『太陽の塔』森見登美彦
●今回の書評担当者●書店員 成生隆倫
「ムゥ」とは、鴨川沿いのカップルを排除する呪文である。俺は精一杯の邪念を込めて、その凶悪な呪文を唱え続けた。ムゥ・・ムゥ・・。甘ったるい蜜をまき散らし、聖なる景色を汚すなど言語道断。景観の治安と心の安寧は、何がなんでも守らねばならない。ゆるぎない克己心のもと、猥褻的言語コミュニケーションに勤しむ彼らの横に座り俺は呟く。ムゥ・・ムゥ・・。
「なんかやばいやつきた」
効果は抜群だ。淫欲にまみれた顔面を灰色へ染めた彼らは、一組そしてまた一組と河川敷から去っていく。くたばれ、盛りのついた淫獣たちめ! 胸にこだまする悪態は、川に流され消えていった。
大学入学当初は、鴨川沿いで恋人と愛を語りあう青春を思い描いていた。キャンパスライフを薔薇色に染めてやるぜ! と力強く豪語していた。
しかし、一回生の夏に言われた「無理」の一言が全てを狂わせる。詳しくは書かないが、あれが転落の始まりであったと言わざるをえない。黒髪の乙女とキャッキャするはずだったクリスマスイブは、男同士でむさくるしく囲む地獄のハイカロリー闇鍋パーティーへ。麦わら帽子の君と行くはずだった下鴨神社へのサイクリングは、男同士で挑む丑三つ時の八瀬比叡山口駅肝試しへ。
華やかな恋愛イベントは起こらず、物騒な催しばかりが降りかかるようになっていた。
森見登美彦作品の世界観に憧れて京都の大学へ入学したけれど、送りたかったキャンパスライフはこれじゃない。好きだった女の子のあとをつけ、時間割・交友関係・下宿先をこそこそ特定するのが関の山だったなんて口が裂けても言いたくない(実話)。
我が法界悋気は、この小説『太陽の塔』から始まってしまったのだと思う。
主人公の「私」は男汁が充満した部屋で鍋を食らい、桃色の妄想をもてあそんでいる。研究、と称して元カノのストーキングをし、満天下で腕を組む男女に物申している。まさに哀しい男子大学生のお手本、というような存在である。
だが、その姿が痛いほど身に染みてしまったのだ。いつの間にか自分と彼を重ねてしまっていたのだ。恋愛礼賛の世界に抗戦する「私」の精神状態は、今でもズブリ胸に突き刺さる。
恋したごときで何を威張るか。
恋するものはそんなに偉いか。
愛すべきむさくるしい日々を否定しないため、俺も恋愛礼賛の世界に異議を唱えたい。唱えたいけれど、「無理」と言われた青春を、「ええじゃないか」と片付けられるくらいには幸せになりたいと叫びたいのもまた事実。本書を読むたび、逆説的に本音が引きずりだされてしまうのが悔しい。
ムゥの時間に救いがあれば、クリスマスイブに愛があれば、俺は幸せになれていたのだろうか。あれから十年余り。粘り気を増した愛読書へ問うてみるが、男汁が滲むだけ。
どうやら青春の闇は終わっていないらしい。その証拠にほら、まだこんなことを言いたがっている。
彼らはきっと間違っている、そしておそらく、俺も間違っていると。
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- 書店員 成生隆倫
- 立命館大学卒業後、音楽の道を志すが挫折。その後、舞台俳優やユーチューバーとして活動するも再び挫折し、コロナ渦により飲食店店員の職も失う。塾講師のバイトで繋いでいたところ、花田菜々子さんの著書と出会い一念発起。書店員へ転向。現在は書店勤務の傍らゴールデン街のバーに立ち、役者業も再開している。座右の銘は「理想はたったひとつじゃない」。