『凍』

凍
  1. ラブファイト 聖母少女
  2. 子午線を求めて
  3. 誰よりもつよく抱きしめて
  4. 一九七二年のレイニー・ラウ
  5. 声をなくして
  6. 凍
  7. 社交ダンスが終わった夜に
岩崎智子

評価:星4つ

 「登れるかどうかはまったくわからないが、そのわからないという部分に強く惹かれるところがある。わからなさは、危険と隣り合わせだということでもある。しかし、同時に、自分の未知の力を引き出してくれる可能性もあるのだ。困難な壁にぶつかっていったとき、初めて自分の力を感じることができる。(p21)」などという所を読むと、「ああ、仕事と同じだな」と思う。本当に一生懸命になれば、「たとえ道端に美しい花が咲いていても美しいとは思えなくなっている(p54)」くらい仕事に集中することもある。ただ、普通の会社勤めでは、命と引き換えに働くことはないが。評伝や記録の場合、ライターの感想が混じると、それだけ対象と読者との距離が空いてしまうが、本書は違う。山野井夫妻の登頂記を第三者の沢木耕太郎が三人称で書いているが、あたかも夫妻の登頂の場に自分がいるかのような気分になる。ライターの存在を殺しながらも、なおかつその個性が浮かび上がってくる。本書でのライターの稟とした姿勢は、書評家やライターにとってお手本となるだろう。

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佐々木康彦

評価:星4つ

 死んでしまうかもしれない危険な登山を行ってしまう人たちの心理は、私たちのような凡人には計り知れないのですが、危険だからこそ彼ら、特に山野井氏には意味があるのだなと本書を読んで気づきました。それは山野井泰史氏が子供のころに、線路を走る貨物車の車輪と車輪の間をくぐり抜けれれるタイミングを発見し無謀とわかりつつも、もし自分がそれを成功させれば満足感を得られるだろうと考えた場面。これが全て物語っているような気がします。脳科学的に言えば、危険を回避した後に脳内麻薬が出るとかいう話になるかも知れませんが、そういう事ではなくて、死を感じることでより生を感じる、生きていることを感じたい欲求なのではないでしょうか。だから、無謀なように見えて死の匂いに対しては非常に敏感なように感じました。それは、慎重過ぎると周りから言われる山野井氏の登山技術からもわかります。
 ただ、こんなに大変な目にあってまだ危険な挑戦を続けているというのは驚き。やはり、この心理はわかりません。

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島村真理

評価:星4つ

 最強のクライマーと言われる山野井泰史とその妻妙子。夫婦が挑んだのはヒマラヤ難峰ギャチュンカン。壮絶な闘いの記録をノンフィクション作家の沢木耕太郎が手がけたものだ。事前情報もないまま読んだので、初め、これはまったくのフィクションだと思い込んでいた。それほど、描かれている遭難の描写は過酷で想像を絶する内容だった。
 条件の悪い氷壁、妻の体調不良、突然の吹雪、雪崩、10センチ足らずの棚でのビバーク、凍傷……。書き出したらきりがないほどの難関の連続。けれど、2人は驚くほど冷静で決して悲観しない。頂上を目指しつづけ、そして、地上まで降り続けるのだ。特に驚くべきは、妙子さんの強さ。泰史氏が全面的に彼女に信頼を寄せているのもうなずける。夫妻が登りつづけることの理由は、何があっても湧きあがってくる「次はどの山にのぼろうか」という自然な体の反応なのだ。理由や理屈とは無縁の、心からの欲求に身を任せられる自由さがまったくうらやましい。
 先日クマに襲われた登山家のニュースを見たが、なんとそれは山野井泰史氏のことらしく、現在は無事退院しているという。日記では「生きている熊に触れられるなんて……感動」とあり、たくましく何物にも動じない彼らしい言葉だと感心した。

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福井雅子

評価:星5つ

 単行本が発売された時に読み、言葉にならないほど感動した本。何度読んでも感動と驚愕と畏敬の念が湧きあがる。『深夜特急』以来の沢木耕太郎ファンだが、この作品で改めて彼の取材力、構成力、文章力に感服した。わかりやすい言葉で淡々と綴る静かな文章は、きらびやかな言葉や大げさな言い回しという演出なしに深い感動を呼び起こす。静かだけれど魂のこもった力強い文章と、行間ににじみ出る取材対象に対する熱意のこもった真摯な姿勢が、作品に一層の品格を与えているようにも見える。
 また、この作品で忘れてはならないのが、山野井夫妻というクライマーの圧倒的な存在感だ。精神力、体力、判断力、冷静さ、心の自由さ……どれをとっても常人の域を超越していて、畏敬の念さえ湧いてくる。この本を読んで以来、私の尊敬する人物リストに山野井泰史・妙子夫妻の名前が加わったことは言うまでもない。
 ここ数年のノンフィクション作品の中では私の一押しである。絶対の自信を持っておすすめしたい本。ごちゃごちゃ書くのも畏れ多いので、ぜひ読んでみて欲しい。

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余湖明日香

評価:星4つ

 今年の秋、上高地に紅葉を見に行った時に、多くの登山者と電車で一緒になった。体の半分くらいはありそうな大荷物に、ぼうぼうのひげや髪の毛。
そういった姿が物珍しく、じろじろと眺めてしまったのだが、そんな私でも興奮してページを繰ってしまった一冊。
本書の山野井泰史・妙子夫妻は数々の高峰・難壁に挑戦し、ヒマラヤのギャチュンカンに魅せられてしまった二人だ。
前半は、飛行機の手荷物超過料金の支払いを避けるために他の旅行者に頼んで荷物を持ってもらうといったことから、高山病を防ぐための高度順化、アルパイン・スタイルの方法や魅力などを、二人の経歴やギャチュンカンに挑戦するまでの経緯の中に織り交ぜて、登山のことをまったく知らなくても理解できるように書かれている。後半はギャチュンカンへの挑戦を迫力と緊張感を持って描いている。特に下山を描いた第七章は、一瞬の判断ミスによって、あるいは一センチの誤差によって死が待っていたかもしれないような過酷な状態が続き、それを乗り越えた二人の運と経験と能力の高さにただただ感服。
作品は「山野井」という三人称で書かれ、山野井さんの心情なども丁寧に書かれている部分は小説のようである。多くのインタビューを重ね、山野井夫妻との関係を築きあげてきたのだと思うのだが、そういったことを仄めかすことはない。最後の5ページだけ登場する、カトマンズに同行する日本人男性が沢木耕太郎本人だということは、解説を読むまで明かされず、実質本編には作者は一切登場しない。その沢木さんとクライマー山野井泰史さんの距離感も絶妙である。

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