『ティファニーで朝食を』

ティファニーで朝食を
  1. 螺鈿迷宮
  2. 生き屏風
  3. 細菌と人類
  4. 蓬莱洞の研究
  5. 時間封鎖
  6. 猫泥棒と木曜日のキッチン
  7. ティファニーで朝食を
岩崎智子

評価:星5つ

 さて、オードリー・ヘプバーン主演の映画を見て、五番街ティファニーで朝食を摂った人は何人いるのだろう?今さら改めてストーリーの説明もないくらい、世間によく知られているカポーティの短編だが、原作のラストを大きく変えてしまった映画版しか知らない人が多いのでは? 映画では自由よりも愛を選ぶホリーだが、原作では自由人であることを選ぶ。彼女のポリシーを最も象徴しているのが、タイトルの元になっているある台詞だ。「いつの日か目覚めて、ティファニーで朝ご飯を食べるときにも、この自分のままでいたいの。(p63)」本書ではこう訳されているが、竜口直太郎訳「ある晴れた朝、目をさまし、ティファニーで朝食を食べるようになっても、あたし自身というものは失いたくないのね。」の方が、もう少し意味が分かり易いだろう。他の短編においても、「自由=自分らしさ」と「現実との妥協=幸せ」は、常に対立して登場する。でも、決して二つともは選べない。「ごちごちの現実主義者」でありながら「救いがたい夢想家」でもあることは不可能だ。手に入らないと分かっていながらも、夢や自由に憧れ続ける人間の本質を軽やかに描写した短編集。

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佐々木康彦

評価:星4つ

 同じ新潮文庫の龍口直太郎訳では、バーボンやレズビアン、マリファナ、ティファニーにまで訳注がついていて、時代を感じさせます。四十年前の日本人にとって、アメリカはまだまだ遠い国だったのですね。今回の村上春樹氏による新訳ではさすがにそういった訳注はありませんし、文章も読みやすいような印象を受けましたが、カポーティ研究も進んでいて、アメリカ文化の知識も増えている現代の翻訳なので、それも当然のことなのかも知れませんね。内容に関しては今さら言うまでもありませんが、映画と原作は全くの別物ですので、映画しか観たことない方はこの新訳の文庫が出た機に読んでみてはいかがでしょうか。
  収録作「クリスマスの思い出」中の言葉で旧訳では〈年のせいでもうろくしたんじゃよ〉という部分が、新訳では〈年とって変てこだからだよ〉となっていて、これ読んでみるとわかるんですが、これだけで全然違う印象になるんです。自分としては新訳の表現の方が心に引っかかったので、そういう意味では旧訳読んだ方でも新たな発見があるかもしれません。

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島村真理

評価:星3つ

 タイトルを聞くと、オードリー・ヘップバーンが主演の映画をまず思い浮かべる。しかし映画はまだ見たことがないから影響をあまり受けずに楽しめたと思う。
  小説家をめざす同じアパートメントの青年の目線で切り取られるホリー・ゴライトリーは、見事に可憐で奔放で魅力にあふれている。どんな気まぐれも不思議と許されてしまう雰囲気がある。そんな女性だ。彼女の生活がいかに常軌を逸していたのかは、マダム・スパネッラの言動を見てみれば一目瞭然だ。だけども、大胆さと繊細さを猫の目のように繰り返すホリーの本心はなかなかみえてこない。唯一ハッとさせられるのは、同居していた猫との別れの場面。ここで彼女を少しつかめたような気がする。
  表題作以外に3編が収録され、「クリスマスの思い出」は子どもの頃の宝物箱みたいにキラキラして胸をうつ。大好きな作品のひとつになった。
  また注目すべきは訳者が村上春樹ということ。「ティファニーで〜」の語り手の「僕」が、気のせいかもしれないが、村上春樹作品の主人公となんとなく近いように感じる。そして、彼のあとがきも見逃せないことはいうまでもない。

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福井雅子

評価:星3つ

 言わずと知れた名作を村上春樹が「新訳」として訳しなおし、トルーマン・カポーティと村上春樹の夢のコラボが実現! もっと村上色に染まった『ティファニー・・・・・・』を想像していたが、トルーマン・カポーティのリズム感のある文章を壊さずに原文の色を最大限に活かした見事な翻訳だ。しかもさすがは作家の訳だけあって、日本語の文章が読みやすくて上手い。日本語への変換を感じさせずに、自分のものとして文章を書いているあたりはさすが第一線の作家である。
  オードリー・ヘップバーン扮するホリー・ゴライトリーのイメージを頭から消し去って、原作の中にいる違うホリー像を作ってほしいと村上氏はあとがきで書いておられるが、正直に言うと、私は最後まで「オードリーのホリー」から抜け出せなかった。違うホリー像を結べるだけの「原文の中のホリーらしさ」がもうひとつ出し切れていなかったように思えたことが、やや残念だった。

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余湖明日香

評価:星4つ

 読書に目覚め、貪るように本を読みたいけれど、自分のおこづかいではなかなか思うように買えなかった私の本の入手先は、専ら学校の図書室と市の図書館と、8歳上の姉の本棚だった。その中のひとつが髪をアップにしたオードリー・ヘプバーンが黒のドレスをまとった表紙の『ティファニーで朝食を』だった。大人の世界を盗み見ているような気分で読んだ記憶があったのだけれど、村上春樹の新訳で10年ぶりに読み返してみたら、「ミス・ホリデー・ゴライトリー、トラヴェリング」しか覚えていなかったことに驚いた。
他の収録された短編にも共通して言えるのだが、最後の一文を読み終わった後の、電車に乗って去っていく友人を見送るような、静かな余韻がなんともいえない。特に私は表題作よりも「クリスマスの思い出」が印象に残った。7歳の「僕」は、一緒に暮らしている60歳を越す従兄弟のおばあさんが親友だ。二人でお小遣いをため、クリスマスに向けてフルーツケーキを焼き、とっておきのモミノキを探しに行き、クリスマスにはお互いのために作ったプレゼントを交換する。しかし彼らのクリスマスも終わりを迎える…。「大人」ではない彼らのクリスマスは、どんなにお金を尽くしても時間をかけても超えることは出来ないのだろう。
また作品の理解をより深められる訳者あとがきは、読むと必ず原文を読んでみたくなる!

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