著者の心情が透けて見えるようだなと思ったのですが、実はこの短篇集、昔の作品も収録されていて、同じようなタイプの「時の撚り糸」なんかは1947年の作品で、特に著者の年齢とは関係ないようで、素人の浅はかな深読みでした。ただ、現代社会に不可欠なものを別のイメージにおきかえて描いた「けだもの」なんかは今の時代でないと読めないもので、このものに対する著者の考えの一端が読めたようで、うれしいような気もします。「火星年代記」なんかは既に古典の名作的な位置にある作品ですので、そんな作家が21世紀に書いたものを読めるだけでも幸せです。
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