『割れたグラス』アラン・マバンク
●今回の書評担当者●往来堂書店 高橋豪太
パァン!ジャリ。はっこれは失礼。あ、お客さんいいですよ、こっちで片付けますので。ああ、ほんとうにすみません。こりゃちょいと飲みすぎてしまったなあ。
酒場では珍しくない光景だ。グラスは一度割れてしまえば元には戻らない。たいていの悲劇と同様、不可逆である。しかし破片を片付けてテーブルと床を拭きあげてしまえば、その悲劇はたちまち喧騒に溶け出し、次第に忘れ去られていく。まるで最初から何も起こらなかったかのように。
『割れたグラス』は2005年にコンゴ共和国出身の作家アラン・マバンクによって発表された小説である。もう20年も前の作品になるが、邦訳はつい先ごろ、国書刊行会の新シリーズ「アフリカ文学の愉楽」の一冊目として刊行されたばかりだ。
下町のバー「ツケ払いお断り」の主人が、常連の男《割れたグラス》に一冊のノートを手渡す。いわく、このバーにまつわることを書いてほしい、と。かくして《割れたグラス》は筆を執りはじめる。タイトルの『割れたグラス』は視点人物、つまりノートの書き手を指しており、この小説は彼の書いたノートそのものなのだ。
舞台がバーである以上、当然のごとく出てくる人物たちは十中八九呑んだくれているし、聞き書きする《割れたグラス》も勿論酔いどれている。酔客が酔客の長話に耳を傾け、覚束ない指先でペンを握りノートに綴る。ただひとつの句点もなく、読点を重ねて延々と書き継がれていくさまは、まさに酔っ払いの所業──。
ノートは「前半部」と「後半部」に分かれている。「前半部」には趣意通り、バーをとりまく悲喜こもごもの人間模様が描かれる。酒場では往々にしてそうであるように、そこに集まった人々は本名ではなくあだ名(のようなもの)で呼び合っているのだが、これがまた珍妙だ。たとえば《パンパース男》や《印刷屋》そして《蛇口女》などなど。ちなみにバーの主人は《頑固なカタツムリ》だ。彼らの語るエピソード、そして巻き起こる(ここには書けないほど下品でくだらなくて、超おもしろい)珍事件......痛快な酩酊ぶりに誘われこちらもビールを片手にケタケタ笑いながら読んでいると、「後半部」に待ち受ける深淵に足を掬われることになる。
いよいよ語られる《割れたグラス》自身の人生。両親との別離、酒、妻との隔絶、酒、酒、文学、そして酒......人生というものは常に酩酊していて、虚構や矛盾を多く含んでいるものだ。酒を飲んでいようがいまいが、誰にとってもそう。そして、酩酊することはそれ自体が目当てであるように、人生もまた、それを営むこと自体が目的なのである。だからこそ、彼は書く。書くことで生の痕跡を残すのだ。酒場で割れたグラスのようにあっけなく忘れ去られてしまうような人生でも、誰かが書き残しておいてくれさえすれば、それだけでいくらかマシに思える。彼の筆致にそう気づかされてふと振り返ってみると、前半の酔いどれ人生披歴の数々も途端にその重みが増してくるのである。
酩酊した世の中で酩酊した人生を送ること。それは虚しいことでもあるけれど、同時にそこにしかない美しさがあるのだ。酒飲みでもそうでなくてもぜひ多くの人に読んでいただきたい、アフリカ文学の大傑作である。
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- 往来堂書店 高橋豪太
- 眉のつながった警官がハチャメチャやるマンガの街で育ちました。流れるままにぼんやりと生きていたら、気づけば書店員に。チェーン書店を経て2018年より往来堂書店勤務、文芸・文庫・海外文学・食カルチャー棚担当。本はだいすきだが、それよりビールの方が優先されることがままある。いや、ビールじゃなくてもなんでものみます。酔っ払うと人生の話をしがちなので、そういう本をもっと読んでいくらかましになりたいです。