WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2009年1月 >岩崎智子の書評
評価:
TVや映画になった『チーム・バチスタの栄光』で、一躍有名になったシリーズ。不定愁訴外来(別名・愚痴外来)の責任者・田口と厚生労働省の役人・白鳥のコンビが医学業界で起きる犯罪を暴いていく。シリーズものでは、白鳥の突っ走りっぷりが目立ったが、本作では彼が脇役で、語り手として、天馬大吉というおめでたい名前のとおりそのままの医学生が登場する。舞台も東城大学医学部付属病院から碧翠院桜宮病院になる。「人を生かす」目的を持ちながら、終末医療や緩和ケアなど、死とも向き合わなければならない病院の現実や、今話題となっている自殺サイトの問題も取り上げており、「フィクションでありながら、リアリティがある」とでも言おうか。そこに大吉自身の秘められた過去も絡んで来て…という姫宮という名で、「氷姫」というニックネームを持つことから、さぞかし可愛らしくて仕事も出来るクールビューティだと思ったら、真逆のキャラでびっくり。「シリーズ本篇を順番通りに読んだ方がいい」と書かれたネット上のレビューもあったが、本篇を読まなくても、さほどもどかしさを感じなかった。個人差があるのかもしれない。
評価:
昔に比べれば、鬼も随分幸せになったものだ。童話『ないた赤おに』では、赤おにが受け入れられるために、青おにと別れなければならず、『桃太郎』『金太郎』では退治されてしまう。ところが、夢枕獏の『陰陽師』では鬼の哀しみが描かれて同情を誘い、本作の主人公・小鬼の皐月は、人間から相談事を持ちかけられる存在だ。頼まれたのは「病で死んだ酒屋の奥方が屏風に取り憑いて、あれこれと我がままを言うので、話相手になって欲しい」ということ。現世と異世界の真ん中に絵が介在するのは、行方不明になった親友が掛け軸から出てくる、梨木香歩の『家守綺譚』と似ている。「死んだ後も生きた人間を困らせるなんて、なんて傍迷惑な」という奥方の印象が、皐月との交流で変わってゆく。妖艶な狐妖、喰えない猫みたいな皐月の師匠(実際猫に変化する)が登場し、ほのぼのした雰囲気が漂う。「まるで講談師みたい(p50)」と言われる皐月が、この先いくつの「あやかし物語」を語るのか、とても楽しみ。
評価:
2001年秋の同時多発テロ事件で注目された、炭疽菌に代表されるバイオテロ。遺伝子組み換え製品の安全性や、クローンの是非が議論され、菌・ウィルスをテーマとする漫画『もやしもん』が大ヒット!今、私達にとって、細菌はずいぶん身近な存在になった。本書では、そんな細菌が「見えない敵」として恐れられていた時代から、細菌学者達によって研究が行われる現代までの歴史を、綴っている。要点を的確に抑えており、ちょっとくだけたエピソードも挿入されているので、入門篇としては読み易いだろう。予防法が優れていたから病気にかからなかったのに、逆に「病気の原因」呼ばわりされて迫害を受けたユダヤ人のエピソードは、「思い込みの愚かさ」に対する警鐘となろう。「コロンブスがヨーロッパに持ち込んだあの細菌」についての有名なエピソードも登場する。法王アレクサンドル六世、ブランデンブルグの司教など、当時の著名人ほどこの病気にかかるというのは何ともはや…。
評価:
古武道の達人にして美少女の諸星比夏留は、私立田中喜八学園高等学校一年生。フルートが吹きたくて吹奏楽部に入るつもりだったが、笛の音色に誘われて、なぜか民俗学研究会に入部する羽目に。ところが、研究会のメンバーは、いずれ劣らぬヘンな人達ばかり。但し、主人公・比夏留もただの狂言回しではなく、太ってこそ威力を発揮する古武道の跡継ぎでありながら、食べても食べても太れない悩みを持つ、ヘンな人達の一角を担っている。
優れた学術書を出した過去を持つが、今は昼間から酒を呑む(いいのか?)ただの老人にしか見えない、顧問の薮田。長髪の伊豆宮竜胆部長。相撲取りのようにちょんまげを結っている白壁雪也先輩。『南総里見八犬伝』でお馴染みの名前を持つ犬塚志乃先輩。魔術に凝っている浦飯聖一先輩。民俗学の天才高校生・保志野春信。私立伝奇学園高等学校民俗学研究会シリーズ第一作とあって、主要登場人物の紹介がほどよく散りばめられている。神話や伝説に関する蘊蓄(うんちく)が語られるが、ユニークなキャラクターが巻き起こす騒動とまぶされているので、それほどお堅いイメージはなく、さくさく読める。
評価:
ある夜、巨大な膜にすっぽり覆われてしまったため、空から星や月が消え、地球の時間だけが1億分の1の速度になっていた。人類は、太陽が膨張して、やがて地球を呑み込んでしまう運命にあることを知る。SFというと、天文用語や科学用語のてんこ盛りを想像して敬遠しがちだったが、この小説は主役達の感情表現がきっちり描かれていて、最後まで飽きなかった。裕福な家に生まれ、優秀なリーダーの素質を持ち、現代の危機を科学で解明しようとするジェイスン。高圧的な父と酒びたりの母に反発して、宗教に救いを求めるジェイスンの姉・ダイアン。医師というジェイスン寄りの職業を選びながら、ダイアンに惹かれている二人の幼なじみ・タイラー。危機に陥った時に、人間が救いを求めるもの「理性=科学」「感情=宗教」を対照的な姉弟に仮託し、その狭間で揺れるタイラーが人間の象徴のようだ。政治家の暗躍、火星人の出現、謎の病出現による世情不安など、次から次へと事件が起きて。読み始めたら止まらない。どんな時でも人の善意を信じて、希望を胸に前進する。理想とする生き方は、現代だろうと近未来だろうと変わらない。本作は3部作の1番目だそうで、続きが読みたくなった。
評価:
「モンスターペアレント」に代表されるように、「大人になれない大人」が増えている。そして、「否応なく大人にならなければならない子供」も。本作は、そんな現実を反映したかのような家族構成になっている。父が亡くなり、二度目の父は外面はいいけどDVに走り、あげくに家を出る。そして母親も男を追って家出。十七歳にして一家の大黒柱となったみずきは、腹違いの弟のコウちゃん、友だちの健一君と過ごす木曜日の夕食が楽しみ。「わたしだってお母さんのことをそれなりに愛してはいる。なにしろお母さんなわけだし。ただ、十七にもなると、さすがに無条件ってわけにはいかない。(p30)」と、ネグレクトされた子供にしては、親に対しても極めてクール。だが、猫の不妊治療をしなかった主婦が、生まれた子猫を次々と捨てていた事を知り、心の奥底に抑えていた思いに気づく。「次々生まれた子猫を捨てる主婦」に、みずきが誰を見ていたかはすぐに分かるだろう。でも「捨てた親へのリベンジ」に走るのではなく、「不幸をこれ以上生まない処置」を選ぶところに救いがあって良かった。
評価:
さて、オードリー・ヘプバーン主演の映画を見て、五番街ティファニーで朝食を摂った人は何人いるのだろう?今さら改めてストーリーの説明もないくらい、世間によく知られているカポーティの短編だが、原作のラストを大きく変えてしまった映画版しか知らない人が多いのでは? 映画では自由よりも愛を選ぶホリーだが、原作では自由人であることを選ぶ。彼女のポリシーを最も象徴しているのが、タイトルの元になっているある台詞だ。「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ご飯を食べるときにも、この自分のままでいたいの。(p63)」本書ではこう訳されているが、竜口直太郎訳「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。」の方が、もう少し意味が分かり易いだろう。他の短編においても、「自由=自分らしさ」と「現実との妥協=幸せ」は、常に対立して登場する。でも、決して二つともは選べない。「ごちごちの現実主義者」でありながら「救いがたい夢想家」でもあることは不可能だ。手に入らないと分かっていながらも、夢や自由に憧れ続ける人間の本質を軽やかに描写した短編集。
タイトルを見て誤解するかもしれないが、本作の主人公達は決して恋愛が嫌いなわけではない。「嫌い」というよりは、恋愛が「苦手」なのだ。「こんな言い方してるけど、本当は自分のことを好きなんだな。」そこまで分かっているけれど、男のある部分(タイトル参照)がイヤで、別れを告げてしまう翔子(『キャント・バイ・ミー・ラブ』)。自分の元恋人と結婚した友人と再会した鈴枝は、「自分が優位に立ったんだと認めて欲しい」という本心がミエミエの態度を取る友人に、「友達と思ったこともない。」と本音を吐いてしまう。「あんな事があったけど、あなたと私は今でも友達よ。」という、相手が望んだ答えではなく。好条件の相手が現れたのに、彼がデートに誘った本当の理由を突いてしまう喜世美。自分に素直といえば聞こえはいいが、やっぱりどこか恋愛にも生き方にも不器用だ。でも、婚活に四苦八苦している男女だって、似たり寄ったりじゃなかろうか?
さて、そんな彼女達が見つけた幸せとは。最終話「恋より愛を」で是非お確かめを。
WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2009年1月 >岩崎智子の書評